こころに、打ち出の小槌を59

2020.06.05 Friday 05:42
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    先日、DVDで、
    『奇跡(きせき)の動物園・旭山(あさひやま)動物園物語』
    というドラマを、見ました。

    旭山動物園の話しは有名だから、
    知っていましたが、
    飼育員(しいくいん)たちの知恵と努力には、
    ほんとうに感心させられました。

    また、動物たちの、
    かわいいこと!かわいいこと!
    その生き生きとした姿(すがた)が、
    画面を通しても、
    伝(つた)わってきました。

    また、人間が、
    知恵と努力を、しぼっていけば、
    これほどまでも、変わっていけるんだ!
    と、なんだか、
    希望を、もらった気がしました。


    まえに、
    聖教(せいきょう)新聞の
    「名字(みょうじ)の言(げん)」にも、
    (名字の言とは、聖教新聞に毎日のっている、
    短く、読みやすく、まとめられたコラムです)
    その「旭山動物園」の記事が、
    のっていました。


    旭山動物園は、
    以前(いぜん)、入園者の減少から、
    閉鎖寸前(へいさすんぜん)まで、
    追い込(こ)まれたそうです。

    予算もない。
    施設(しせつ)も老朽化(ろうきゅうか)、
    取り立てて珍(めずら)しい動物が、
    いるわけではない。

    おまけに病気で、
    動物が、
    あいついで倒(たお)れました。


    八方(はっぽう)ふさがりの
    逆境(ぎゃっきょう)を切り開いたのは、
    職員の、

    『夢』と『知恵(ちえ)』と『情熱(じょうねつ)』

    だった。


    『動物を一番よく知っているオレたちが、
    動物のすごさを、伝えよう!』


    人前で話すのが苦手(にがて)な飼育員が、
    ワンポイントガイドに挑戦した。

    動物が、
    最も生き生きしている姿を見てもらおうと、
    展示(てんじ)にも、
    工夫(くふう)を重ねた。


    奇跡の復活劇(ふっかつげき)は、
    一人ひとりが、自分のできるところから、
    挑戦(ちょうせん)した結果だったそうです。


    それと同じように、
    だれにも、試練(しれん)や苦難に
    直面(ちょくめん)する時がある。

    現実の厚(あつ)い壁(かべ)を前に、
    躊躇(ちゅうちょ)して立ち止まるか、

    自分のできることから行動を起こすか、

    そこに、変革(へんかく)の分(わ)かれ目がある!


    「足下(そっか)を掘(ほ)れ!
    そこに、泉(いずみ)あり。」


    聖教新聞には、そう書かれていた。



    確かに、
    人生には、
    さまざまな大きな壁(かべ)が、
    のしかかっている。

    苦難(くなん)とか試練とか、いうより、
    あきらめと、惰性(だせい)の壁が、
    いちばん、大きい気もする。


    それでも、まあ、生きていけるからです。


    けれど、
    夢や希望を実現しようとしたら、
    そうは、いかない!!


    何かを起(お)こさなければならない。


    奇跡ともいえる勝利の結果も、
    結局(けっきょく)は、
    小さな小さな行動から始まる。

    そのひとつひとつは、
    目に見えないかもしれない。

    けれど、その小さな行動は、
    大きな大きな希望を生む!

    希望は、行動を生み、
    行動は、また、
    希望を大きくしていく。


    きっと、これが、
    希望や夢を実現(じつげん)する
    メカニズムなんだと、
    思う。


    そのメカニズムを、
    究極(きゅうきょく)まで、きわめたものが、

    『仏法(ぶっぽう)』

    だと思う。


    仏法では、
    『一念三千(いちねんさんぜん)』
    の法則を、説(と)く。

    一念三千とは、
    自分の一念(いちねん/こころ)の違いによって、
    結果として、
    違(ちが)う三千の世界ができあがる!
    という意味です。

    一念とは、一瞬(いっしゅん)の心であり、
    ほんの一瞬です!

    その一瞬の心の違いによって、
    未来が、人生が、
    大きく変(か)わっていく。

    また、その一念を変えることによって、
    自分の環境(かんきょう)や人生、
    未来を、
    大きく変えていくことができる。


    それが、一念三千(いちねんさんぜん)という、
    法則(ほうそく)です。


    生きるとは、
    その、一念(いちねん/こころ)の
    積(つ)み重ねだと、
    言うこともできます。

    だから、ほんの短い一瞬(いっしゅん)だけれども、
    その一瞬(いっしゅん)に、
    人生のすべてが、かかっている!


    一瞬の心によって、
    人生のすべてが、変わっていく!

    不幸になるか?
    幸せになるか?
    は、


    一瞬の一念(こころ)に、かかってくる!!!


    そう考えると、
    心(一念)は、
    本当に大切になってくる。


    では、絶対(ぜったい)に幸せになる一念(こころ)とは、
    なんだろうか?


    人間は、絶対に幸せになる一念(こころ)を、
    出すことが、できるのだろうか?


    単純(たんじゅん)に考えると、
    もし、ぜったいに幸せになる心(一念)を、
    出すことが、できたなら、
    その人は、
    幸せになれる!

    けれど、現実には、
    幸せでない人、不幸な人が、
    山ほど、いる!

    また、はたから見たら、
    幸せそうに見えても、
    実際(じっさい)は、
    幸せでないと思っている人も、
    たくさん、いる。


    それは、幸せになる心を、
    出す方法を、
    知らないということだと思う・・。


    『絶対に幸せになる心(一念)を、
    出すことが、できたなら!!』


    その絶対に幸せになる心(一念)を、
    出す!方法が、
    創価学会(そうかがっかい)が実践(じっせん)している、

    『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
    となえる!』

    ということだと思う。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


    こころは、すべてを変えていく。


    こころは、あらゆる未来を創造(そうぞう)し、
    あらゆる幸せを生み出し、
    あらゆる勝利を、もたらしてゆく。


    本当は、心ほど、
    大切(たいせつ)なものはない・・・!


    そのことに注目(ちゅうもく)することは、できる。

    けれど、現実に、
    生身(なまみ)の人間が、
    人生の中で、心を変えていくなんて、
    ほとんど、できた話しではない。

    まして、幸せになる心、
    絶対に幸せになる心など、
    自分で生み出していくなんてことは、
    不可能(ふかのう)と言ってもいいと思う。

    だから、人は悩み、苦しみ、
    世界中に、
    さまざまな不幸が溢(あふ)れている。

    そして、現実的に、
    それを変える術(すべ)がない。


    けれど、本当(ほんとう)は、
    その心を幸せに変革していくことができたなら、
    本質的(ほんしつてき)には、
    ほとんどの悩みが解決(かいけつ)し、
    また、心を幸せに変革していくことによって、
    あらゆる幸せが、もたらされると、
    言うこともできます。


    人生の鍵(かぎ)は、
    自分の中から、
    自分の生命(せいめい)の中から、
    本当に幸せになることのできる心を、
    いかに?出していくか・・!


    ここに、かかっているのでは
    ないだろうか・・・。



    人間の生命の中で、
    最(もっと)も強い心。
    最も輝(かがや)き、最もあったかく、
    あらゆる幸せを生み出すことのできる心・・。

    どんな困難(こんなん)も乗り越(こ)え、
    無限のエネルギーと
    創造力(そうぞうりょく)によって、
    あらゆる幸せをつかみ取っていける、
    最強の生命であり、最強の心・・!!

    その心を、

    『絶対に幸せになる心』

    と名付(なづ)けたならば、
    世界中のすべての人が、
    どんな人でも、
    その『絶対に幸せになる心』を
    出すことができるように、
    日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
    『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』と
    『ご本尊(ほんぞん)』
    (南無妙法蓮華経を、となえる対象[たいしょう]の本尊)
    を、残されたんだと思う。

    そして、その日蓮大聖人のメッセージを、
    世界中に広げてきたのが、
    創価学会です。


    絶対に幸せになる心(一念)を、
    自分の中から、出すことができたら、
    その人は、幸せになる!


    その、自分の中から、
    絶対に幸せになる生命を
    湧(わ)き上がらせていける、
    唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
    創価学会が実践する、


    南無妙法蓮華経を、となえる
    仏法(ぶっぽう)の信仰(しんこう)なんです。


    そして、その通り、
    創価学会の人たちは、
    あらゆる悩みを克服(こくふく)し、
    さまざまな壁(かべ)を乗り越えて、
    実際に幸せになっていった。

    それは、
    自分の中から、
    無限の可能性を秘(ひ)めた、
    『絶対に幸せになる心』を
    出していった結果であると表現(ひょうげん)しても、
    間違(まちが)えにはならないと思う。


    ひとりひとりの人間にもたらされた、
    生命の変革・・!

    そのことによって起こった、
    人間革命のドラマ・・!


    それは、現実に、
    創価学会の世界192ヶ国の人々が、
    体験していることであり、
    実感(じっかん)していることであり、
    その幸せと、歓喜(かんき)をもって、
    今も、世界に、
    証明(しょうめい)しつづけている・・・・・。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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    こころに、打ち出の小槌を58

    2020.06.01 Monday 05:45
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      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
      御書(ごしょ)の中に、
      (御書とは、日蓮大聖人が書かれた
      論文や手紙を、すべて集めたものです)


      『苦(く)を苦と、悟(さと)り、
      楽を楽と開き、
      苦楽(くらく)ともに思い合わせて、
      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と、
      となえきっていきなさい!

      これこそ、自受法楽(じじゅほうらく)
      ではないですか。』
       

      という一節(いっせつ)が、あります。


      自受法楽(じじゅほうらく)という言葉が
      難(むずか)しいですが、
      この「自受(じじゅ)」とは、
      「みずから受(う)ける」という意味で、
      人ではない、自分自身で決まるということだそうです。

      その次の「法楽」は、
      「法(ほう)の楽しみ」と読めるから、
      法、法則(ほうそく)、
      宇宙の法則、宇宙のリズム、
      生命(せいめい)の法則を、
      楽しむということだろうか?

      だから、「自受法楽(じじゅほうらく)」は、
      みずからの生命を、
      ありのままに、楽しむということだろうか?


      創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
      池田先生が、
      人に何かをしてもらったり、
      他から与(あた)えられるような、
      ちゃちな幸せではなく、
      自分が自分で、幸福をつくり、
      自分で、幸福を味(あじ)わっていく。

      どんな苦楽も、
      悠然(ゆうぜん)と楽しんでいける、
      強く大きな自分になっていく。


      それが、
      『自受法楽(じじゅほうらく)』だと、
      言っていた!


      また、
      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
      となえていくと、
      必ず、そうなっていく!とも、
      言っていました。


      けれど、
      苦しい時も、楽しい時も、
      「南無妙法蓮華経と、となえる」とは、
      どういうことだろうか?


      苦と楽では、
      まったく、正反対です。

      その、どちらの状況(じょうきょう)の時にも、
      「南無妙法蓮華経と、となえていく」と、
      『自受法楽(じじゅほうらく)』になっていく?


      なぜだろうか?


      南無妙法蓮華経は、
      原因(げんいん)と結果(けっか)が、
      同時に含(ふく)まれた、
      宇宙の法則だという。

      南無妙法蓮華経は、いわば、
      瞬間(しゅんかん)、瞬間を、
      幸せに変化させていく法則です。

      過去(かこ)は、関係(かんけい)ない。
      苦しかろうが、楽しかろうが、
      南無妙法蓮華経は、
      その瞬間を出発点(しゅっぱつてん)として、
      未来を、必ず幸せに変化させていく。


      その強力なエネルギーが、
      南無妙法蓮華経なんだろうか・・・。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

      世界は、宇宙は、生命は、
      たえず、変化(へんか)していく!

      問題は、

      「良(よ)く変(か)えるか!」

      「悪く変えるか!」

      だ。


      ものごとが、うまくいき、
      楽しくてしょうがない時でも、
      いい気になって、図(ず)に乗っていると、
      かえって、それが原因になって、
      大きな不幸を、もたらすことも、
      多々(たた)、ある。

      だからといって、
      すべてが、うまく、いがず、
      不幸が、降(ふ)りかかっているような時は、
      自暴自棄(じぼうじき)になって、
      人生を、あきらめてしまう場合も、多い。


      上にあげた二つの例(れい)は、
      「悪(わる)く変わる」一例(いちれい)です。


      悪く変わるのは、たやすい。

      悪く変わるのには、何の努力も、いらない!


      けれど、良く変わるのは、
      容易(ようい)ではない!

      それこそ、達人(たつじん)でもないと、
      良く変わることは、
      尋常(じんじょう)ではない。


      自分は良く変わっていると、
      自信(じしん)をもって言える人は、いるだろうか・・。


      自分は、これからもずっと、
      良く変わっていけると、
      自信をもって、
      言い切(き)れる人がいるだろうか。


      この『変わる』ということに関(かん)しては、
      人は、
      表面的(ひょうめんてき)には、
      いろいろなことをする場合もあると思う。

      けれど、
      本質的(ほんしつてき)には、
      なかなか、変われないというのが、
      正直(しょうじき)なところだと思う。

      だから、
      人は、悩み、
      壁(かべ)を感じ、
      人生を、なんとなく、
      なおざりに生きるしかない場合もある。


      調子(ちょうし)の良い時は、いいでしょう・・。

      けれど、調子の悪い時は・・、

      また、自分に、
      さまざまな困難(こんなん)が襲(おそ)ってきた時は、
      どうするだろうか・・・。

      それこそ、
      変わるしかない!
      乗り越(こ)えるしかない!ことは、
      わかっていても、
      それができず、
      大変な苦しみの中、
      自分が追(お)い込(こ)まれていくことも、
      あると思う。


      ようするに、
      根本的(こんぽんてき)に、変わる方法を知らない。

      本源的(ほんげんてき)に、
      自分を変えていくことが、できない・・。


      そこに不幸が生まれ、
      苦しみが生まれ、
      人生を、あきらめてしまう人たちも、
      多々、いる・・。


      けれど、
      人々は、あまり知(し)らないけれど、
      だれでも、良く変わる、
      宇宙の法則が、ある!

      だれでも、良く変わる、
      生命の法則が、ある!

      だれでも、簡単(かんたん)にできる、
      良く変わるための、
      絶対的な、
      生命の法則が、ある!


      それが、
      『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
      です!


      南無妙法蓮華経は、
      自分の生命のリズムを、
      苦しい時は、無理(むり)やりにでも、
      幸せになる『良いリズム』に、変える!

      楽しい時は、反動(はんどう)がこないように、
      幸せのリズムを、
      絶対に、はずさず、
      なお一層(いっそう)、
      幸せになる『良いリズム』に、
      変えていく!


      それが、南無妙法蓮華経の力だと思う。


      だから、どんな時でも、
      苦楽、ともに、
      南無妙法蓮華経を、となえるんだと
      思う!


      結論から言うと、
      南無妙法蓮華経は、勝利のリズムです。
      勝利者のリズムです。

      だから、日々、南無妙法蓮華経を、となえ、
      となえきっている人に、
      かなう人は、いない!

      そして、南無妙法蓮華経は、
      自分自身で感じることのできる幸せを、
      おそらく、
      最高最大に、高めてくれる!!

      正直、ぼくも、
      「南無妙法蓮華経を、となえる」
      ということを、
      知っているから良いけれど、

      もし、
      「南無妙法蓮華経を、となえる」
      ことを知らなかったら、

      それは、地獄(じごく)であっただろう・・!
      と、心から思う・・・!


      南無妙法蓮華経を、となえて生きるのと、
      南無妙法蓮華経を、となえないで生きるのとは、
      確(たし)かに、
      天国と地獄くらい差(さ)があり、
      人生と未来に、
      決定的な違(ちが)いが出てきてしまうからです。


      南無妙法蓮華経は、人々を勝利に導(みちび)く。

      南無妙法蓮華経は、人々に、
      幸せの道を切り開いてくれる。

      南無妙法蓮華経は、人々のどんな悩みであっても、
      解決していく力(ちから)となり、
      どんな困難の壁(かべ)も
      乗り越(こ)えるエネルギーとなる。

      そして、その人の夢や希望に向(む)かって、
      最高の幸せを、つかませてくれる!


      それは、
      まぎれもない事実(じじつ)であり、
      世界192ヵ国に広がる創価学会の人々が、
      現実に体験し、
      実感(じっかん)していることだと、思う・・・・・。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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      こころに、打ち出の小槌を57

      2020.05.11 Monday 22:27
      0
        今から百年も前に、
        新渡戸稲造(にとべいなぞう)という人が、
        言っていたそうです。


        「日本という国ほど、
        デマを、まち散(ち)らしている人間を、
        のさばらせている国は、ない!!」


        確(たし)かに、
        そうなのかもしれない。

        日本の国民性というか、
        風習(ふうしゅう)というか、
        そのようなことに深く立ち入らない、
        「ことなかれ主義(しゅぎ)」
        が、あるのかもしれない・・。

        デマをまき散らす理由としては、
        「経済的理由」
        「政治的理由」
        「目立(めだ)ちたいという欲求(よっきゅう)」
        などがあるようです。

        また、悪意(あくい)や憎(にく)しみにより、
        デマを流す場合もあると思う・・。


        以前、
        創価学会(そうかがっかい)も、
        ひどいデマを流(なが)され続けたけれど、
        それは、
        悪意や憎しみに、
        金銭的(きんせんてき)理由が、
        からんだものだと思う。


        当時(とうじ)のデマは、
        繁栄(はんえい)していた
        週刊誌(しゅうかんし)でのデマが多かった。

        当時は今よりも、
        週刊誌の影響力(えいきょうりょく)が、
        強かったんだと思う。

        金にさえなれば、何を言っても、いいんだ!
        と言わんばかりの、
        三流週刊誌が、のさばっていた。

        創価学会のことを書くと、
        雑誌が売れるというので、
        ウソ、デタラメを、書きまくる。

        それらの記事は、
        悪事ばかり働き、
        創価学会に、いられなくなって、
        脱会(だっかい)した者たちが、
        金ほしさと、創価学会憎さに、
        捏造(ねつぞう)した記事だった。

        だから、
        その記事には、

        「いつ?、どこで?、だれが?」

        という、
        明確(めいかく)な論拠(ろんきょ)が、
        まったくない!

        それらの記事は、
        裁判(さいばん)によって、デタラメであることが、
        明確に認(みと)められ、
        雑誌社側が敗訴(はいそ)。
        (創価学会の勝利)

        そして、雑誌社側は
        罰金(ばっきん)を払(はら)わされ、
        また、自分の雑誌に、
        謝罪(しゃざい)の文章を、
        のせさせられました。


        明治大学の教授(きょうじゅ)が話しているんですが、
        創価学会のデマ記事に、
        必ず、でてくる、
        プロパガンダ(宣伝)のひとつとして、
        創価学会の元(もと)幹部による証言(しょうげん)が、
        あげられるそうです。

        当然、
        元(もと)創価学会の幹部(かんぶ)だからと言って、
        信憑性(しんぴょうせい)があるとは、
        とうてい、言えない。

        なぜなら、
        元幹部という彼らは、
        詐欺(さぎ)や乗っ取(のっと)りを、たくらみ、
        問題や悪事を起こして、
        創価学会に、いられなくなった人たちなので、
        創価学会憎(にく)さが先(さき)にあり、
        とても、正しいことを、言ってるとは、
        考えられない。


        それに、
        これらの元創価学会幹部というのは、
        さきほども話しましたが、
        悪事や詐欺を起こして、
        創価学会に、いられなくなったんだから、
        お墨付き(おすみつき)の、
        大うそつきです。


        そういう人が話している記事を、
        信じるというほうが、
        おかしい。


        これも、明治大学の教授が、
        言っているんですが、

        「普通、週刊誌とかで、たたかれたら、
        個人にしろ、団体にしろ、
        世の中から、抹殺(まっさつ)されてしまう!

        それなのに、創価学会は、
        何十年も、ひどいデマで、
        週刊誌に、たたかれ続けているにもかかわらず、
        飛躍的(ひやくてき)に、
        発展(はってん)し続けている!」


        『この事実は、驚(おどろ)くべきことである!』


        と。


        これは、創価学会が、
        どれだけ正しく、
        どれだけ素晴らしいかの証明(しょうめい)だと思う。


        どんなに、デマを書き散らそうとも、
        真実は、消えない!


        すなわち、
        人間が、
        ほんとうに、
        ほしいものは、幸せです!


        創価学会は、その幸せを、
        ひとりひとりの人間に、
        与(あた)え続けてきた!


        だから、どんなデマも、
        創価学会を、
        壊(こわ)すことはできなかった。


        人は、真実(しんじつ)の幸せのあるところに行き、
        真実の幸せに、集まってくる!


        それは、
        ひとりひとりが求める、
        悩みや問題の解決を可能にし、
        切実(せつじつ)な夢や希望をかなえる
        大きな力(ちから)となって、
        人々に幸せを、もたらしてきた。

        ひとびとの心に、
        現実に幸せを実感(じっかん)させ、
        勝利と歓喜(かんき)を、もたらしてきた。


        この心の底(そこ)からの歓喜と感動を、
        壊(こわ)すことなど、できるはずがありません。


        だから、創価学会は、
        どんなに、迫害(はくがい)のデマを受(う)けても、
        広がり続け、
        現在、世界192ヶ国に広まったんだと、
        思う・・・・・。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

        イギリスの有名な歴史家に
        「アーノルド・トインビー」という偉人(いじん)がいます。

        彼の著作のなかに、
        『歴史(れきし)の研究』
        という大著(たいちょ)があります。

        歴史を、
        文明の興亡(こうぼう)の視点(してん)から
        論(ろん)じたもので、
        文明(ぶんめい)は、
        外部における自然・人間環境(にんげんかんきょう)と
        創造的(そうぞうてき)な指導者の
        二つの条件によって発生(はっせい)し、
        気候変動(きこうへんどう)や自然環境、
        戦争、民族移動(みんぞくいどう)、
        人口の増大などの、
        『挑戦(ちょうせん)』に、
        『応戦(おうせん)』しながら成長する。

        しかし逆(ぎゃく)に文明は、
        挑戦に応戦することに失敗することによって、
        弱体化(じゃくたいか)する。


        すなわち、

        『文明を興(おこ)すものは何か?』

        を探求(たんきゅう)した結果、
        それは、
        人種(じんしゅ)でも、恵(めぐ)まれた環境でもなく、
        かえって劣悪(れつあく)な気候(きこう)の変化や、
        外部の文明からの圧力(あつりょく)、
        刺激(しげき)、困難(こんなん)に、
        立ち向かうなかで生まれる!!


        その『挑戦』に対する『応戦』によって、
        文明は、生まれる。


        そう、結論(けつろん)しています。


        創価学会が、これだけ発展しているのも、
        デマなどの強烈(きょうれつ)な挑戦に対して、
        徹底(てってい)して、
        応戦してきたからだと思う。

        そして、その『挑戦』に、

        『勝った!!!』

        からだと、思う。


        もっと言えば、
        どんな挑戦にも勝ちうる、
        強烈なエネルギーが、あった!!
        ということだと思う。


        その強烈なエネルギーが何か?
        といえば、

        それが、
        南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
        となえる、
        仏法(ぶっぽう)の信仰であることは、
        いうまでもない・・!!



        現代、
        あらゆる人が、
        『挑戦』に、『応戦』するエネルギーを、
        求(もと)めている。

        それが、
        一個(いっこ)の人間にしても、
        団体にしても、
        世界にしても、
        あらゆる『挑戦』に、
        『応戦』し、
        そして『勝つ』ことのできる、
        法則(ほうそく)であり、秘策(ひさく)であり、
        無限の力であり、エネルギーが、
        『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
        であるといっても、
        言い過(す)ぎではないと思う。


        また、それが、

        『南無妙法蓮華経を、となえる』

        ということだと、思う・・・・。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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        こころに、打ち出の小槌を56

        2020.04.13 Monday 00:43
        0
          この前、
          映画「あずみ」を見ました。

          小山ゆうの同名の漫画『あずみ』を
          原作(げんさく)とした映画で、
          若いころの上戸彩が、
          主演で、がんばっています。

          少女剣士(けんし)「あずみ」が、
          敵(てき)を、バッタバッタと切りまくる、
          時代活劇(じだいかつげき)です。

          娯楽映画(ごらくえいが)なので、
          お菓子をつまみ、お酒を飲みながら、
          お気楽(きらく)に、
          楽しめると思います。

          上戸彩も、
          一生懸命(いっしょうけんめい)、
          カッコつけていました。

          きっと、大変だっただろうと思う。

          だた、最初のシーンで、
          仲間(なかま)で10人、
          山で、修行(しゅぎょう)している時に、
          師匠(ししょう)の言いつけで
          仲(なか)の良い2人ずつになって、
          その2人で殺し合って、
          残った5人が、役目(やくめ)を果(は)たすために、
          山を出るシーンがあって、


          「いくらなんでも、作りすぎだ!!」


          と思った。


          だって、戦うのに、
          人数が多いほうが、いいに決まってる!

          最後、みんな、死んで、
          あずみと、もう一人の、
          2人しか残らないんだけど、
          まあ、よく考えると、
          2時間の映画のなかで、
          10人もいたら、
          死ぬシーンが、たくさん、ありすぎて、
          映画にならないとは思うので、
          映画としては、
          最初、仲間と殺しあって、
          5人に、しぼって、
          正解(せいかい)だとは思います。
          (最初から5人でもいいのに・・・)


          娯楽(ごらく)映画ではあるけれど、
          この映画を見ていて、
          耳に付(つ)いた言葉があって、
          やけに、

          「使命(しめい)」

          という言葉が、でてきた!


          「戦争を起(お)こそうとしている悪いやつらを、
          やっつけるのが、
          おれたちの使命だ!」

          とか、

          「使命を、はたすんだ!」

          というような使い方です。


          ふだんの生活では、
          あまり使わない言葉なので、
          すごく、耳に付く言葉だった。


          「使命(しめい)」・・・
          命(いのち)を使うということ!。


          生きている以上、
          だれでも、命を、使っている・・。

          だだ、何のために、
          命を使うかということを、
          正直、自覚(じかく)しているような人は、
          なかなか、いないと思う。

          かんぐって言えば、
          だいたい、自分のために、
          あるいは、家族のために、
          ともかく、精一杯(せいいっぱい)、
          生きているという感じが多いのではないかと思う。

          また、趣味(しゅみ)やレジャーなど、
          自分を楽しませることも、
          生きていく上では、かかせない。

          ただし、それだけで、
          『使命』と言えるような、
          充実感(じゅうじつかん)があるかは、
          疑問(ぎもん)だ!

          また、そんな使命といえるような充実感など、
          求めていないのかもしれない・・・。


          それほど、使命という言葉は、
          使いづらい。


          けれど、創価学会(そうかがっかい)では、
          この「使命」という言葉を、よく使う。

          「あなたには、かけがいのない使命が、あるんだ!」

          と、よく、言う。


          その使命とは、なんだろうか?


          また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、

          「その人が、その人であるだけで、
          かけがいのない、生きていく価値(かち)がある!」

          と、言っている。


          だとしたら、使命とは、なんなのか?


          おそらく、使命とは、
          自分に、生きていく価値があることに、
          目覚(めざ)め、
          自覚していくことかもしれない。


          人は、『使命』という言葉を、
          あまり、口にしない・・・。


          けれど本当は、
          自分の生きている価値を認(みと)め、
          また、認められることほど、
          幸せなことは、無い!と思う。


          それは、そのまま、
          最高の充実感を持った、
          『生きがい』と、なるからだ。


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


          なぜ?
          南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
          となえるのか?


          というと、

          その人の中にある、
          その人が、本来(ほんらい)持っている、
          仏(ほとけ)のように素晴(すば)らしい命、
          仏のように素晴らしい、
          自分の価値を、
          開花させるためだと、
          言う。

          仏(ほとけ)の命といっても、
          わからないと思うけれど、
          自分の中にある、
          無限(むげん)の可能性(かのうせい)、
          無限の価値、
          無限のエネルギー、
          無限の創造力(そうぞうりょく)のようなものだと思う。

          その生命に内在(ないざい)する、
          無限にして、とらえどころのない、
          プラスの生命力(せいめいりょく)を、
          「仏(ほとけ)の命」
          「仏の生命」
          と、
          表現している。

          だから、
          南無妙法蓮華経を、となえていくと、
          どんな人でも、
          『プラスの生命』である、
          自分の価値に、目覚(めざ)めていく。

          自分が、やるべきことが、わかってくる!

          ご本尊(ほんぞん)に、
          南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
          となえることによって、
          本来、自分が持っている仏(ほとけ)の生命が、
          自分の中から、わきあがり、

          「自分にも、使命があるんだ!」

          と、
          わかってくる!

          そうすると(南無妙法蓮華経を、となえていると)
          いつ、何を、していても、
          たとえ、平凡(へいぼん)な、
          いつもと同じ事を、やっているにしても、
          不思議(ふしぎ)だけれど、
          その行為(こうい)は、
          すべて!使命として、
          価値のある行動に、
          変わっていく!

          もっと言うと、
          その使命を、
          自分の心と体で、感じ、
          本当の自分のものとして、
          現実に実感(じっかん)することが
          できるようになっていく。


          単純に言うと、
          人生と生命が、
          輝(かがや)きだす!ということです。


          すなわち、
          南無妙法蓮華経を、となえることによって、
          自分の生きること、すべてが、
          プラスとして、
          肯定(こうてい)できるようになっていく!!

          南無妙法蓮華経を、となえることによって、
          いままで、自分の中では、
          マイナスだと思っていたことまで、
          すべてが、逆(ぎゃく)に生かされ、
          価値が出てくる!


          その、すがすがしい感覚と驚(おどろ)きは、
          言葉では、言い表(あらわ)すことは
          できないかもしれませんが、
          ともかく、マジに、スゴイし、
          うれしい!と思う。


          南無妙法蓮華経を、となえる時、
          自分を否定(ひてい)できる人は、
          ひとりも、いなくなる!

          どんな人も、お世辞(せじ)ではなく、
          生きることに、大きな大きな、
          使命を、帯(お)びてくる!!

          そして、使命の自覚は、
          その人に大きな成長と、
          飛躍(ひやく)を、もたらす!

          そうなれば当然(とうぜん)、
          その人は、
          大きな大きな幸せを、つかむことになる!


          それが、
          創価学会が実践(じっせん)している、
          南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
          生き方です。


          おそらく、これ以上、
          幸せな生き方は、ないと思う。


          だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
          何もなくても、なぜだか、
          歓喜(かんき)してきて、
          生きるのが、楽しくなってくるんだと、
          思う・・・・・。


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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          こころに、打ち出の小槌を55

          2020.03.19 Thursday 05:39
          0
            英語で、「invoke」という言葉があります。

            「invoke」は、発動(はつどう)する、行使(こうし)する、とか、
            祈願する、祈る、という意味がある。

            そのほか、「invoke」には、
            「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」などの意味もあり、
            いわば、「invoke」は、
            ロールプレイングゲームなどで、
            魔法獣(まほうじゅう)を召喚するといったところだろうか・・。


            「invoke」という言葉は、
            キリスト教から来ていると思うけれど、
            これは、なかなか、おもしろいと思った。

            最初に言ったように、「invoke」には、
            祈る、祈願(きがん)する、という意味がある。

            ただし、このキリスト教から来ている
            「invoke」という言葉の「祈る」「祈願する」は、
            「invoke」の他の意味でもある、
            「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」
            という意味からもわかるように、
            自分の外にあるものを呼び出す。
            自分の外にあるものを、もらい受(う)けるという
            意味合いになってくると思う。


            自分の中にはないものを、神様(かみさま)などから、
            ほどこしてもらう!
            というところだろうか・・・。


            だから、キリスト教の「祈る」「祈願する」というのは、
            自分には、幸せになる力(ちから)がないから、
            自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
            ひたすら、おすがりして、
            ほどこしてもらう・・
            といった意味合いが強くなってくる。


            こういう自分には幸せになる力がないから、
            自分の外から、
            幸せになるための力(ちから)をもらう。

            環境(かんきょう)や人や権力(けんりょく)など、
            自分の外にあるものによって
            幸せになろうという生き方のことを、

            『外道(げどう)』

            と言います。


            だから、

            環境がこうだから、幸せになれない。

            あの人がこうだから、幸せになれない。

            など、
            幸せになれない理由を、
            自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方は、
            『外道(げどう)』の生き方だと、
            言えます。


            さっきも言ったように、キリスト教は、
            神(かみ)という自分とは、かけ離れた存在(そんざい)に、
            幸せを祈ります。

            自分には幸せになる力(ちから)がないから、
            神におすがりすると、いうことです。

            だから、キリスト教は、
            『外道(げどう)』の宗教だと言えます。


            ところが、
            創価学会が実践(じっせん)している
            南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
            仏法(ぶっぽう)は、違う!!

            創価学会(そうかがっかい)の
            南無妙法蓮華経の仏法では、

            『自分自身が仏(ほとけ)なんだ!』

            と説(と)く。


            『あなたの中に、素晴らしくて最高の
            仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』


            と説く。


            『だから、自分の中から、
            素晴らしくて偉大(いだい)な仏(ほとけ)の生命を引き出して、
            幸せになっていくんだよ!』


            と説く。


            こういう生き方を、

            『内道(ないどう)』

            と言います。


            だから、
            創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
            『内道(ないどう)』の宗教だと言えます。


            ここに、
            創価学会の南無妙法蓮華経の仏法と、
            その他の宗教との
            決定的な違(ちが)いがあります。


            神様や仏様など、
            自分とは、かけ離れた存在に、
            おすがりする、おすがり信仰(しんこう)・・。

            ここには、はっきり言って、
            希望はありません。

            神や仏などを、
            あがめれば、あがめるほど、
            人間との距離(きょり)がどんどん、離(はな)れていく。

            そして、人間は、
            どんどん卑小(ひしょう)になり、
            みじめな存在になっていく。

            そして、精神的(せいしんてき)には、
            神や仏など、
            自分があがめるものの奴隷(どれい)のような
            存在になってしまいます。


            冷静(れいせい)に考えて、
            このような状態で、
            幸せになれるとは、思えません。


            それが、日本にはびこる
            葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
            神社信仰だと言うことも、できます。

            また、はっきり言えば、
            それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、
            間違(まちが)った宗教であり、
            間違っているがゆえに、
            どんなに祈(いの)ったとしても、
            逆(ぎゃく)に不幸になってしまいます。


            それは、さまざまな形で、
            不幸という結果が出てきてしまう・・
            ということです。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            「invoke」という言葉における、
            「祈る」「祈願する」という意味は、
            自分にないものを、外から呼び出す。

            自分ではなく、
            棚(たな)からぼた餅(もち)のように、
            環境や人、外部の何かを呼び出して、
            幸せになろうという
            意味合いが強いと思います。


            それに対して、創価学会における、
            『祈る』という行為(こうい)は、違う!!!


            創価学会における
            『祈(いの)る』という行為は、
            自分の中から、幸せになる力(ちから)を
            呼(よ)び起こすんです!!


            本来(ほんらい)、自分の中に、
            必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
            存在している!

            その幸せになっていける仏(ほとけ)の生命を、
            自分の中から呼び起(お)こし、
            自分の中から、
            強い強い生命力(せいめいりょく)を
            湧(わ)き上がらせて、
            幸せになっていくんです。

            神様や仏さまに、おすがりするのではなく、
            本来、自分の中にある無限(むげん)の力(ちから)を、
            呼び起こしていく!


            これが、創価学会での、
            『祈る』という行為なんです・・・!


            その内(うち)から溢(あふ)れる『祈り』の結果として、
            自分の生命が輝(かがや)き、
            蘇生(そせい)していく。

            やがて、その蘇生した自分の生命の力によって、
            さまざまな悩みを解決(かいけつ)し、
            夢や希望をかなえて、
            幸せになっていけるんです。

            そして、蘇生(そせい)し輝いた自分の生命が、
            まわりの環境や世界を照(て)らし、
            環境や人、世界をも、
            幸せに変えていくんです。


            それが、創価学会の人たちの『祈り』です。


            その自分の中から、
            仏(ほとけ)の生命という
            無限の可能性(かのうせい)と力(ちから)を、
            湧(わ)き上がらせ、
            自分の中から、悩みや問題を解決し、
            自分の中から幸せを勝ち取っていけるのが、
            創価学会の、
            南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
            となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            JUGEMテーマ:日記・一般



            category:願い | by:kokouchi | - | -

            こころに、打ち出の小槌を54

            2020.02.17 Monday 21:13
            0
              まえに、自動車免許(めんきょ)を取りに、
              教習所に行っていたとき、
              適性検査(てきせいけんさ)みたいな、
              心理(しんり)テストのような問題が出されて、
              やったことがある。

              その中で、


              「いままでに、死にたいと思ったことがあるか?」


              という問いに対して、
              ぼくは、そんなこと言えるか!と思って、

              『いいえ』

              に、チェックを入れました。

              そしたら、あとから、
              先生に、

              「人生に、一度や二度は、死にたいと思ったことは、
              だれだって、ある!

              だから、『いいえ』と答えた人は、
              本心(ほんしん)を言わないで、
              ウソを、ついている!」

              と言われてしまった。


              けれど、

              「ごもっともだ!」

              とも、
              思った(笑・・・)


              以前(いぜん)、テレビで、
              若い小学校教諭(きょうゆ)が
              自殺したという、
              ニュースをやっていたのを
              見たことがありました。

              その若い教諭は、

              「声が大きく、はつらつとした好青年で、
              子供たちとも明るく接(せっ)していた。」

              という。


              そんな好青年(こうせいねん)が、
              なぜ?
              自殺したかは、
              わからない。


              専門家によれば、
              突発性(とっぱつせい)うつ病の可能性が、
              あるそうだ。

              急(きゅう)に、モヤモヤとした、

              「死にたい!」

              という衝動(しょうどう)が、おそってくる。

              そして、その衝動に、
              あまりにも簡単(かんたん)に、
              のってしまった!

              ということだろうか。


              さきほどの話しに戻(もど)りますが、
              人間、生きていれば、
              死にたいと思うようなことは、
              一度や、二度は、あると思う。
              (ぼくも、認めます・・・笑)

              というか、人間は、
              自分に苦難(くなん)が、おそってくると、
              気軽(きがる)に、

              「あ〜〜、死にたい」

              と、愚痴(ぐち)を
              もらすような生き物かもしれない。


              そういう、マイナスの衝動(しょうどう)は、
              生きている以上、何度となく、
              おそってくるだろう。


              ぼくなんか、ほんとうは・・・・
              軽(かる)い、愚痴っぽい、
              「あ〜〜、死にたい」という感情だったら、
              100回以上は、
              あったかも、しれない・・・・。


              けれど、今は、
              創価学会(そうかがっかい)に入っているので、
              その時、まず、
              考えることは、

              『生きる!』

              ということです。


              どっちみち、生きなければならない!


              マイナスの感情に、ひたっていて、
              それで、問題が解決(かいけつ)し、幸せになれるのなら、
              思う存分(ぞんぶん)、
              マイナスの感情に、ひたっていればいい!


              けれど、そんなことは、ありえない!


              だとしたら、
              マイナスの感情に、ひたっていることは、
              単(たん)なる時間の無駄(むだ)になってしまう!


              そこで、頭を切り替(か)える!

              「落ち着くんだ!。くさってはいけない!
              負けてはいけない!
              自分を、取り戻(もど)すんだ!」

              そして、心の中で、
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
              となえ始める。

              そうすると、自分を見失(みうしな)った自分が、
              我(われ)に返っていく。

              そして、困難(こんなん)な状況を、
              なんとか、乗り越(こ)えていくことが、
              できてきました!

              もちろん、その状況(じょうきょう)が、
              困難であれば、あるほど、
              南無妙法蓮華経を、となえる時間と、数は、
              増(ふ)えていきます。

              当然(とうぜん)の道理(どうり)です。

              いっぺん、南無妙法蓮華経をとなえて、
              すべてが、ぱっと開けるようなことは、
              めったにない!

              ただ、南無妙法蓮華経の力は、
              はかり知れないので、
              たった、いっぺん、
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
              となえただけで、
              ぱっと開けたという例(れい)も、
              あるようだ。


              よく、創価学会の人に、

              「何かあったら、南無妙法蓮華経を、
              となえるんだよ!」

              と言われ、
              その時は、バカにして、
              軽(かる)く流していても、
              いざ、突発的事故や、病気、事件に
              見舞(みま)われた時、
              創価学会の人に言われたことを、思い出し、
              思わず

              『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)!』

              と、となえ、
              それによって、
              九死(きゅうし)に一生を得(え)たという体験を
              持っている人は、
              創価学会の人でなくても、
              以外(いがい)と、いるようだ!



              さきほどの、自殺した若い教諭が、
              なぜ、急に死を選(えら)んでしまったのか?

              死を招(まね)くようなマイナスの感情に、
              急に、おそわれたとしたら、
              自分の生命(せいめい)の中に、
              マイナスの要素(ようそ)が、
              何かの拍子(ひょうし)に、
              インプットされてしまったのだろうか?

              マイナスの要素が、インプットされたとすれば、
              そのマイナスである不幸の要素を、
              インプットした、
              根本原因(こんぽんげんいん)が、
              どこかに必ず、
              あるはずた!

              その不幸の根本原因を、
              仏法(ぶっぽう)では、


              『間違(まちが)った宗教』にある!


              と、解明(かいめい)している。


              生まれてきた以上、その人には、
              必ず、先祖(せんぞ)がいる!

              その先祖は、必ず、なんらかの、
              宗教に、たずさわっている。

              その宗教が、
              間違った宗教である場合、
              そのマイナスの要素は、
              自分の生命にも、まあ、
              ヘンな言い方をすれば、
              引(ひ)き継(つ)がれ、きざまれていく!

              世間一般に、
              本当は、矛盾(むじゅん)だらけなのに、
              広められている、
              葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
              神社信仰などは、
              マイナスの要因(よういん)を作り、
              不幸の原因を作る、
              マイナスの宗教と思って間違いない。

              そして、なにかの拍子(ひょうし)に、
              フッと、そのマイナスの要素が出てきて、
              その人を、
              不幸へと、
              落とし入れる。


              生命とは、不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
              間違った宗教が、
              人間におよぽす、
              マイナスの影響力(えいきょうりょく)は、
              大きい。

              宗教なんか、関係ない!と、
              笑っているような人でも、

              「自分自身に、マイナス的要因、
              マイナス的要素が、ある!」

              と、思っている人は、
              自分が、
              間違った宗教の悪影響(あくえいきょう)を
              受けていると思って、
              間違いない!!
              と思う。


              実は、その人間の生命における、
              マイナスの要因、マイナスの衝動、
              決定的マイナスと言える病気や事故、事件など、
              そのマイナスを、打ち破(やぶ)るために、
              「真実の仏法(ぶっぽう)」である、
              『南無妙法蓮華経』が、ある。


              マイナスを、打ち破るために、
              『南無妙法蓮華経を、となえる!』


              ぼくも、正直、
              何かあったら、南無妙法蓮華経を、
              となえる!ということを、
              知っていなかったら、
              おそらく、今、
              生きていないだろう!と、
              思うことが、本当(ほんとう)はある。


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、

              『南無妙法蓮華経は、獅子吼(ししく)のごとし。
              いかなる病(やまい)、
              さわりをなすべきや』

              と、言っている。


              南無妙法蓮華経は、
              ライオンが、ほえるようなものだから、
              南無妙法蓮華経を、となえたならば、
              どんな病気であっても、
              その人を、苦しめたり、
              危害(きがい)を加(くわ)えることは、
              できない!
              というような意味です。


              これは、病気に、かぎったことではない。


              さきほども言ったマイナスの衝動、
              マイナスの事件や事故!
              そのマイナスを、木っ端微塵(こっぱみじん)に、
              打ち破っていく力(ちから)が、
              南無妙法蓮華経には、ある!
              ということだと思う。


              そう考えると、
              創価学会員であるということ。
              南無妙法蓮華経を、となえられる!ということ。
              『南無妙法蓮華経を、となえる』
              ということを、
              知ってる!ということが、
              どれだけ、幸せか・・!!

              長い人生を、思うと、
              計(はか)り知れないものがある!と、
              こころから、思える・・・・。


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              JUGEMテーマ:日記・一般



              category:悩み | by:kokouchi | - | -

              こころに、打ち出の小槌を53

              2020.01.27 Monday 22:14
              0
                『突破口(とっぱこう)を開け!
                 
                大誠実の力で!
                 
                わが一生に燦(さん)たる

                「何か」を残せ!』


                これは、まえに聖教(せいきょう)新聞の、
                「わが友に贈(おく)る」にあった文章です。

                わが友に贈るは、
                創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
                池田先生が、
                毎日、聖教新聞に、のせてくれている、
                4、5行の短いメッセージです。


                自分が、ピンときたのは、
                最後の

                「何かを、残せ!」

                と、いうところです。


                具体的内容のことを残(のこ)せではなく、
                『何か』!

                「何か」だったら、
                すべての人が、自分に当(あ)てはめることが、
                できる!


                ものすごく、
                柔軟性(じゅうなんせい)のある言葉だと思った。


                すべての人が勝利するためにあるのが、
                仏法(ぶっぽう)。

                すべての人の現実の生活に、
                完全にマッチして、
                その人らしい、その人だけの幸せを、
                つかませてくれるのが、
                南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法!


                ここに仏法(ぶっぽう)のスゴサがあるように、
                思えた。


                それで、思い出したけれど、
                創価学会の人が、毎日、祈(いの)っている、
                祈る対象(たいしょう)である

                『ご本尊(ほんぞん)』

                も、そうだと思った。


                ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
                表現しきったものなんだけれど、
                この、ご本尊は、
                文字で表現されている。

                真ん中に「南無妙法蓮華経」と、
                仏の生命の根本(こんぽん)の言葉が書かれていて、
                そのまわりに、
                一切衆生(いっさいしゅじょう)のなかにある、
                単純に分けると、
                十種類の生命状態(せいめいじょうたい)が、
                書き表(あらわ)されている。

                その十種類の生命状態を、
                ちょっと、説明すると、

                ●地獄界(じごくかい)
                地獄のような生命状態

                ●餓鬼界(がきかい)
                欲望に、とらわれた、
                本能的(ほんのうてき)な生命状態

                ●畜生界(ちくしょうかい)
                強い時は、いばり、
                弱い時は、卑屈(ひくつ)になるような
                畜生(ちくしょう/ けもの)の生命状態

                ●修羅界(しゅらかい)
                争(あらそ)い怒る、
                たえず、他より、
                まさっていたいと思う生命状態

                ●人界(にんかい)
                人間の平静な生命状態

                ●天界(てんかい)
                何か、とっても、うれしいことがあり、
                天にも昇(のぼ)るような、
                うれしく、幸せな生命状態

                ●声聞界(しょうもんかい)
                何かを勉強して自分を向上(こうじょう)させ、
                何かを、きわめようとする生命状態

                ●縁覚界(えんがくかい)
                自分自身で学ぶというより、
                何かのヒントや、インスピレーションによって、
                何かの真理(しんり)やアイデアを生み出し、
                悟(さと)ろうとする、
                ヒラメキのような生命状態

                ●菩薩界(ぼさつかい)
                子供を見れば、かわいく、いとおしく思い、
                おぼれている猫などを見ると、
                助けてあげたいと思う、
                やさしくて、他のために行動するような、
                あたたかく、慈悲(じひ)深い生命状態

                ●仏界(ぶっかい)
                強くて、あったかくて、やさしくて、
                歓喜(かんき)していて、幸せで、
                どんなことにも負けない、
                すべてに打ち勝つことのできるような、
                無限の可能性を秘(ひ)めた、
                仏(ほとけ)のような最強の生命状態

                ※この、最後の、
                『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、
                南無妙法蓮華経を、となえないと
                人間の生命から、わきあがってきません!!


                実は、この、
                『仏界の生命』が、キーワードになっていて、
                その仏界の生命の名前を、
                『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
                と、いいます。

                すなわち、幸せになる生命、
                幸せをつかむ生命が、『仏界の生命』で、
                幸せをつかむ生命の名前であり力(ちから)であり、
                法則(ほうそく)が、
                『南無妙法蓮華経』だということです。


                幸せになるためには、
                幸せを引き出す必要(ひつよう)があり、
                幸せを呼(よ)ぶ必要がある!

                もっと言うと、
                幸せの名前を呼ぶ必要がある!!

                だから、幸せの名前である、
                『南無妙法蓮華経を、となえる』必要がある!!
                ということです。


                さきほど話したように、
                人間の生命の中には、
                地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏、
                という、
                単純(たんじゅん)に言うと、
                十種類の生命が、
                すべて、ふくまれていて、
                その生命が、何かの縁(えん)によって、
                自分の中から出てきて、
                その人の、その時の、
                生命状態や心理状態となって、
                あらわれてきます。


                実は、創価学会の人たちが祈っている、
                『ご本尊(ほんぞん)』は、
                その、どういう生命状態の人の中にも、
                南無妙法蓮華経という、
                仏(ほとけ)の生命が、そなわっている!
                ということを、表現しています。

                たとえば、今、
                地獄界(じごくかい)の生命状態にあったとしても、
                幸せになる生命、幸せをつかむ生命が、
                本来(ほんらい)、そなわっているので、
                幸せの生命を引き出せば、
                幸せになっていけるわけです。

                今、餓鬼界(がきかい)の生命状態にあったとしても、
                幸せの生命を引き出せば、
                幸せになっていけるんです。

                畜生界(ちくしょうかい)であろうと、
                修羅界(しゅらかい)の生命状態であろうと、
                同じです。
                同じように、幸せの生命を持っているので、
                幸せの生命を引き出せば、
                幸せになっていけるんです。

                その幸せの生命の名前が、
                「南無妙法蓮華経」であり、

                幸せの生命を引き出す方法が、
                「南無妙法蓮華経を、となえる」
                ということです。


                仮(かり)に、今、
                人界(にんかい)の平静な生命状態にあるから、
                幸せの生命を引き出す必要がないかといえば、
                そんなことはなく、
                幸せの生命を引き出すことによって、
                もっと充実した、もっと素晴らしい幸せを、
                つかんでいける!!
                ということです。

                天界(てんかい)の、
                天にも昇(のぼ)るような生命状態であったとしても、
                南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                浮(う)かれすぎて、落とし穴(あな)に落ちないように、
                堅実(けんじつ)で、もっと盤石(ばんじゃく)な幸せを、
                つかんでいける!
                ということです。


                今の生命状態が、
                声聞界(しょうもんかい)の
                何かを勉強して自分を向上させる生命状態だったとしたら、
                南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                今は勉強で苦しいけれど、
                その苦しさに負けない、
                強い強い、幸せな生命状態になっていけるんです。

                縁覚界(えんがくかい)の生命状態で、
                何かのヒントや、インスピレーションを求め、
                アイデアを生み出だそうとする生命状態であったならば、
                南無妙法蓮華経は、
                無限の創造力(そうぞうりょく)を引き出して、
                アイデアを生み出し、
                幸せをつかんでいけるようになっていきます。

                菩薩界(ぼさつかい)の、
                他のために行動するような、
                あたたかい生命状態であったならば、
                南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                幸せの生命を引き出し、
                自分の行動と心を輝(かがや)かせ、
                自分の幸せも、人の幸せも、
                もっともっと、輝かせていけるようになっていきます。


                だから、今、現在、
                どんな環境(かんきょう)、どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
                「仏の生命」が、そなわっているから、
                その最強で、最(もっと)も幸せな「仏(ほとけ)の生命」を、
                出すことができれば、
                どんな人であっても、幸せになっていける!!
                ということです。

                その原理(げんり)と方法を、
                だれにでも、
                簡単(かんたん)にできるように表現されているのが、
                日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書き残された、

                『ご本尊(ほんぞん)』

                なんです。


                だから、『ご本尊』は、
                すべての人に合(あ)っていて、
                すべての人にマッチしている。


                ようするに、すべての人の願いや幸せを、
                かなえる力(ちから)が、ある!
                ということです。

                これが、もし、『ご本尊』が、
                仏像(ぶつぞう)や絵で表現されていたら、
                仏(ほとけ)は、たった、ひとつの形に
                とらわれてしまい、
                自分と適合(てきごう)することは、
                ありません!

                自分とは、かけはなれた仏(ほとけ)に、
                おすがりする、「おすがり信仰」に、なってしまう。


                それでは、人を愚(おろ)かにする、
                間違(まちが)った宗教になってしまう。


                文字で表現された『ご本尊』という、
                具現化(ぐげんか)と、抽象化(ちゅうしょうか)の、
                絶妙(ぜつみょう)なバランス感覚!

                このなかに、
                人間の生命を、みごとに!表現したところに、
                『ご本尊』のスゴサがあるように、
                思う。


                だから、ご本尊に、
                南無妙法蓮華経を、となえる時、
                ひとつの型(かた)に、はまった幸せではなく、
                その人でしかできない、
                その人だけの幸せ、
                その人に完全に適合(てきごう)しきった、
                その人にとっての、

                『何か!』

                を、実現することが、
                できるようになっていきます。


                ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                単純に言うと、
                人間の生命には、
                地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・
                天・声聞・縁覚・菩薩・仏、の、
                十種類の生命状態が、ある。

                仏法(ぶっぽう)では、その十種類の、
                どんな生命状態の中にも、
                同じように、幸せを開くことのできる、
                最高に魅力的(みりょくてき)で、最高に強い、
                仏の生命が、存在すると説きます。


                その幸せを開くことのできる、
                最強の生命が、
                『南無妙法蓮華経』
                だということです。


                それは、
                『南無妙法蓮華経』という、
                幸せを開くことのできる最強の生命が、
                すべての人間の中に、
                無条件(むじょうけん)に存在(そんざい)する!
                ことを意味します。

                だから、今、
                どんな生命状態の人でも、
                南無妙法蓮華経という、
                最も幸せで、最も強い、
                仏(ほとけ)の生命が、
                自分の中に存在するんだから、
                自分の中から、
                その『南無妙法蓮華経の生命』を、引き出せば、
                だれでも、どんな人でも、
                幸せになることができるわけです。

                その仏(ほとけ)の生命を、
                自分の中から引き出す方法が、

                『南無妙法蓮華を、となえる!』

                ということなんです!


                その仏法における法則(ほうそく)と、
                現実における実践方法を、
                純粋(じゅんすい)に、的確(てきかく)に、
                実践(じっせん)しているから、
                創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
                世界中の創価学会員の人たちが、
                夢や希望を、かなえ、
                現実に幸せを、つかむことができたんです。


                最後に、かさねて言うようだけれど、
                この最高に幸せで、最高に強い仏(ほとけ)の生命は、
                『南無妙法蓮華経』を、となえないと、
                出てこない!!

                だから、本当の意味での幸せを、つかむには、
                ご本尊に、
                この『南無妙法蓮華経』を、となえる以外ない!
                ということだけは、
                言っておきたいと思います・・・・・。


                ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                JUGEMテーマ:日記・一般



                category:幸せ | by:kokouchi | - | -

                こころに、打ち出の小槌を52

                2019.12.28 Saturday 05:45
                0
                  創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
                  池田先生が、

                  なぜ?

                  世界の一流の識者(しきしゃ)たちと
                  友好(ゆうこう)の和を広げ、
                  世界中に、
                  創価学会の理解者、支援者(しえんしゃ)の和を広げ、
                  世界192ヶ国に、
                  創価学会を、
                  広めることが、できたのか?


                  それは、池田先生が、
                  ひとりの人間を、
                  他のだれよりも、大切にしたからだ!そうです。



                  池田先生は、1974年9月8日、
                  創価大学の創立者(そうりつしゃ)として、
                  初めてソ連の大地を踏(ふ)んだ。

                  出迎(でむか)えたのは、招へい元(しょうへいもと)である
                  モスクワ大学のホフロフ総長。

                  この初訪ソは、モスクワ大学の招(まね)きに
                  よるものだったそうです。

                  池田先生が、モスクワの空港に到着(とうちゃく)すると、
                  真っ先(まっさき)に出迎えてくれたのが、
                  モスクワ大学のホフロフ総長(そうちょう)だったそうです。

                  ホフロフ総長は、著名(ちょめい)な放射線物理学者で、
                  とても不思議(ふしぎ)な
                  人格の魅力(みりょく)にあふれた方だった。

                  そして、池田先生と、ホフロフ総長は、
                  強い強い、友情のきずなを、結(むす)ぶ。


                  1977年、ホフロフ総長は、
                  登山中の不慮(ふりょ)の事故で亡(な)くなられました。

                  ソ連では、亡くなった人のために、
                  知人が、墓参(はかまい)りに行ったり、
                  亡くなった人の友人が、
                  その亡くなった人の家族のところに行って、
                  親交と友情を結ぶような習慣(しゅうかん)は、
                  決して、ないそうです。

                  けれど、池田先生は、あえて、
                  亡くなられたホフロフ総長の墓前(ぼぜん)に行き、
                  心からの祈りを、ささげ、
                  また、ホフロフ総長の家族のところに、おもむき、
                  ホフロフ総長の2人の息子を、
                  心から、励(はげ)まして、
                  親交(しんこう)を結んだそうです。

                  それ以来、
                  池田先生と、故ホフロフ総長の家族との親交は続き、
                  故ホフロフ総長の息子たちは、
                  日本と言えば、創価学会!
                  日本と言えば、池田先生!と、
                  断言(だんげん)するようになったそうです。


                  池田先生が、どれだけ、
                  一人の人間を大切にしているか・・・。


                  正直(しょうじき)、ぼくにも、わからない・・。


                  だから、池田先生の話しを、
                  そのまま、
                  のせたい・・。

                  『当時、日本において、
                  ソ連に対するイメージは決してよくなかった。
                  社会主義陣営と西側諸国の間の
                  壁(かべ)を象徴(しょうちょう)する、
                  "鉄のカーテン"という言葉もあった。
                  マスコミの影響(えいきょう)も大きかった。

                  しかし、ホフロフ氏の人柄(ひとがら)には、
                  そうした懸念(けねん)を
                  一掃(いっそう)する力があった。

                  出会う人の心を、がらりと変えてしまう力があった。


                  思えば、モスクワのホテルで出会った
                  従業員(じゅうぎょういん)の一婦人との、
                  心温(こころあたた)まる交流も忘れられない。


                  人の心には、
                  さまざまな先入観(せんにゅうかん)や偏見(へんけん)がある。

                  それらが、正しい理解や認識(にんしき)を
                  妨(さまた)げている場合が、
                  あまりにも多い。


                  そうした"心のカベ"を破(やぶ)るものは何か。


                  それは、温(あたた)かな人間性であり、
                  開かれた対話であり、
                  どこまでも誠実(せいじつ)な振る舞い(ふるまい)である。』


                  ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                  前に、聞いた話しだけれど、
                  池田先生は、まるで、

                  『激励(げきれい)マシーン』

                  のような人だそうです。

                  人がいると、その人を、
                  励まさずには、いられない!
                  どんなに自分が、疲(つか)れていても、
                  体調が悪くても、
                  人がいると、励まさずにはいられない!

                  励まして、励まして、励ましぬく。


                  日本では、池田先生を、
                  まるで、教祖(きょうそ)のように考えている人が、
                  いるようだけれど、
                  ぜんぜん、違(ちが)う!!

                  教祖は、信者から見ると、
                  あがめる対象(たいしょう)であり、
                  「教祖さま〜〜〜!」といって、
                  まつりあげる。

                  だから、教祖は、信徒(しんと)を、人間ではなく、
                  奴隷(どれい)にしてしまう。

                  池田先生は、逆(ぎゃく)だ!

                  人間を人間として、
                  まるで仏(ほとけ)のように尊敬し、
                  励まして、励まして、励ましぬく。

                  だから、池田先生に会った人は、
                  励まされ、自信が、わいてきて、
                  勇気がわいてきて、
                  人間としての尊厳(そんげん)に、
                  目覚(めざ)めていく!


                  人間が、人間を、引っ張(ひっぱ)っていく。


                  池田先生という人間を見て、
                  ぼくも、私も、ああ、なれるんだ!
                  なっていくんだ!と、
                  勇気と希望を持って、
                  人生に挑戦し、前進していける!


                  それが、池田先生という、存在(そんざい)だと思う。


                  その池田先生を、
                  世界の一流の人物たちは、
                  鋭(するど)く、見抜(みぬ)いている!

                  だから別に、創価学会員でなくても、
                  池田先生の行動と思想に注目(ちゅうもく)し、
                  池田先生を人生の師匠(ししょう)と
                  あおいでいる人たちが、
                  世界には、たくさん、いる。


                  まして、ぼくたち創価学会員にとっては、
                  池田先生は、人生の師匠!!


                  仏法(ぶっぽう)においては、
                  『師匠(ししょう)』は、
                  人生を、人間として生きていくうえで、
                  とても大切で、とても深く、
                  とても峻厳(しゅんげん)な
                  意味があるのだと思います。

                  『師匠』の中には、
                  人間性、哲学(てつがく)や思想、
                  希望と勇気と幸せ、

                  それらのものが、集約(しゅうやく)されているように
                  思われる。

                  けれど、それを説明するのは、
                  難(むずか)しい・・・。


                  たとえば、
                  『ナビゲーター』がいるとする。

                  まったく知らない道であっても、
                  素晴らしいナビゲーターがいると、
                  安心して、その道を進んでいける!


                  けれど、そのナビゲーターは、
                  それだけではない・・。


                  希望と勇気を、与(あた)えてくれる。
                  幸せの方途(ほうと)を示(しめ)してくれる。
                  もっと言えば、
                  自分で幸せの道を歩む力(ちから)を与えてくれる。
                  チャンスをつかむ方法も、
                  人生を勝利する方法も・・・!!


                  そんな信頼(しんらい)すべき、
                  幸せと希望に満(み)ちた存在が、
                  『師匠』なのかもしれない。



                  まったく、何が起こるかわからない
                  人生という道、

                  どんな苦難(くなん)が襲(おそ)ってくるかも、わからない。

                  また、乗り越(こ)えていけるかも、わからない。


                  その最も困難(こんなん)な人生という道を、
                  安心して、進んでいけるようにしてくれるのが、
                  「師匠」だとしたら、
                  池田先生は、人生において、
                  希望と、勇気と、幸せを、
                  自分の行動と、励(はげ)ましによって、
                  絶えず、人々に送り続ける、
                  世界最高の『師匠(ししょう)』なんだと、
                  心から思う・・・・・・!!


                  ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  category:世界 | by:kokouchi | - | -

                  こころに、打ち出の小槌を51

                  2019.12.08 Sunday 21:56
                  0
                    以前、テレビで、
                    家族5人を殺害した男性の
                    プロファイルを、やっていたのを
                    見たことがありました。

                    その男性は、
                    近所の人たちに聞くと、
                    だれもが、すごく、良い人だったと、
                    口をそろえたように言っている。


                    いつも、にこにこしていて、
                    やさしかったと・・・・。


                    けれど、大変な惨事(さんじ)を、起こしている。


                    よく、犯罪者と、
                    回(まわ)りの人たちから見た感じ方に、
                    大きなギャップがあるときが、
                    ある。

                    その男性は、いつか、
                    母親を殺してやろうと思っていたと、
                    供述(きょうじゅつ)していたようです。


                    人間の心の闇(やみ)は、わからない。
                    また、はたから見て、
                    とても良い人であっても、
                    どうして、そんな惨事(さんじ)を、
                    起こしてしまうのか?

                    それも、わからない。


                    人間の心理(しんり)、
                    人間の行動、
                    人間の中にある闇(やみ)、

                    どんなに科学が発達しても、
                    人間の心を、解明(かいめい)することは、
                    できないのだろうか?


                    仏法(ぶっぽう)では、
                    そういう、どうにもならないような、
                    その人の持っている宿命(しゅくめい)のようなものを、

                    「宿業(しゅくごう)」

                    という。

                    その人の生命に宿(やど)っている業(ごう/宿命)。

                    その人の深層心理(しんそうしんり)のなかに、
                    どうして、そんな人も自分も、
                    不幸にするような心理が、
                    宿(やど)っているのか?

                    考えれば考えるほど、わからない!


                    仏法では、
                    その宿業(しゅくごう)とも言える、
                    深層心理にまで、言明(げんめい)している。


                    なぜ?
                    人間は、不幸になる心を宿(やど)し、
                    不幸になる行動を、してしまうのか?


                    その原因を、仏法(ぶっぽう)は、

                    『間違(まちが)った宗教にある!』

                    と、明確に言い切っている!


                    人は、だれでも、生まれたからには、
                    先祖(せんぞ)があり、
                    その先祖を、たどっていくと、
                    必ず、なんらかの宗教に、かかわっている。

                    その宗教が、
                    間違った宗教である場合、
                    自分には、関係ないと思っていても、
                    あるとき、間違った宗教は、
                    その宗教が、
                    間違った、
                    人を不幸にする宗教であるがゆえに、
                    不幸な考え方、不幸な行動として、
                    深層心理の中から、
                    必ず、出てくる時がある!

                    たとえば、
                    南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
                    と、となえる、
                    念仏(ねんぶつ)宗(浄土宗、浄土真宗)。

                    この念仏宗は、
                    この世では、幸せになれないから、
                    極楽浄土(ごくらくじょうど)という、
                    あの世で、幸せになろうという、
                    完全な現実逃避(げんじつとうひ)の宗教です。

                    だから、念仏宗の家系(かけい)では、
                    何かあると、すぐ現実逃避してしまい、
                    また、死にたくなってきます。

                    そして、実際(じっさい)に自殺者が、多く出ます。

                    だいたい、自殺する人は、
                    その人の家系が、念仏宗で、
                    その人の深層心理では、
                    この念仏宗が、
                    悪影響(あくえいきょう)を、およぼしていることが、
                    多いと思う。

                    そして、念仏宗は、
                    『念仏無限地獄(ねんぶつむげんじごく)』
                    と言って、
                    ちょっと良くなったと思ったら、ドーンと落ちて、
                    また、ちょっと良くなったと思ったら、
                    ドーンと落ちることの連続で、
                    まさに、
                    地獄(じごく)のような人生になっていきます。


                    宗教というものは、気づかないようでいて、
                    ほんとうは、すごく、こわい。


                    間違った宗教は、
                    宿業(しゅくごう)となって、
                    病気にしろ、事件にしろ、
                    さまざまな不幸を、呼び起こす。

                    だから、宗教なんて関係ないと、
                    バカにしていても、
                    深層心理の根源(こんげん)の部分では、
                    宗教は、自分の人生に、
                    大きな影響(えいきょう)を、およぼしている。


                    それが、間違った宗教の、
                    恐(こわ)いところです。


                    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                    この間違った宗教の、
                    悪(あ)しき影響を断(た)ち切る方法は、
                    ひとつしかない!


                    それは、本当(ほんとう)の正しい宗教に、つくことです!


                    はっきり、言うと、
                    創価学会(そうかがっかい)が実践している、
                    真実の仏法(ぶっぽう)である、
                    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
                    の仏法を、実践すること。

                    それしかない!

                    性急(せいきゅう)なようだけれど、
                    これだけは、本当に、
                    それしかない。

                    そのことを、明確に見極(みきわ)め、
                    正しい仏法を実践(じっせん)してきたから、
                    創価学会の人たちは、
                    さまざまな不幸や悩みを、
                    逆転して、
                    幸せになっていけたんだと思う。

                    それは、
                    創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
                    仏法の信仰(しんこう)によって、
                    宿業とも言える悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、
                    打ち破(やぶ)ってきたということです。

                    病気など健康上の問題にしても、
                    貧乏(びんぼう)など、経済的な悩みにしても、
                    その悩みが、どんな悩みであれ、
                    創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
                    仏法(ぶっぽう)の信仰によって、
                    それらを乗り越え、解決して、
                    幸せになっていったということです。


                    創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
                    太陽のようなものなんです。

                    太陽が昇(のぼ)れば、
                    草木についた小さなつゆや水滴(すいてき)は、
                    あっというまに、消え去(さ)ってしまう。

                    それと同じように、
                    創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を
                    実践していくことによって、
                    どんな宿業(しゅくごう)であっても消し去り、
                    幸せを、つかんでいくことが、
                    できるんです。


                    バカにする人は、
                    バカにすると思うけれど、
                    別に、バカにしても、しょうがない。

                    これは、本当のことだからだです!


                    本当は、宗教は、
                    人の幸、不幸を決める、
                    決定的な部分を、しめている!!


                    それは、実際に、
                    創価学会が実践している、
                    南無妙法蓮華経の、
                    真実の仏法(ぶっぽう)を、実践してみないと、
                    わからないかもしれない・・・・・。


                    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                    JUGEMテーマ:日記・一般



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                    こころに、打ち出の小槌を50

                    2019.11.10 Sunday 22:12
                    0
                      このまえ、
                      創価学会(そうかがっかい)のある壮年の方が
                      話してくれたんだけれど、
                      その人のお母さんも、
                      創価学会員なんだけど、
                      そのお母さんが、言うには、


                      「最近、幸せだと思うのは、
                      ご本尊(ほんぞん)に
                      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
                      となえて、
                      いろいろ、祈るんだけれど、

                      最近は、自分のことを、
                      祈(いの)らなくてよくなった!

                      それが、なにより、幸せだと思う。」


                      と、言っていたそうです。


                      ※ちなみに、ご本尊(ごほんぞん)とは、
                      創価学会が祈る対象(たいしょう)として信じている本尊で、
                      紙などに、すべて文字で描かれた
                      曼荼羅(まんだら)です。

                      それは、
                      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
                      仏(ほとけ)の生命そのものを表現したものであり、
                      また、自分の生命そのものを表現したものでもあり、
                      その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
                      自分の中にも、
                      すべての人間の中にも、
                      まったく同じように、そなわっていることを
                      あらわしたものが、
                      ご本尊(ほんぞん)です。


                      だから、そのお母さんが、
                      ご本尊に祈ることは、

                      『人のこと、ばっかり!』

                      人の幸せ、地域(ちいき)の幸せ、世界の幸せ!

                      それが、なによりの心配事(しんぱいごと)であり、
                      興味(きょうみ)の中心だと
                      いうことだと思う。


                      創価学会では、よく、

                      『境涯(きょうがい)』

                      という言葉を使うけれど、
                      この、お母さんは、
                      ほんとうに、
                      境涯が、大きいと思う。


                      きっと、
                      人の幸せ、地域の幸せ、世界の幸せを、
                      自分の幸せと感じているんだと思う。


                      よく、『境涯(きょうがい)』は、
                      幸せを入れる器(うつわ)に例(たと)えられる。

                      器(うつわ)が小さいと、
                      少しの幸せしか、入れることができない。

                      器が大きいと、
                      たくさんの幸せを入れることができる。

                      それと同じように、
                      境涯が小さいと、幸せも小さい。

                      自分のことしか考えられない。
                      だから、せま〜〜い幸せしか、
                      感じることができない。

                      境涯が大きいと、幸せも大きい。

                      人のことを、世界のことを、
                      まるで、自分のことのように、
                      喜び、
                      幸せを、感じることができる!

                      もちろん、それだけでは、いけないと思う。

                      自分の悩みや問題がある場合は、
                      しっかりと、その悩みや問題に立ち向かい、
                      解決していく!

                      そのために、ご本尊があり、
                      そのために、
                      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
                      となえる!

                      けれど、また、それだけでも、いけない。

                      なぜかというと、
                      人のこと、世界のことを、祈っていかないと、
                      『境涯』が、大きくならないからだ!

                      境涯が大きくならないということは、
                      幸せも、大きくならないということです。

                      だから、人のこと、地域のこと、
                      世界のことを、祈っていくことも、
                      ものすごく、大切!

                      けれど、不思議(ふしぎ)なことに、
                      ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていると、
                      はじめは、悩みが、いっぱいあって、
                      自分のことしか祈っていないのに、
                      それが、だんだん変わってきて、
                      人のことを、
                      真剣に祈れるようになってくる!


                      幸せのレベルが、
                      違(ちが)ってくるということだと、思う。


                      不思議だけれど、南無妙法蓮華経には、
                      人間の境涯(きょうがい)を、
                      開く力(ちから)がある!


                      池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
                      まえに言っていた。


                      『ご本尊に祈るのに、祈り方なんてない!
                      自分の思うがままに、祈ればいい!』


                      人間の、どんな思いも、
                      ありのままに受け止め、
                      それを、最高に良い結果として、
                      出してくれるのが、
                      ご本尊であり、
                      また、それが仏法(ぶっぽう)だと思う。

                      もちろん、自分が祈った内容とは、
                      違う結果が出ることもある。

                      けれど、幸せという観点(かんてん)から見ると、
                      その時は、わからなくても、
                      最高の結果が出てきたことが、
                      あとになって、
                      わかることが、よく、ある!


                      それが、
                      南無妙法蓮華経の不思議なところです。


                      祈ったとうりのことが、かなったら、
                      幸せにならない場合は、
                      祈った通りには、ならないで、
                      別の結果が出る!


                      しかも、それは、
                      幸せということから考えると、
                      最高の結果が、出ている!


                      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


                      幸せとは、なんだろう?


                      と考えていくと、
                      ほんとうに難(むずか)しい!

                      自分の願いが、かなったら、
                      幸せだ。

                      でも、自分だけの願いが、かなっても、
                      他の人たちが不幸だったら、
                      あんまり、幸せでないかもしれない。

                      人も、自分も、
                      幸せにしていけるのが、
                      「仏法(ぶっぽう)」です!

                      南無妙法蓮華経を、となえていくと、
                      祈っている内容は、どうであれ、
                      自然(しぜん)と、人も、自分も、
                      幸せになる方向に、進んでいける!

                      これが、自分だけの幸せだったら、
                      幸せは、小さい。

                      けれど、創価学会が実践(じっせん)している、
                      南無妙法蓮華経の仏法は、
                      絶対(ぜったい)、そうはならない!


                      自分も、人も、世界も、
                      幸せになっていく。


                      だから、スゴイ!
                      だから、ほかの何よりも、
                      本当の幸せを、
                      心から、
                      感じることができる!


                      こういうのを、『歓喜(かんき)』という。


                      だから、日蓮大聖人は、

                      『南無妙法蓮華経は、歓喜の中の、大歓喜なり!』

                      と、言ったんだと、思う・・・・!


                      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                      JUGEMテーマ:日記・一般



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