こころに、打ち出の小槌を55

2020.02.25 Tuesday 16:05
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    英語で、「invoke」という言葉があります。

    「invoke」は、発動(はつどう)する、行使(こうし)する、とか、
    祈願する、祈る、という意味がある。

    そのほか、「invoke」には、
    「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」などの意味もあり、
    いわば、「invoke」は、
    ロールプレイングゲームなどで、
    魔法獣(まほうじゅう)を召喚するといったところだろうか・・。


    「invoke」という言葉は、
    キリスト教から来ていると思うけれど、
    これは、なかなか、おもしろいと思った。

    最初に言ったように、「invoke」には、
    祈る、祈願(きがん)する、という意味がある。

    ただし、このキリスト教から来ている
    「invoke」という言葉の「祈る」「祈願する」は、
    「invoke」の他の意味でもある、
    「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」
    という意味からもわかるように、
    自分の外にあるものを呼び出す。
    自分の外にあるものを、もらい受(う)けるという
    意味合いになってくると思う。


    自分の中にはないものを、神様(かみさま)などから、
    ほどこしてもらう!
    というところだろうか・・・。


    だから、キリスト教の「祈る」「祈願する」というのは、
    自分には、幸せになる力(ちから)がないから、
    自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
    ひたすら、おすがりして、
    ほどこしてもらう・・
    といった意味合いが強くなってくる。


    こういう自分には幸せになる力がないから、
    自分の外から、
    幸せになるための力(ちから)をもらう。

    環境(かんきょう)や人や権力(けんりょく)など、
    自分の外にあるものによって
    幸せになろうという生き方のことを、

    『外道(げどう)』

    と言います。


    だから、

    環境がこうだから、幸せになれない。

    あの人がこうだから、幸せになれない。

    など、
    幸せになれない理由を、
    自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方は、
    『外道(げどう)』の生き方だと、
    言えます。


    さっきも言ったように、キリスト教は、
    神(かみ)という自分とは、かけ離れた存在(そんざい)に、
    幸せを祈ります。

    自分には幸せになる力(ちから)がないから、
    神におすがりすると、いうことです。

    だから、キリスト教は、
    『外道(げどう)』の宗教だと言えます。


    ところが、
    創価学会が実践(じっせん)している
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
    仏法(ぶっぽう)は、違う!!

    創価学会(そうかがっかい)の
    南無妙法蓮華経の仏法では、

    『自分自身が仏(ほとけ)なんだ!』

    と説(と)く。


    『あなたの中に、素晴らしくて最高の
    仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』


    と説く。


    『だから、自分の中から、
    素晴らしくて偉大(いだい)な仏(ほとけ)の生命を引き出して、
    幸せになっていくんだよ!』


    と説く。


    こういう生き方を、

    『内道(ないどう)』

    と言います。


    だから、
    創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
    『内道(ないどう)』の宗教だと言えます。


    ここに、
    創価学会の南無妙法蓮華経の仏法と、
    その他の宗教との
    決定的な違(ちが)いがあります。


    神様や仏様など、
    自分とは、かけ離れた存在に、
    おすがりする、おすがり信仰(しんこう)・・。

    ここには、はっきり言って、
    希望はありません。

    神や仏などを、
    あがめれば、あがめるほど、
    人間との距離(きょり)がどんどん、離(はな)れていく。

    そして、人間は、
    どんどん卑小(ひしょう)になり、
    みじめな存在になっていく。

    そして、精神的(せいしんてき)には、
    神や仏など、
    自分があがめるものの奴隷(どれい)のような
    存在になってしまいます。


    冷静(れいせい)に考えて、
    このような状態で、
    幸せになれるとは、思えません。


    それが、日本にはびこる
    葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
    神社信仰だと言うことも、できます。

    また、はっきり言えば、
    それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、
    間違(まちが)った宗教であり、
    間違っているがゆえに、
    どんなに祈(いの)ったとしても、
    逆(ぎゃく)に不幸になってしまいます。


    それは、さまざまな形で、
    不幸という結果が出てきてしまう・・
    ということです。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

    「invoke」という言葉における、
    「祈る」「祈願する」という意味は、
    自分にないものを、外から呼び出す。

    自分ではなく、
    棚(たな)からぼた餅(もち)のように、
    環境や人、外部の何かを呼び出して、
    幸せになろうという
    意味合いが強いと思います。


    それに対して、創価学会における、
    『祈る』という行為(こうい)は、違う!!!


    創価学会における
    『祈(いの)る』という行為は、
    自分の中から、幸せになる力(ちから)を
    呼(よ)び起こすんです!!


    本来(ほんらい)、自分の中に、
    必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
    存在している!

    その幸せになっていける仏(ほとけ)の生命を、
    自分の中から呼び起(お)こし、
    自分の中から、
    強い強い生命力(せいめいりょく)を
    湧(わ)き上がらせて、
    幸せになっていくんです。

    神様や仏さまに、おすがりするのではなく、
    本来、自分の中にある無限(むげん)の力(ちから)を、
    呼び起こしていく!


    これが、創価学会での、
    『祈る』という行為なんです・・・!


    その内(うち)から溢(あふ)れる『祈り』の結果として、
    自分の生命が輝(かがや)き、
    蘇生(そせい)していく。

    やがて、その蘇生した自分の生命の力によって、
    さまざまな悩みを解決(かいけつ)し、
    夢や希望をかなえて、
    幸せになっていけるんです。

    そして、蘇生(そせい)し輝いた自分の生命が、
    まわりの環境や世界を照(て)らし、
    環境や人、世界をも、
    幸せに変えていくんです。


    それが、創価学会の人たちの『祈り』です。


    その自分の中から、
    仏(ほとけ)の生命という
    無限の可能性(かのうせい)と力(ちから)を、
    湧(わ)き上がらせ、
    自分の中から、悩みや問題を解決し、
    自分の中から幸せを勝ち取っていけるのが、
    創価学会の、
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
    となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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    こころに、打ち出の小槌を54

    2020.02.17 Monday 21:13
    0
      まえに、自動車免許(めんきょ)を取りに、
      教習所に行っていたとき、
      適性検査(てきせいけんさ)みたいな、
      心理(しんり)テストのような問題が出されて、
      やったことがある。

      その中で、


      「いままでに、死にたいと思ったことがあるか?」


      という問いに対して、
      ぼくは、そんなこと言えるか!と思って、

      『いいえ』

      に、チェックを入れました。

      そしたら、あとから、
      先生に、

      「人生に、一度や二度は、死にたいと思ったことは、
      だれだって、ある!

      だから、『いいえ』と答えた人は、
      本心(ほんしん)を言わないで、
      ウソを、ついている!」

      と言われてしまった。


      けれど、

      「ごもっともだ!」

      とも、
      思った(笑・・・)


      以前(いぜん)、テレビで、
      若い小学校教諭(きょうゆ)が
      自殺したという、
      ニュースをやっていたのを
      見たことがありました。

      その若い教諭は、

      「声が大きく、はつらつとした好青年で、
      子供たちとも明るく接(せっ)していた。」

      という。


      そんな好青年(こうせいねん)が、
      なぜ?
      自殺したかは、
      わからない。


      専門家によれば、
      突発性(とっぱつせい)うつ病の可能性が、
      あるそうだ。

      急(きゅう)に、モヤモヤとした、

      「死にたい!」

      という衝動(しょうどう)が、おそってくる。

      そして、その衝動に、
      あまりにも簡単(かんたん)に、
      のってしまった!

      ということだろうか。


      さきほどの話しに戻(もど)りますが、
      人間、生きていれば、
      死にたいと思うようなことは、
      一度や、二度は、あると思う。
      (ぼくも、認めます・・・笑)

      というか、人間は、
      自分に苦難(くなん)が、おそってくると、
      気軽(きがる)に、

      「あ〜〜、死にたい」

      と、愚痴(ぐち)を
      もらすような生き物かもしれない。


      そういう、マイナスの衝動(しょうどう)は、
      生きている以上、何度となく、
      おそってくるだろう。


      ぼくなんか、ほんとうは・・・・
      軽(かる)い、愚痴っぽい、
      「あ〜〜、死にたい」という感情だったら、
      100回以上は、
      あったかも、しれない・・・・。


      けれど、今は、
      創価学会(そうかがっかい)に入っているので、
      その時、まず、
      考えることは、

      『生きる!』

      ということです。


      どっちみち、生きなければならない!


      マイナスの感情に、ひたっていて、
      それで、問題が解決(かいけつ)し、幸せになれるのなら、
      思う存分(ぞんぶん)、
      マイナスの感情に、ひたっていればいい!


      けれど、そんなことは、ありえない!


      だとしたら、
      マイナスの感情に、ひたっていることは、
      単(たん)なる時間の無駄(むだ)になってしまう!


      そこで、頭を切り替(か)える!

      「落ち着くんだ!。くさってはいけない!
      負けてはいけない!
      自分を、取り戻(もど)すんだ!」

      そして、心の中で、
      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
      となえ始める。

      そうすると、自分を見失(みうしな)った自分が、
      我(われ)に返っていく。

      そして、困難(こんなん)な状況を、
      なんとか、乗り越(こ)えていくことが、
      できてきました!

      もちろん、その状況(じょうきょう)が、
      困難であれば、あるほど、
      南無妙法蓮華経を、となえる時間と、数は、
      増(ふ)えていきます。

      当然(とうぜん)の道理(どうり)です。

      いっぺん、南無妙法蓮華経をとなえて、
      すべてが、ぱっと開けるようなことは、
      めったにない!

      ただ、南無妙法蓮華経の力は、
      はかり知れないので、
      たった、いっぺん、
      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
      となえただけで、
      ぱっと開けたという例(れい)も、
      あるようだ。


      よく、創価学会の人に、

      「何かあったら、南無妙法蓮華経を、
      となえるんだよ!」

      と言われ、
      その時は、バカにして、
      軽(かる)く流していても、
      いざ、突発的事故や、病気、事件に
      見舞(みま)われた時、
      創価学会の人に言われたことを、思い出し、
      思わず

      『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)!』

      と、となえ、
      それによって、
      九死(きゅうし)に一生を得(え)たという体験を
      持っている人は、
      創価学会の人でなくても、
      以外(いがい)と、いるようだ!



      さきほどの、自殺した若い教諭が、
      なぜ、急に死を選(えら)んでしまったのか?

      死を招(まね)くようなマイナスの感情に、
      急に、おそわれたとしたら、
      自分の生命(せいめい)の中に、
      マイナスの要素(ようそ)が、
      何かの拍子(ひょうし)に、
      インプットされてしまったのだろうか?

      マイナスの要素が、インプットされたとすれば、
      そのマイナスである不幸の要素を、
      インプットした、
      根本原因(こんぽんげんいん)が、
      どこかに必ず、
      あるはずた!

      その不幸の根本原因を、
      仏法(ぶっぽう)では、


      『間違(まちが)った宗教』にある!


      と、解明(かいめい)している。


      生まれてきた以上、その人には、
      必ず、先祖(せんぞ)がいる!

      その先祖は、必ず、なんらかの、
      宗教に、たずさわっている。

      その宗教が、
      間違った宗教である場合、
      そのマイナスの要素は、
      自分の生命にも、まあ、
      ヘンな言い方をすれば、
      引(ひ)き継(つ)がれ、きざまれていく!

      世間一般に、
      本当は、矛盾(むじゅん)だらけなのに、
      広められている、
      葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
      神社信仰などは、
      マイナスの要因(よういん)を作り、
      不幸の原因を作る、
      マイナスの宗教と思って間違いない。

      そして、なにかの拍子(ひょうし)に、
      フッと、そのマイナスの要素が出てきて、
      その人を、
      不幸へと、
      落とし入れる。


      生命とは、不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
      間違った宗教が、
      人間におよぽす、
      マイナスの影響力(えいきょうりょく)は、
      大きい。

      宗教なんか、関係ない!と、
      笑っているような人でも、

      「自分自身に、マイナス的要因、
      マイナス的要素が、ある!」

      と、思っている人は、
      自分が、
      間違った宗教の悪影響(あくえいきょう)を
      受けていると思って、
      間違いない!!
      と思う。


      実は、その人間の生命における、
      マイナスの要因、マイナスの衝動、
      決定的マイナスと言える病気や事故、事件など、
      そのマイナスを、打ち破(やぶ)るために、
      「真実の仏法(ぶっぽう)」である、
      『南無妙法蓮華経』が、ある。


      マイナスを、打ち破るために、
      『南無妙法蓮華経を、となえる!』


      ぼくも、正直、
      何かあったら、南無妙法蓮華経を、
      となえる!ということを、
      知っていなかったら、
      おそらく、今、
      生きていないだろう!と、
      思うことが、本当(ほんとう)はある。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、

      『南無妙法蓮華経は、獅子吼(ししく)のごとし。
      いかなる病(やまい)、
      さわりをなすべきや』

      と、言っている。


      南無妙法蓮華経は、
      ライオンが、ほえるようなものだから、
      南無妙法蓮華経を、となえたならば、
      どんな病気であっても、
      その人を、苦しめたり、
      危害(きがい)を加(くわ)えることは、
      できない!
      というような意味です。


      これは、病気に、かぎったことではない。


      さきほども言ったマイナスの衝動、
      マイナスの事件や事故!
      そのマイナスを、木っ端微塵(こっぱみじん)に、
      打ち破っていく力(ちから)が、
      南無妙法蓮華経には、ある!
      ということだと思う。


      そう考えると、
      創価学会員であるということ。
      南無妙法蓮華経を、となえられる!ということ。
      『南無妙法蓮華経を、となえる』
      ということを、
      知ってる!ということが、
      どれだけ、幸せか・・!!

      長い人生を、思うと、
      計(はか)り知れないものがある!と、
      こころから、思える・・・・。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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      こころに、打ち出の小槌を53

      2020.01.27 Monday 22:14
      0
        『突破口(とっぱこう)を開け!
         
        大誠実の力で!
         
        わが一生に燦(さん)たる

        「何か」を残せ!』


        これは、まえに聖教(せいきょう)新聞の、
        「わが友に贈(おく)る」にあった文章です。

        わが友に贈るは、
        創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
        池田先生が、
        毎日、聖教新聞に、のせてくれている、
        4、5行の短いメッセージです。


        自分が、ピンときたのは、
        最後の

        「何かを、残せ!」

        と、いうところです。


        具体的内容のことを残(のこ)せではなく、
        『何か』!

        「何か」だったら、
        すべての人が、自分に当(あ)てはめることが、
        できる!


        ものすごく、
        柔軟性(じゅうなんせい)のある言葉だと思った。


        すべての人が勝利するためにあるのが、
        仏法(ぶっぽう)。

        すべての人の現実の生活に、
        完全にマッチして、
        その人らしい、その人だけの幸せを、
        つかませてくれるのが、
        南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法!


        ここに仏法(ぶっぽう)のスゴサがあるように、
        思えた。


        それで、思い出したけれど、
        創価学会の人が、毎日、祈(いの)っている、
        祈る対象(たいしょう)である

        『ご本尊(ほんぞん)』

        も、そうだと思った。


        ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
        表現しきったものなんだけれど、
        この、ご本尊は、
        文字で表現されている。

        真ん中に「南無妙法蓮華経」と、
        仏の生命の根本(こんぽん)の言葉が書かれていて、
        そのまわりに、
        一切衆生(いっさいしゅじょう)のなかにある、
        単純に分けると、
        十種類の生命状態(せいめいじょうたい)が、
        書き表(あらわ)されている。

        その十種類の生命状態を、
        ちょっと、説明すると、

        ●地獄界(じごくかい)
        地獄のような生命状態

        ●餓鬼界(がきかい)
        欲望に、とらわれた、
        本能的(ほんのうてき)な生命状態

        ●畜生界(ちくしょうかい)
        強い時は、いばり、
        弱い時は、卑屈(ひくつ)になるような
        畜生(ちくしょう/ けもの)の生命状態

        ●修羅界(しゅらかい)
        争(あらそ)い怒る、
        たえず、他より、
        まさっていたいと思う生命状態

        ●人界(にんかい)
        人間の平静な生命状態

        ●天界(てんかい)
        何か、とっても、うれしいことがあり、
        天にも昇(のぼ)るような、
        うれしく、幸せな生命状態

        ●声聞界(しょうもんかい)
        何かを勉強して自分を向上(こうじょう)させ、
        何かを、きわめようとする生命状態

        ●縁覚界(えんがくかい)
        自分自身で学ぶというより、
        何かのヒントや、インスピレーションによって、
        何かの真理(しんり)やアイデアを生み出し、
        悟(さと)ろうとする、
        ヒラメキのような生命状態

        ●菩薩界(ぼさつかい)
        子供を見れば、かわいく、いとおしく思い、
        おぼれている猫などを見ると、
        助けてあげたいと思う、
        やさしくて、他のために行動するような、
        あたたかく、慈悲(じひ)深い生命状態

        ●仏界(ぶっかい)
        強くて、あったかくて、やさしくて、
        歓喜(かんき)していて、幸せで、
        どんなことにも負けない、
        すべてに打ち勝つことのできるような、
        無限の可能性を秘(ひ)めた、
        仏(ほとけ)のような最強の生命状態

        ※この、最後の、
        『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、
        南無妙法蓮華経を、となえないと
        人間の生命から、わきあがってきません!!


        実は、この、
        『仏界の生命』が、キーワードになっていて、
        その仏界の生命の名前を、
        『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
        と、いいます。

        すなわち、幸せになる生命、
        幸せをつかむ生命が、『仏界の生命』で、
        幸せをつかむ生命の名前であり力(ちから)であり、
        法則(ほうそく)が、
        『南無妙法蓮華経』だということです。


        幸せになるためには、
        幸せを引き出す必要(ひつよう)があり、
        幸せを呼(よ)ぶ必要がある!

        もっと言うと、
        幸せの名前を呼ぶ必要がある!!

        だから、幸せの名前である、
        『南無妙法蓮華経を、となえる』必要がある!!
        ということです。


        さきほど話したように、
        人間の生命の中には、
        地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏、
        という、
        単純(たんじゅん)に言うと、
        十種類の生命が、
        すべて、ふくまれていて、
        その生命が、何かの縁(えん)によって、
        自分の中から出てきて、
        その人の、その時の、
        生命状態や心理状態となって、
        あらわれてきます。


        実は、創価学会の人たちが祈っている、
        『ご本尊(ほんぞん)』は、
        その、どういう生命状態の人の中にも、
        南無妙法蓮華経という、
        仏(ほとけ)の生命が、そなわっている!
        ということを、表現しています。

        たとえば、今、
        地獄界(じごくかい)の生命状態にあったとしても、
        幸せになる生命、幸せをつかむ生命が、
        本来(ほんらい)、そなわっているので、
        幸せの生命を引き出せば、
        幸せになっていけるわけです。

        今、餓鬼界(がきかい)の生命状態にあったとしても、
        幸せの生命を引き出せば、
        幸せになっていけるんです。

        畜生界(ちくしょうかい)であろうと、
        修羅界(しゅらかい)の生命状態であろうと、
        同じです。
        同じように、幸せの生命を持っているので、
        幸せの生命を引き出せば、
        幸せになっていけるんです。

        その幸せの生命の名前が、
        「南無妙法蓮華経」であり、

        幸せの生命を引き出す方法が、
        「南無妙法蓮華経を、となえる」
        ということです。


        仮(かり)に、今、
        人界(にんかい)の平静な生命状態にあるから、
        幸せの生命を引き出す必要がないかといえば、
        そんなことはなく、
        幸せの生命を引き出すことによって、
        もっと充実した、もっと素晴らしい幸せを、
        つかんでいける!!
        ということです。

        天界(てんかい)の、
        天にも昇(のぼ)るような生命状態であったとしても、
        南無妙法蓮華経を、となえることによって、
        浮(う)かれすぎて、落とし穴(あな)に落ちないように、
        堅実(けんじつ)で、もっと盤石(ばんじゃく)な幸せを、
        つかんでいける!
        ということです。


        今の生命状態が、
        声聞界(しょうもんかい)の
        何かを勉強して自分を向上させる生命状態だったとしたら、
        南無妙法蓮華経を、となえることによって、
        今は勉強で苦しいけれど、
        その苦しさに負けない、
        強い強い、幸せな生命状態になっていけるんです。

        縁覚界(えんがくかい)の生命状態で、
        何かのヒントや、インスピレーションを求め、
        アイデアを生み出だそうとする生命状態であったならば、
        南無妙法蓮華経は、
        無限の創造力(そうぞうりょく)を引き出して、
        アイデアを生み出し、
        幸せをつかんでいけるようになっていきます。

        菩薩界(ぼさつかい)の、
        他のために行動するような、
        あたたかい生命状態であったならば、
        南無妙法蓮華経を、となえることによって、
        幸せの生命を引き出し、
        自分の行動と心を輝(かがや)かせ、
        自分の幸せも、人の幸せも、
        もっともっと、輝かせていけるようになっていきます。


        だから、今、現在、
        どんな環境(かんきょう)、どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
        「仏の生命」が、そなわっているから、
        その最強で、最(もっと)も幸せな「仏(ほとけ)の生命」を、
        出すことができれば、
        どんな人であっても、幸せになっていける!!
        ということです。

        その原理(げんり)と方法を、
        だれにでも、
        簡単(かんたん)にできるように表現されているのが、
        日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書き残された、

        『ご本尊(ほんぞん)』

        なんです。


        だから、『ご本尊』は、
        すべての人に合(あ)っていて、
        すべての人にマッチしている。


        ようするに、すべての人の願いや幸せを、
        かなえる力(ちから)が、ある!
        ということです。

        これが、もし、『ご本尊』が、
        仏像(ぶつぞう)や絵で表現されていたら、
        仏(ほとけ)は、たった、ひとつの形に
        とらわれてしまい、
        自分と適合(てきごう)することは、
        ありません!

        自分とは、かけはなれた仏(ほとけ)に、
        おすがりする、「おすがり信仰」に、なってしまう。


        それでは、人を愚(おろ)かにする、
        間違(まちが)った宗教になってしまう。


        文字で表現された『ご本尊』という、
        具現化(ぐげんか)と、抽象化(ちゅうしょうか)の、
        絶妙(ぜつみょう)なバランス感覚!

        このなかに、
        人間の生命を、みごとに!表現したところに、
        『ご本尊』のスゴサがあるように、
        思う。


        だから、ご本尊に、
        南無妙法蓮華経を、となえる時、
        ひとつの型(かた)に、はまった幸せではなく、
        その人でしかできない、
        その人だけの幸せ、
        その人に完全に適合(てきごう)しきった、
        その人にとっての、

        『何か!』

        を、実現することが、
        できるようになっていきます。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

        単純に言うと、
        人間の生命には、
        地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・
        天・声聞・縁覚・菩薩・仏、の、
        十種類の生命状態が、ある。

        仏法(ぶっぽう)では、その十種類の、
        どんな生命状態の中にも、
        同じように、幸せを開くことのできる、
        最高に魅力的(みりょくてき)で、最高に強い、
        仏の生命が、存在すると説きます。


        その幸せを開くことのできる、
        最強の生命が、
        『南無妙法蓮華経』
        だということです。


        それは、
        『南無妙法蓮華経』という、
        幸せを開くことのできる最強の生命が、
        すべての人間の中に、
        無条件(むじょうけん)に存在(そんざい)する!
        ことを意味します。

        だから、今、
        どんな生命状態の人でも、
        南無妙法蓮華経という、
        最も幸せで、最も強い、
        仏(ほとけ)の生命が、
        自分の中に存在するんだから、
        自分の中から、
        その『南無妙法蓮華経の生命』を、引き出せば、
        だれでも、どんな人でも、
        幸せになることができるわけです。

        その仏(ほとけ)の生命を、
        自分の中から引き出す方法が、

        『南無妙法蓮華を、となえる!』

        ということなんです!


        その仏法における法則(ほうそく)と、
        現実における実践方法を、
        純粋(じゅんすい)に、的確(てきかく)に、
        実践(じっせん)しているから、
        創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
        世界中の創価学会員の人たちが、
        夢や希望を、かなえ、
        現実に幸せを、つかむことができたんです。


        最後に、かさねて言うようだけれど、
        この最高に幸せで、最高に強い仏(ほとけ)の生命は、
        『南無妙法蓮華経』を、となえないと、
        出てこない!!

        だから、本当の意味での幸せを、つかむには、
        ご本尊に、
        この『南無妙法蓮華経』を、となえる以外ない!
        ということだけは、
        言っておきたいと思います・・・・・。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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        こころに、打ち出の小槌を52

        2019.12.28 Saturday 05:45
        0
          創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
          池田先生が、

          なぜ?

          世界の一流の識者(しきしゃ)たちと
          友好(ゆうこう)の和を広げ、
          世界中に、
          創価学会の理解者、支援者(しえんしゃ)の和を広げ、
          世界192ヶ国に、
          創価学会を、
          広めることが、できたのか?


          それは、池田先生が、
          ひとりの人間を、
          他のだれよりも、大切にしたからだ!そうです。



          池田先生は、1974年9月8日、
          創価大学の創立者(そうりつしゃ)として、
          初めてソ連の大地を踏(ふ)んだ。

          出迎(でむか)えたのは、招へい元(しょうへいもと)である
          モスクワ大学のホフロフ総長。

          この初訪ソは、モスクワ大学の招(まね)きに
          よるものだったそうです。

          池田先生が、モスクワの空港に到着(とうちゃく)すると、
          真っ先(まっさき)に出迎えてくれたのが、
          モスクワ大学のホフロフ総長(そうちょう)だったそうです。

          ホフロフ総長は、著名(ちょめい)な放射線物理学者で、
          とても不思議(ふしぎ)な
          人格の魅力(みりょく)にあふれた方だった。

          そして、池田先生と、ホフロフ総長は、
          強い強い、友情のきずなを、結(むす)ぶ。


          1977年、ホフロフ総長は、
          登山中の不慮(ふりょ)の事故で亡(な)くなられました。

          ソ連では、亡くなった人のために、
          知人が、墓参(はかまい)りに行ったり、
          亡くなった人の友人が、
          その亡くなった人の家族のところに行って、
          親交と友情を結ぶような習慣(しゅうかん)は、
          決して、ないそうです。

          けれど、池田先生は、あえて、
          亡くなられたホフロフ総長の墓前(ぼぜん)に行き、
          心からの祈りを、ささげ、
          また、ホフロフ総長の家族のところに、おもむき、
          ホフロフ総長の2人の息子を、
          心から、励(はげ)まして、
          親交(しんこう)を結んだそうです。

          それ以来、
          池田先生と、故ホフロフ総長の家族との親交は続き、
          故ホフロフ総長の息子たちは、
          日本と言えば、創価学会!
          日本と言えば、池田先生!と、
          断言(だんげん)するようになったそうです。


          池田先生が、どれだけ、
          一人の人間を大切にしているか・・・。


          正直(しょうじき)、ぼくにも、わからない・・。


          だから、池田先生の話しを、
          そのまま、
          のせたい・・。

          『当時、日本において、
          ソ連に対するイメージは決してよくなかった。
          社会主義陣営と西側諸国の間の
          壁(かべ)を象徴(しょうちょう)する、
          "鉄のカーテン"という言葉もあった。
          マスコミの影響(えいきょう)も大きかった。

          しかし、ホフロフ氏の人柄(ひとがら)には、
          そうした懸念(けねん)を
          一掃(いっそう)する力があった。

          出会う人の心を、がらりと変えてしまう力があった。


          思えば、モスクワのホテルで出会った
          従業員(じゅうぎょういん)の一婦人との、
          心温(こころあたた)まる交流も忘れられない。


          人の心には、
          さまざまな先入観(せんにゅうかん)や偏見(へんけん)がある。

          それらが、正しい理解や認識(にんしき)を
          妨(さまた)げている場合が、
          あまりにも多い。


          そうした"心のカベ"を破(やぶ)るものは何か。


          それは、温(あたた)かな人間性であり、
          開かれた対話であり、
          どこまでも誠実(せいじつ)な振る舞い(ふるまい)である。』


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

          前に、聞いた話しだけれど、
          池田先生は、まるで、

          『激励(げきれい)マシーン』

          のような人だそうです。

          人がいると、その人を、
          励まさずには、いられない!
          どんなに自分が、疲(つか)れていても、
          体調が悪くても、
          人がいると、励まさずにはいられない!

          励まして、励まして、励ましぬく。


          日本では、池田先生を、
          まるで、教祖(きょうそ)のように考えている人が、
          いるようだけれど、
          ぜんぜん、違(ちが)う!!

          教祖は、信者から見ると、
          あがめる対象(たいしょう)であり、
          「教祖さま〜〜〜!」といって、
          まつりあげる。

          だから、教祖は、信徒(しんと)を、人間ではなく、
          奴隷(どれい)にしてしまう。

          池田先生は、逆(ぎゃく)だ!

          人間を人間として、
          まるで仏(ほとけ)のように尊敬し、
          励まして、励まして、励ましぬく。

          だから、池田先生に会った人は、
          励まされ、自信が、わいてきて、
          勇気がわいてきて、
          人間としての尊厳(そんげん)に、
          目覚(めざ)めていく!


          人間が、人間を、引っ張(ひっぱ)っていく。


          池田先生という人間を見て、
          ぼくも、私も、ああ、なれるんだ!
          なっていくんだ!と、
          勇気と希望を持って、
          人生に挑戦し、前進していける!


          それが、池田先生という、存在(そんざい)だと思う。


          その池田先生を、
          世界の一流の人物たちは、
          鋭(するど)く、見抜(みぬ)いている!

          だから別に、創価学会員でなくても、
          池田先生の行動と思想に注目(ちゅうもく)し、
          池田先生を人生の師匠(ししょう)と
          あおいでいる人たちが、
          世界には、たくさん、いる。


          まして、ぼくたち創価学会員にとっては、
          池田先生は、人生の師匠!!


          仏法(ぶっぽう)においては、
          『師匠(ししょう)』は、
          人生を、人間として生きていくうえで、
          とても大切で、とても深く、
          とても峻厳(しゅんげん)な
          意味があるのだと思います。

          『師匠』の中には、
          人間性、哲学(てつがく)や思想、
          希望と勇気と幸せ、

          それらのものが、集約(しゅうやく)されているように
          思われる。

          けれど、それを説明するのは、
          難(むずか)しい・・・。


          たとえば、
          『ナビゲーター』がいるとする。

          まったく知らない道であっても、
          素晴らしいナビゲーターがいると、
          安心して、その道を進んでいける!


          けれど、そのナビゲーターは、
          それだけではない・・。


          希望と勇気を、与(あた)えてくれる。
          幸せの方途(ほうと)を示(しめ)してくれる。
          もっと言えば、
          自分で幸せの道を歩む力(ちから)を与えてくれる。
          チャンスをつかむ方法も、
          人生を勝利する方法も・・・!!


          そんな信頼(しんらい)すべき、
          幸せと希望に満(み)ちた存在が、
          『師匠』なのかもしれない。



          まったく、何が起こるかわからない
          人生という道、

          どんな苦難(くなん)が襲(おそ)ってくるかも、わからない。

          また、乗り越(こ)えていけるかも、わからない。


          その最も困難(こんなん)な人生という道を、
          安心して、進んでいけるようにしてくれるのが、
          「師匠」だとしたら、
          池田先生は、人生において、
          希望と、勇気と、幸せを、
          自分の行動と、励(はげ)ましによって、
          絶えず、人々に送り続ける、
          世界最高の『師匠(ししょう)』なんだと、
          心から思う・・・・・・!!


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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          category:世界 | by:kokouchi | - | -

          こころに、打ち出の小槌を51

          2019.12.08 Sunday 21:56
          0
            以前、テレビで、
            家族5人を殺害した男性の
            プロファイルを、やっていたのを
            見たことがありました。

            その男性は、
            近所の人たちに聞くと、
            だれもが、すごく、良い人だったと、
            口をそろえたように言っている。


            いつも、にこにこしていて、
            やさしかったと・・・・。


            けれど、大変な惨事(さんじ)を、起こしている。


            よく、犯罪者と、
            回(まわ)りの人たちから見た感じ方に、
            大きなギャップがあるときが、
            ある。

            その男性は、いつか、
            母親を殺してやろうと思っていたと、
            供述(きょうじゅつ)していたようです。


            人間の心の闇(やみ)は、わからない。
            また、はたから見て、
            とても良い人であっても、
            どうして、そんな惨事(さんじ)を、
            起こしてしまうのか?

            それも、わからない。


            人間の心理(しんり)、
            人間の行動、
            人間の中にある闇(やみ)、

            どんなに科学が発達しても、
            人間の心を、解明(かいめい)することは、
            できないのだろうか?


            仏法(ぶっぽう)では、
            そういう、どうにもならないような、
            その人の持っている宿命(しゅくめい)のようなものを、

            「宿業(しゅくごう)」

            という。

            その人の生命に宿(やど)っている業(ごう/宿命)。

            その人の深層心理(しんそうしんり)のなかに、
            どうして、そんな人も自分も、
            不幸にするような心理が、
            宿(やど)っているのか?

            考えれば考えるほど、わからない!


            仏法では、
            その宿業(しゅくごう)とも言える、
            深層心理にまで、言明(げんめい)している。


            なぜ?
            人間は、不幸になる心を宿(やど)し、
            不幸になる行動を、してしまうのか?


            その原因を、仏法(ぶっぽう)は、

            『間違(まちが)った宗教にある!』

            と、明確に言い切っている!


            人は、だれでも、生まれたからには、
            先祖(せんぞ)があり、
            その先祖を、たどっていくと、
            必ず、なんらかの宗教に、かかわっている。

            その宗教が、
            間違った宗教である場合、
            自分には、関係ないと思っていても、
            あるとき、間違った宗教は、
            その宗教が、
            間違った、
            人を不幸にする宗教であるがゆえに、
            不幸な考え方、不幸な行動として、
            深層心理の中から、
            必ず、出てくる時がある!

            たとえば、
            南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
            と、となえる、
            念仏(ねんぶつ)宗(浄土宗、浄土真宗)。

            この念仏宗は、
            この世では、幸せになれないから、
            極楽浄土(ごくらくじょうど)という、
            あの世で、幸せになろうという、
            完全な現実逃避(げんじつとうひ)の宗教です。

            だから、念仏宗の家系(かけい)では、
            何かあると、すぐ現実逃避してしまい、
            また、死にたくなってきます。

            そして、実際(じっさい)に自殺者が、多く出ます。

            だいたい、自殺する人は、
            その人の家系が、念仏宗で、
            その人の深層心理では、
            この念仏宗が、
            悪影響(あくえいきょう)を、およぼしていることが、
            多いと思う。

            そして、念仏宗は、
            『念仏無限地獄(ねんぶつむげんじごく)』
            と言って、
            ちょっと良くなったと思ったら、ドーンと落ちて、
            また、ちょっと良くなったと思ったら、
            ドーンと落ちることの連続で、
            まさに、
            地獄(じごく)のような人生になっていきます。


            宗教というものは、気づかないようでいて、
            ほんとうは、すごく、こわい。


            間違った宗教は、
            宿業(しゅくごう)となって、
            病気にしろ、事件にしろ、
            さまざまな不幸を、呼び起こす。

            だから、宗教なんて関係ないと、
            バカにしていても、
            深層心理の根源(こんげん)の部分では、
            宗教は、自分の人生に、
            大きな影響(えいきょう)を、およぼしている。


            それが、間違った宗教の、
            恐(こわ)いところです。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            この間違った宗教の、
            悪(あ)しき影響を断(た)ち切る方法は、
            ひとつしかない!


            それは、本当(ほんとう)の正しい宗教に、つくことです!


            はっきり、言うと、
            創価学会(そうかがっかい)が実践している、
            真実の仏法(ぶっぽう)である、
            南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
            の仏法を、実践すること。

            それしかない!

            性急(せいきゅう)なようだけれど、
            これだけは、本当に、
            それしかない。

            そのことを、明確に見極(みきわ)め、
            正しい仏法を実践(じっせん)してきたから、
            創価学会の人たちは、
            さまざまな不幸や悩みを、
            逆転して、
            幸せになっていけたんだと思う。

            それは、
            創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
            仏法の信仰(しんこう)によって、
            宿業とも言える悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、
            打ち破(やぶ)ってきたということです。

            病気など健康上の問題にしても、
            貧乏(びんぼう)など、経済的な悩みにしても、
            その悩みが、どんな悩みであれ、
            創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
            仏法(ぶっぽう)の信仰によって、
            それらを乗り越え、解決して、
            幸せになっていったということです。


            創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
            太陽のようなものなんです。

            太陽が昇(のぼ)れば、
            草木についた小さなつゆや水滴(すいてき)は、
            あっというまに、消え去(さ)ってしまう。

            それと同じように、
            創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を
            実践していくことによって、
            どんな宿業(しゅくごう)であっても消し去り、
            幸せを、つかんでいくことが、
            できるんです。


            バカにする人は、
            バカにすると思うけれど、
            別に、バカにしても、しょうがない。

            これは、本当のことだからだです!


            本当は、宗教は、
            人の幸、不幸を決める、
            決定的な部分を、しめている!!


            それは、実際に、
            創価学会が実践している、
            南無妙法蓮華経の、
            真実の仏法(ぶっぽう)を、実践してみないと、
            わからないかもしれない・・・・・。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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            こころに、打ち出の小槌を50

            2019.11.10 Sunday 22:12
            0
              このまえ、
              創価学会(そうかがっかい)のある壮年の方が
              話してくれたんだけれど、
              その人のお母さんも、
              創価学会員なんだけど、
              そのお母さんが、言うには、


              「最近、幸せだと思うのは、
              ご本尊(ほんぞん)に
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
              となえて、
              いろいろ、祈るんだけれど、

              最近は、自分のことを、
              祈(いの)らなくてよくなった!

              それが、なにより、幸せだと思う。」


              と、言っていたそうです。


              ※ちなみに、ご本尊(ごほんぞん)とは、
              創価学会が祈る対象(たいしょう)として信じている本尊で、
              紙などに、すべて文字で描かれた
              曼荼羅(まんだら)です。

              それは、
              日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
              仏(ほとけ)の生命そのものを表現したものであり、
              また、自分の生命そのものを表現したものでもあり、
              その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
              自分の中にも、
              すべての人間の中にも、
              まったく同じように、そなわっていることを
              あらわしたものが、
              ご本尊(ほんぞん)です。


              だから、そのお母さんが、
              ご本尊に祈ることは、

              『人のこと、ばっかり!』

              人の幸せ、地域(ちいき)の幸せ、世界の幸せ!

              それが、なによりの心配事(しんぱいごと)であり、
              興味(きょうみ)の中心だと
              いうことだと思う。


              創価学会では、よく、

              『境涯(きょうがい)』

              という言葉を使うけれど、
              この、お母さんは、
              ほんとうに、
              境涯が、大きいと思う。


              きっと、
              人の幸せ、地域の幸せ、世界の幸せを、
              自分の幸せと感じているんだと思う。


              よく、『境涯(きょうがい)』は、
              幸せを入れる器(うつわ)に例(たと)えられる。

              器(うつわ)が小さいと、
              少しの幸せしか、入れることができない。

              器が大きいと、
              たくさんの幸せを入れることができる。

              それと同じように、
              境涯が小さいと、幸せも小さい。

              自分のことしか考えられない。
              だから、せま〜〜い幸せしか、
              感じることができない。

              境涯が大きいと、幸せも大きい。

              人のことを、世界のことを、
              まるで、自分のことのように、
              喜び、
              幸せを、感じることができる!

              もちろん、それだけでは、いけないと思う。

              自分の悩みや問題がある場合は、
              しっかりと、その悩みや問題に立ち向かい、
              解決していく!

              そのために、ご本尊があり、
              そのために、
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
              となえる!

              けれど、また、それだけでも、いけない。

              なぜかというと、
              人のこと、世界のことを、祈っていかないと、
              『境涯』が、大きくならないからだ!

              境涯が大きくならないということは、
              幸せも、大きくならないということです。

              だから、人のこと、地域のこと、
              世界のことを、祈っていくことも、
              ものすごく、大切!

              けれど、不思議(ふしぎ)なことに、
              ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていると、
              はじめは、悩みが、いっぱいあって、
              自分のことしか祈っていないのに、
              それが、だんだん変わってきて、
              人のことを、
              真剣に祈れるようになってくる!


              幸せのレベルが、
              違(ちが)ってくるということだと、思う。


              不思議だけれど、南無妙法蓮華経には、
              人間の境涯(きょうがい)を、
              開く力(ちから)がある!


              池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
              まえに言っていた。


              『ご本尊に祈るのに、祈り方なんてない!
              自分の思うがままに、祈ればいい!』


              人間の、どんな思いも、
              ありのままに受け止め、
              それを、最高に良い結果として、
              出してくれるのが、
              ご本尊であり、
              また、それが仏法(ぶっぽう)だと思う。

              もちろん、自分が祈った内容とは、
              違う結果が出ることもある。

              けれど、幸せという観点(かんてん)から見ると、
              その時は、わからなくても、
              最高の結果が出てきたことが、
              あとになって、
              わかることが、よく、ある!


              それが、
              南無妙法蓮華経の不思議なところです。


              祈ったとうりのことが、かなったら、
              幸せにならない場合は、
              祈った通りには、ならないで、
              別の結果が出る!


              しかも、それは、
              幸せということから考えると、
              最高の結果が、出ている!


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


              幸せとは、なんだろう?


              と考えていくと、
              ほんとうに難(むずか)しい!

              自分の願いが、かなったら、
              幸せだ。

              でも、自分だけの願いが、かなっても、
              他の人たちが不幸だったら、
              あんまり、幸せでないかもしれない。

              人も、自分も、
              幸せにしていけるのが、
              「仏法(ぶっぽう)」です!

              南無妙法蓮華経を、となえていくと、
              祈っている内容は、どうであれ、
              自然(しぜん)と、人も、自分も、
              幸せになる方向に、進んでいける!

              これが、自分だけの幸せだったら、
              幸せは、小さい。

              けれど、創価学会が実践(じっせん)している、
              南無妙法蓮華経の仏法は、
              絶対(ぜったい)、そうはならない!


              自分も、人も、世界も、
              幸せになっていく。


              だから、スゴイ!
              だから、ほかの何よりも、
              本当の幸せを、
              心から、
              感じることができる!


              こういうのを、『歓喜(かんき)』という。


              だから、日蓮大聖人は、

              『南無妙法蓮華経は、歓喜の中の、大歓喜なり!』

              と、言ったんだと、思う・・・・!


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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              category:幸せ | by:kokouchi | - | -

              こころに、打ち出の小槌を49

              2019.10.26 Saturday 05:40
              0
                創価学会(そうかがっかい)で
                仏法(ぶっぽう)を学んでいくなかで、
                不軽菩薩(ふきょうぼさつ)という菩薩の話しが、
                でてきます。

                不軽菩薩(ふきょうぼさつ)というのは、
                どんな人間であっても、
                すべての人の中に
                仏性(ぶっしょう)という、
                仏(ほとけ)のように
                清(きよ)らかで、強くて、素晴らしい、
                最高の生命があることを説くために、
                すべての人間を、
                礼拝(れいはい)して回ったという菩薩(ぼさつ)です。

                そのため、みんなから、
                うさんくさがられ、バカにされ、
                石を投げられたり、たたかれたりして、
                迫害(はくがい)を受け続けました。

                けれど、その行動は、
                仏法(ぶっぽう)から見ると、
                人間の生命を最大に尊敬(そんけい)する
                正しい行動だったので、
                その功徳(くどく)によって、
                不軽菩薩は、宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、
                成仏(じょうぶつ)し、
                後の世に(来世・未来世に)、
                釈尊(しゃくそん/釈迦・ブッタ)となって
                生まれてきたという話しです。


                ようするに、不軽菩薩は、
                釈尊(しゃんそん・ブッタ)の、
                過去世(かこせ)の姿だったということです。


                その不軽菩薩の話しから、
                以前、創価学会の先輩(せんぱい)が、

                『人は、実(じつ)は、自分を写す鏡(かがみ)なんだ!』

                という話しを、してくれた。

                どういうことかというと、
                人の中にある仏性(ぶっしょう/仏の生命)を
                たたえるということは、
                実は、自分の中にある仏性(仏の生命)を
                たたえていることになり、
                人を、たたえ、尊敬(そんけい)することが、
                実は、自分自分を、たたえ、尊敬することになり、
                自分を、自分の人生を、
                幸せの方向に、
                大きく、開花(かいか)させていくことになる!
                ということです。


                人というのは、
                自分の心に反応(はんのう)して、
                自分の心に、対応して、
                自分の心の鏡(かがみ)のように、感情や、しぐさや、
                行動を、起こしていくという
                一面(いちめん)もある。

                その人を、バカにして話していれば、
                それは、伝(つた)わり、
                相手は、
                冷淡(れいたん)な態度で接(せっ)してきます。

                こっちが、尊敬して対応(たいおう)していると、
                相手も気持ちよくなって、
                こちらを尊敬してくれます。

                そう、単純(たんじゅん)には、いかないけれど、
                営業にしても、
                こっちが、自信なく話していれば、
                相手は、軽(かる)く、あしらってきます。

                こっちが、自信を持って堂々(どうどう)と話していると、
                相手は、
                「そうかなあ!」と思って、
                乗(の)る気で、対応してくれます。


                単純なようで、あたりまえのようだけれど、
                確かに、そうだと思います。


                『人は、自分を写(うつ)す鏡!』


                ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


                人を尊敬して接すれば、接するほど、
                自分も、尊敬される。


                それは、なんとなく、わかる。


                けれど、ここには、無理(むり)がある。


                いくら、人を、心から尊敬しろと言われても、
                なかなか、実際には、
                難(むずか)しいこともあると思う。

                また、ネックとして、
                人を尊敬するためには、
                自分の存在(そんざい)も、尊敬していなければ、
                なかなか、できない!

                自分の存在に大きな価値(かち)があり、
                自分が生きているということに、
                大きな尊敬を感じることができなかったら、
                確かに、人を心から尊敬するということも、
                できないと思う・・・。


                そこが、ポイントだと思う。


                自分を、心から、尊敬しているという人は、
                なかなか、いないと思う。

                また、心から、自分は尊敬できない!
                というのが、本音(ほんね)だと思う。

                自分を、尊敬するというのは、
                ちょっと、おかしな表現かもしれないけれど、
                自分は、本来(ほんらい)、
                ほんとうに強くて、やさしくて、
                あったかくて、魅力(みりょく)があって、
                どんなこともに負けない、素晴らしい人間なんだ!
                と、わからせてくれる、

                「何かの存在」

                が、必要となるのは
                事実だと思う。


                普通、人間は、鏡(かがみ)を見て、
                自分の姿を、認識(にんしき)する。

                自分は、こうなんだ!と、
                鏡を、見ることによって、
                わかることが、できる。

                けれど、それは、見た目、
                表面(ひょうめん)上のことにすぎない。

                これが、もし、
                自分の生命の、心の底(そこ)まで
                見ることのできる鏡があったら、
                自分の生命が、どういうものか?
                認識することが、できる。

                その、自分は、ほんとうに強くて、
                やさしくて、あったかくて、魅力があって、
                どんなこともに負けない、素晴らしい人間なんだ!と、
                自分の生命の底から、
                認識させてくれる『鏡(かがみ)』が、
                実は、
                創価学会が祈る対象(たいしょう)として
                信望(しんぼう)している、

                『ご本尊(ほんぞん)』

                なんです。

                ※ご本尊とは、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
                仏(ほとけ)の生命を文字で表現しきった、
                紙などに描かれた曼荼羅(まんだら)です。


                最強最高の自分を写しだす鏡!
                それが、『ご本尊(ほんぞん)』!!


                その、ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
                現(あらわ)している。

                仏(ほとけ)の生命というのは、
                強くて、あったかくて、やさしくて、
                絶対に負けない、
                最高に輝(かがや)いた魅力的な、
                しかも、無限の可能性とエネルギーを
                秘(ひ)めた生命なんだけれど、
                それは、そのまま、
                『自分自身の生命を、現(あらわ)してもいる!』

                すなわち、
                強くて、あったかくて、やさしくて、
                絶対に負けない、
                無限の可能性とエネルギーを秘(ひ)めた、
                最高に素晴(すば)らしく輝いた生命が、

                『自分の中』に、
                『明(あき)らかに、存在している!』

                ということを、
                伝えるために、『ご本尊』は、ある。

                ご本尊自体が、
                必ず、幸せになっていける、
                必ず、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)えていける、
                必ず、夢や希望をかなえていける、
                最高にすばらしい本当の自分自身を、
                そのまま映(うつ)し出した、
                『鏡』
                だということです。

                だから、『ご本尊』に、
                南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
                となえる時、
                『ご本尊』という、『自分の鏡』を見て、
                強くて、あったかくて、やさしくて、
                絶対に負けない、
                最高に輝いた魅力的な自分自身を、
                思い出し、感応(かんのう)して、
                実際に、そういう生命が、
                自分の中から、わき上がってくる。

                そのことによって、
                本来の自分に戻(もど)ることが、できる!!


                その『本来の自分に戻る』とは、
                無限の可能性とエネルギーを秘めた自分自身に、
                戻ることができると、いうことです。

                そして、
                その自分の中から湧(わ)き上がってきた、
                本来の、無限の可能性を秘(ひ)めた
                生命の力によって、
                悩みを解決できたり、
                夢や希望をかなえていけたり、
                するわけです。

                また、ご本尊に、
                南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
                自分の中から、本当の生命の尊厳(そんげん)が、
                わき上がってくるので、
                そのことによって、
                自分と同じように、
                人も、尊敬することが、
                できるようになってくる!
                と、いうわけです。


                日々、『ご本尊』に、
                南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
                となえていくことによって、
                それが、自然に身についていき、
                無理をしなくても、
                自然に、人を、尊敬する接(せっ)し方が、
                できるようになっていくということです。



                少し、話しましたが、
                ご本尊と南無妙法蓮華経のスゴサは、
                悩みや問題が解決できたり、
                夢や希望をかなえていけたりして、
                計(はか)り知れない可能性がありますが、
                ご本尊に南無妙法蓮華経を
                となえていくことによって、
                自分の中から、
                最高の尊厳(そんげん)がわきあがり、
                また、人も心の底から、
                自然に尊敬できるようになっていく!ということも、
                この、『ご本尊』と、
                南無妙法蓮華経の、
                スゴサだと思う!


                ともかく、人は自分を写す鏡・・・。

                人が、自分を写す鏡だとしたら、
                その鏡を、最高に素晴らしく、
                魅力的な鏡にするのが、
                『ご本尊』の存在であり、
                自分も、人も、
                最高に尊敬する行為(こうい)が、
                『ご本尊』に、
                南無妙法蓮華経を、となえることに、
                なるんだと思う・・・・。


                ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                JUGEMテーマ:日記・一般



                category:こころ | by:kokouchi | - | -

                こころに、打ち出の小槌を48

                2019.10.05 Saturday 05:44
                0
                  日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
                  御書(ごしょ)に、
                  諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)という
                  御書があります。
                  (御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
                  論文や手紙を、すべて集めたものです)

                  この御書(ごしょ)のなかに、

                  『日蓮一人はじめは
                  南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と
                  唱(とな)えしが、
                  二人、三人・百人と、
                  次第(しだい)に唱え、つたふるなり、

                  未来も又(また)しかるべし。』


                  とある。


                  組織論(そしきろん)として、
                  すべてに言えることとして、

                  その組織が、一人しか、いなかったら、
                  自分が、やるしかない。

                  それが、2人になると、
                  だいぶ、楽(らく)になってくる。

                  自分が、できないときは、
                  替(か)わって、やってくれる人が、いるからだ。

                  それが、三人になると、
                  劇的(げきてき)に変化が起こってくる!

                  2人だけだと、その2人は、
                  自分と似(に)かよった、
                  同じような趣味や趣向(しゅこう)を持った、
                  狭(せま)い範囲(はんい)の人しか、
                  集めることはできない。

                  ところが、これが、三人になると、
                  自分の趣味や趣向、性格とは、
                  まったく違(ちが)うような人たちも、
                  仲間として、
                  入れていけるようになってくる。

                  だから、組織は、
                  三人になった時から、
                  劇的に発展していく。


                  これが、組織を発展させていく原理(げんり)だという。


                  一人から二人へ、二人から三人へ・・。


                  この原理なくして、組織は、
                  現実的に広かっていくことはない。

                  だとしたら、組織を強くする鍵(かぎ)は、
                  やっぱり、
                  一対一の誠実(せいじつ)な対話なんだと思う。

                  最も、地味(じみ)なようで、
                  これしか、
                  組織を強くする方法は無(な)いんだと思う。


                  池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
                  青年から、どうしたら、
                  組織を強くできるか?と、質問され、

                  「それは、一人の人間と、会っていくことだ!」

                  と、答えてくれたそうです。


                  一人を大切にすることが、
                  組織を強くすることに直結(ちょっけつ)する。


                  現代という時代は、

                  「大きな組織の中では、オレの力なんて」

                  とか、

                  「俺が、いくら、がんばったって、
                  世界が、変わるわけではない」

                  とか、

                  一人の力を、過小評価(かしょうひょうか)し、
                  卑下(ひげ)する傾向にあると思う。

                  けれど、さっきの組織論からいうと、
                  それは、まったく、逆(ぎゃく)だということになる!

                  巨大な組織を強くする、ということは、
                  一人の人間を、強くする、
                  一人の人間を、最大に尊敬する、
                  一人の人間の価値(かち)を、最大に評価していく!


                  これしか、ないということだと思う。


                  そして、この結論として言えることは、
                  巨大な組織よりも、はるかに大きな価値が、
                  一人の人間には、ある!

                  巨大な一国を左右(さゆう)できるだけの、
                  偉大(いだい)な力を持っているのは、
                  実は、たった一人の人間だと、
                  いうことになる!


                  だから、一人の人間を、
                  ぜったいに、卑下(ひげ)してはいけない!

                  一人の人間の価値を、
                  最大に認め、
                  賛嘆(さんたん)している組織や国が、
                  結局は、
                  栄(さか)え、発展していく。

                  一人の人間の価値を、過小評価し、
                  バカにしている組織や国は、
                  やがては、滅(ほろ)んでいく運命に、
                  あると思う。


                  ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                  一人の人間の幸せを考える時、
                  そのネックにあるのは、

                  自分という一人の人間の価値を、
                  最高最大に認(みと)めてほしい!

                  自分の生きている価値を、
                  最高最大に感じて生きたい!

                  ということではないかと、思う。

                  だから、
                  その一人一人の切実(せつじつ)な願いを、
                  かなえることができる団体が、
                  伸(の)び、発展していくことになる。


                  日蓮大聖人が、
                  南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
                  となえだした時、
                  一人だった!

                  だが、やがて、2人、3人と増え、
                  最終的に、南無妙法蓮華経を
                  となえるようになったのは、
                  日蓮大聖人の生前中に、
                  全国の日本人の十分の一にまで、
                  なったそうです。

                  しかも、これは、
                  一国をあげて、
                  日蓮大聖人と、その門下(もんか)を、
                  迫害(はくがい)し続けてきて、
                  それでも、それだけ、
                  南無妙法蓮華経が広がってきたと
                  いうことです!

                  さっきの組織論から考えていくと、
                  南無妙法蓮華経は、
                  あらゆる、一切(いっさい)の迫害を超(こ)えて、
                  一人の人間の価値を、
                  どこまでも、最高最大に、たたえ、
                  最高最大に、開花(かいか)させていく、

                  『最強の人間讃歌(にんげんさんか)の法則(ほうそく)』

                  なんだと思う。

                  まるで、
                  消えることのない太陽の炎(ほのお)のように、
                  こころと生命を、
                  幸福にし、
                  王者のように輝(かがや)かせてくれる!!

                  だから、どんな迫害も、
                  南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                  人間の生命に起こる変革(へんかく)。

                  すなわち、
                  一人の人間の生命に、
                  最大の価値と無限の可能性を開く『革命(かくめい)』を、
                  はばむことは、できなかったんだと、
                  思う。


                  現在では、創価学会(そうかがっかい)は、
                  世界192ヶ国に広がり、
                  24時間、世界のどこかで、
                  必ず、南無妙法蓮華経を
                  となえている人がいるそうです!


                  日蓮大聖人の予言(よげん)どおりに、なってきた。


                  それは、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
                  人間の価値と可能性を、
                  最大に開花させてきた結果であり、
                  ひとりひとりの悩みや問題を解決し、
                  夢や希望を、かなえてきた結果だと思う。

                  それは、
                  ひとりの人間を、
                  現実に強くし、
                  現実に幸せにしてきた。

                  ひとりの人間を
                  強く幸せにしていくならば、
                  結局(けっきょく)、
                  それは、
                  社会を、
                  世界を、
                  強くし、
                  幸せにしていく結果となる。


                  ゆえに、
                  この創価学会の、
                  南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰ほど、
                  世界に、
                  平和と、幸せと、希望の世界を、
                  ひろげていく方法はないと
                  結論(けつろん)しても、
                  なんの問題もない・・・・。


                  ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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                  こころに、打ち出の小槌を47

                  2019.09.25 Wednesday 20:55
                  0
                    以前、インターネットで、
                    2チャンネルという書き込みを見ていたら、
                    創価学会(そうかがっかい)の話しが、
                    のっていた。

                    「創価学会にだって、悪人は、いるじゃないか!」

                    とか、

                    「創価学会の人が、みんな、善人(ぜんにん)ではない」

                    とかいう話しを、していた。


                    それは、そうだと思う。


                    創価学会に反逆(はんぎゃく)した人たちだって、
                    もとは、創価学会だったわけだし、
                    まあ、悪人だから、
                    創価学会から出ていったわけだけれど、
                    もとはといえば、創価学会員だ。

                    創価学会は、

                    どんな人でも、幸せにしたい!

                    と、願っているわけだから、
                    いろいろな人が、創価学会に入ってきて、
                    当然(とうぜん)だと思う。


                    けれど、信心が、狂(くる)ってしまったら、
                    その人は、狂っていく。


                    仏法(ぶっぽう)の原因と結果の法則(ほうそく)には、
                    一点の狂いもない!

                    だから、仏法の信心(しんじん)が狂ってしまった人が、
                    おかしくなるのは、
                    逆(ぎゃく)の意味で、
                    この仏法(ぶっぽう)が、
                    真実の法則であることの証明だと思う。

                    創価学会に入っても、
                    信心がなくなり、創価学会員を
                    バカにするようになった人が、
                    幸せになったら、おかしい!

                    それとは、まったく逆の、
                    悲惨(ひさん)な結果が出て当然だと思う。

                    だから、逆に、
                    仏法の信仰(しんこう)を、
                    素直に、純粋(じゅんすい)にやっていると、
                    思いもよらなかった幸せを、つかめるのも、
                    仏法の道理(どうり)だと思う。


                    勘違(かんちが)いしてもらっては、
                    困(こま)ると思う。


                    池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、
                    どんな悪人であっても、
                    創価学会員である以上、
                    なんとか、良くしよう!良くしようと、
                    心を、砕(くだ)いていたように思える。


                    けれど、ひとたび、
                    創価学会に牙(きば)を向いたならば、
                    絶対に、許(ゆる)さない!


                    なぜかと言うと、その悪を許したら、
                    創価学会の清浄(せいじょう)な世界が、
                    壊(こわ)されてしまうからだ!

                    創造(そうぞう)は、一生、
                    破壊(はかい)は、一瞬(いっしゅん)。

                    ほんとうは、一瞬の気の緩(ゆる)みも
                    許されないのが、人生だと思う。

                    だから、悪は、許さない。


                    ともかく、仏法(ぶっぽう)は、きびしい!
                    勝つか、負けるかだ。

                    単純(たんじゅん)に考えると、
                    この世界は、
                    悪人が勝つか、善人が勝つかの戦場だと思う。

                    中途半端(ちゅうとはんぱ)は、ありえない!

                    善人が、おとなしくしていれば、
                    悪人は、いい気になって、
                    どんどん、のさばっていく。

                    悪人というものは、際限(さいげん)を知らない。

                    日本人は、
                    「これくらいは許(ゆる)してやれば、
                    いいじゃないか」
                    とか、
                    そういう、中途半端な黙認(もくにん)を、
                    美徳(びとく)と考える傾向(けいこう)があると思う。

                    けれど、相手(あいて)が、
                    あきらかな悪人の場合、
                    それは、
                    間違(まちが)いとなる。

                    そんなことをして、悪人が反省するとでも、
                    思っているのだろうか!

                    そんなことは、絶対にない。

                    悪人というものは、
                    気を許せば、
                    許すだけ、際限なく広がっていくものだ。

                    ドイツが、昔、
                    ナチスだった人たちを許さなかったのも、
                    そういうことだと、思う。

                    ナチスの悪人を、
                    たとえ、地の果(は)てまでも、
                    追い詰(つ)め、断罪(だんざい)していく。

                    それが、人間としての、
                    誠実(せいじつ)な、
                    真実の生き方だと思う。


                    だから、創価学会も、
                    悪人を絶対に、許さない。

                    ほんとうに、くどいようでも、
                    はたから見たら、みっともないように見えたとしても、
                    徹底(てってい)して、悪を責(せ)め、
                    追及(ついきゅう)しつづける!


                    それが、人間の正義(せいぎ)を、
                    善(ぜん)を、
                    強く高め、
                    自分を、世界を、
                    平和に、幸せにしていく
                    法則であり、方法だからです。


                    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                    ただし、よく、誤解(ごかい)されるのは、
                    創価学会員は、なにも、
                    善人になるために、
                    信心しているのでは、ない。

                    そうではなくて、
                    『幸せになるために』、
                    信心をしている。

                    はたから見て、なんの、けがれもないような、
                    いわゆる、石にも棒(ぼう)にも当たらないような、
                    そんな善人になる必要は、
                    なんにも、ない。

                    この、けがれた、みだれきった世界に
                    生きている以上、
                    ひとくせも、ふたくせも、あって、
                    当然だと思う。

                    日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の時代に、
                    大聖人の弟子で、
                    四条金吾(しじょうきんご)という素晴らしい弟子が
                    いたけれど、
                    彼は、武士だ。

                    武士(ぶし)といえば、人を切ることを
                    商売としているとも言えるから、
                    まあ、悪く言えば、人殺しだ。

                    よく考えたら、こんな悪人は、いない。

                    けれど、それは、生きていく上で、
                    しょうがないことだとも、言える。

                    仏法(ぶっぽう)は、
                    そういう現実の中で生きている人間を、
                    ひとりも、否定(ひてい)しない!

                    ひとくせも、ふたくせも、あろうが、
                    どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
                    その人間の生命の中に、
                    輝(かがや)かしく、
                    素晴らしい生命を見いだして、
                    ひとりひとりが、生活の中で、
                    実感(じっかん)でき、
                    満足していける最高の幸せを、
                    つかませてくれる。


                    それが、仏法(ぶっぽう)だと思う。


                    あえて言えば、
                    どんな傾向性(けいこうせい)がある人間であっても、
                    幸せという観点(かんてん)から見て、
                    その人が、最大限に生かされていく。

                    自分の人間としての傾向性が、
                    すべて、プラスへと、変えられていく。

                    よく、コメディーで、
                    自分が、悪意(あくい)でやっているのに、
                    それらが、すべて、良い結果を生み、
                    なぜだか、幸せになってしまうという
                    ドラマが、ある。

                    上の例(れい)は、少々、おおげさだけれども、
                    創価学会が実践(じっせん)している、
                    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を、
                    真剣に、実践していくと、
                    ほんとうに、そうなっていく。


                    不思議(ふしぎ)だけれど、
                    それが、南無妙法蓮華経の力(ちから)であり、
                    仏法が、生命に及(およぼ)ぼす、
                    素晴らしい力だと、思う・・・・・。


                    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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                    こころに、打ち出の小槌を46

                    2019.09.08 Sunday 13:22
                    0
                      まえに、聖教(せいきょう)新聞の
                      「わが友に贈(おく)る」に、
                      こう、書いてありました。
                      (わが友に贈る、は、池田先生
                      [創価学会インターナショナル会長]が
                      毎日、新聞に、のせてくれている短い
                      4・5行のメッセージです)


                      『幸福の軌道(きどう)は、
                       
                      すべて御書(ごしょ)にある!』



                      『幸福の軌道は、
                      すべて、御書にある!』

                      スゴク、心に残(のこ)った。

                      御書(ごしょ)というのは、
                      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が
                      書かれた論文や手紙を
                      すべて集めたものなんだけれど、
                      その中に、

                      『幸福の軌道のすべてが、ある!』

                      ということだ・・・。


                      なぜだろう?


                      本を読むのが好きな人は、
                      だいだい、心の支(ささ)えのように
                      思っている本が、あったりする人が多い。

                      それは、その本を読むと、
                      元気になる。
                      勇気がわく。
                      希望が、出てくる。
                      自分の励(はげ)みになる等が、あげらける。

                      しかし、『幸せの軌道のすべてがある!』
                      と、言い切れる書物が、あるだろうか?


                      それが、『御書(ごしょ)』だという。


                      日蓮大聖人は、
                      貧(まず)しい漁民の子として生まれたが、
                      子供のころから、お寺なので、
                      勉学に励(はげ)んだ。

                      当時(とうじ)は、
                      お寺や寺院は学校のようなもので、
                      一流の寺院は、
                      現代の大学に等(ひと)しかった。

                      日蓮大聖人は、超優秀な子供で、
                      とんとん拍子(びょうし)に学位を取得(しゅとく)し、
                      なんと、17才で、
                      仏教の総本山といえる比叡山(ひえいざん)で、
                      今でいう教授(きょうじゅ)になっている。

                      現代的に言えば、天才的な頭脳(ずのう)を
                      持っていたんだと思う。


                      しかも、日蓮大聖人には、誓(ちか)いがあった。


                      それは、
                      全民衆を、不幸から救いたい!
                      はるか未来にまでわたる、
                      全民衆を、幸せにしたい!!


                      ということだった。

                      そして、日蓮大聖人は、
                      とうとう、自らの生命で、
                      仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)である
                      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
                      悟(さと)っていく!


                      この時点で、日蓮大聖人は、躊躇(ちゅうちょ)した。


                      「もし、自分が悟った
                      仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)、
                      南無妙法蓮華経を、人々に説いたならば、
                      想像を絶(ぜっ)する迫害(はくがい)にあうであろう!」


                      なぜなら、当時の宗教というものは、
                      自分の権力(けんりょく)を思うがままに
                      あやつるための道具にしかすぎず、
                      権力者にとっては、
                      民衆を、自分たちの奴隷(どれい)にする、
                      かっこうの材料であり、
                      隠(かく)れみのだったからです。

                      もし、真実の仏法(ぶっぽう)である
                      南無妙法蓮華経を広められてしまったら、
                      自分たちの私腹(しふく)を、こやすための宗教が
                      否定(ひてい)されてしまい、
                      商売、あがったりとなり、
                      とんでもない!

                      だから、日蓮大聖人を亡(な)き者にしようと、
                      徹底的(てっていてき)に迫害してくるのは、
                      目に見えていた。


                      だが、
                      この南無妙法蓮華経を説(と)かなかったら、
                      不幸に、あえいでいる人々を、
                      救うことはできない!

                      だったら、説くべきだ。


                      けれど、迫害に負けて、
                      途中で降参(こうさん)するようだったら、
                      最初から、説かないほうがいい!

                      その、とてつもない葛藤(かっとう)の中で、
                      日蓮大聖人は、すべての民衆のため、
                      もっと言えば、未来の全世界の民衆のために、
                      究極(きゅうきょく)の法(ほう)である
                      『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』を、
                      説こうと、決断する!


                      そして、予想(よそう)どおり、
                      とてつもない命に及(およ)ぶ、迫害を受けながらも、
                      全民衆のために残されたのが、
                      この『御書(ごしょ)』だと、
                      考えていいと思う。


                      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                      御書は、
                      人が、普通、本に期待(きたい)する、
                      その本を読むと元気になる。
                      勇気がわく。希望が出てくる。
                      励(はげ)みになるというレベルでは、
                      ないと思う。

                      最高の哲学(てつがく)と、
                      最高の幸せの法則(ほうそく)を、
                      生命に刻(きざ)むことのできる書物、


                      それが、御書(ごしょ)なのだろうか!


                      御書には、すごく、わかりやすい部分もあるけれど、
                      すごく、難(むずか)しい部分もある。

                      日蓮大聖人は、手紙を送った相手によって、
                      頭の良い人には、難しい内容を、
                      なもない庶民(しょみん)には、ほんとうに、
                      わかりやすい内容を、
                      というように、
                      自由自在(じゆうじざい)に、
                      表現を変えている。


                      創価学会(そうかがっかい)では、
                      よく、「御書根本」とか、
                      「御書を、心肝(しんかん)に染(そ)める」
                      とか言う。

                      それは、御書が、
                      自分の人生を、幸せに導(みちび)いてくれる!
                      あるいは、
                      自分の人生を、
                      勝利してゆくための鉄則(てっそく)が、
                      御書に、すべて、ふくまれている!

                      ということだと思う。


                      けれど、御書は、難しい・・・。
                      だって、古文(こぶん)で書いてあるから・・・


                      現代では、
                      創価学会の機関紙(きかんし)である聖教新聞や、
                      月刊誌『大百蓮華(だいびゃくれんげ)』などで、
                      御書の一部分を抜粋(ばっすい)して、
                      現代語に訳(やく)して解説してくれているけれど、
                      それにしても、御書は、
                      理屈(りくつ)で理解しようとするには、
                      やはり、
                      限界(げんかい)がある。

                      どういうことかというと、
                      本当の意味では、
                      御書を理屈で理解しようとしても、
                      それだけでは、

                      『自分の人生を幸せにすることは、できない!』

                      ということです。


                      御書が、人々の夢や希望を、かなえ、
                      幸せに導(みちび)く手立(てだ)てとなるのは、
                      なぜかというと、
                      それは、自ら、南無妙法蓮華経を、となえて、
                      仏法の実践(じっせん)をするなかで、
                      その実践の中で、自分の生命で、
                      御書の内容を、感じとっていくからだと思う。


                      御書を、
                      現実の人生の、
                      幸せを切り開くための書物にするためには、
                      やはり、自分で、
                      南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を
                      実践するしかないということです。


                      それ以外、
                      『御書』を、
                      『幸せ』 『人生の勝利』に
                      直結(ちょっけつ)させていく方法は、
                      ないでしょう・・・。


                      ともかく・・・
                      それにしても言えることは、
                      人間の、幸福への軌道を、
                      あますことなく、明確(めいかく)に、
                      表現しきっている書物は、
                      『御書(ごしょ)』しかない!

                      ということだと、思う・・・。


                      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                      JUGEMテーマ:日記・一般



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