こころに、打ち出の小槌を49

2019.10.26 Saturday 05:40
0
    創価学会(そうかがっかい)で
    仏法(ぶっぽう)を学んでいくなかで、
    不軽菩薩(ふきょうぼさつ)という菩薩の話しが、
    でてきます。

    不軽菩薩(ふきょうぼさつ)というのは、
    どんな人間であっても、
    すべての人の中に
    仏性(ぶっしょう)という、
    仏(ほとけ)のように
    清(きよ)らかで、強くて、素晴らしい、
    最高の生命があることを説くために、
    すべての人間を、
    礼拝(れいはい)して回ったという菩薩(ぼさつ)です。

    そのため、みんなから、
    うさんくさがられ、バカにされ、
    石を投げられたり、たたかれたりして、
    迫害(はくがい)を受け続けました。

    けれど、その行動は、
    仏法(ぶっぽう)から見ると、
    人間の生命を最大に尊敬(そんけい)する
    正しい行動だったので、
    その功徳(くどく)によって、
    不軽菩薩は、宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、
    成仏(じょうぶつ)し、
    後の世に(来世・未来世に)、
    釈尊(しゃくそん/釈迦・ブッタ)となって
    生まれてきたという話しです。


    ようするに、不軽菩薩は、
    釈尊(しゃんそん・ブッタ)の、
    過去世(かこせ)の姿だったということです。


    その不軽菩薩の話しから、
    以前、創価学会の先輩(せんぱい)が、

    『人は、実(じつ)は、自分を写す鏡(かがみ)なんだ!』

    という話しを、してくれた。

    どういうことかというと、
    人の中にある仏性(ぶっしょう/仏の生命)を
    たたえるということは、
    実は、自分の中にある仏性(仏の生命)を
    たたえていることになり、
    人を、たたえ、尊敬(そんけい)することが、
    実は、自分自分を、たたえ、尊敬することになり、
    自分を、自分の人生を、
    幸せの方向に、
    大きく、開花(かいか)させていくことになる!
    ということです。


    人というのは、
    自分の心に反応(はんのう)して、
    自分の心に、対応して、
    自分の心の鏡(かがみ)のように、感情や、しぐさや、
    行動を、起こしていくという
    一面(いちめん)もある。

    その人を、バカにして話していれば、
    それは、伝(つた)わり、
    相手は、
    冷淡(れいたん)な態度で接(せっ)してきます。

    こっちが、尊敬して対応(たいおう)していると、
    相手も気持ちよくなって、
    こちらを尊敬してくれます。

    そう、単純(たんじゅん)には、いかないけれど、
    営業にしても、
    こっちが、自信なく話していれば、
    相手は、軽(かる)く、あしらってきます。

    こっちが、自信を持って堂々(どうどう)と話していると、
    相手は、
    「そうかなあ!」と思って、
    乗(の)る気で、対応してくれます。


    単純なようで、あたりまえのようだけれど、
    確かに、そうだと思います。


    『人は、自分を写(うつ)す鏡!』


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


    人を尊敬して接すれば、接するほど、
    自分も、尊敬される。


    それは、なんとなく、わかる。


    けれど、ここには、無理(むり)がある。


    いくら、人を、心から尊敬しろと言われても、
    なかなか、実際には、
    難(むずか)しいこともあると思う。

    また、ネックとして、
    人を尊敬するためには、
    自分の存在(そんざい)も、尊敬していなければ、
    なかなか、できない!

    自分の存在に大きな価値(かち)があり、
    自分が生きているということに、
    大きな尊敬を感じることができなかったら、
    確かに、人を心から尊敬するということも、
    できないと思う・・・。


    そこが、ポイントだと思う。


    自分を、心から、尊敬しているという人は、
    なかなか、いないと思う。

    また、心から、自分は尊敬できない!
    というのが、本音(ほんね)だと思う。

    自分を、尊敬するというのは、
    ちょっと、おかしな表現かもしれないけれど、
    自分は、本来(ほんらい)、
    ほんとうに強くて、やさしくて、
    あったかくて、魅力(みりょく)があって、
    どんなこともに負けない、素晴らしい人間なんだ!
    と、わからせてくれる、

    「何かの存在」

    が、必要となるのは
    事実だと思う。


    普通、人間は、鏡(かがみ)を見て、
    自分の姿を、認識(にんしき)する。

    自分は、こうなんだ!と、
    鏡を、見ることによって、
    わかることが、できる。

    けれど、それは、見た目、
    表面(ひょうめん)上のことにすぎない。

    これが、もし、
    自分の生命の、心の底(そこ)まで
    見ることのできる鏡があったら、
    自分の生命が、どういうものか?
    認識することが、できる。

    その、自分は、ほんとうに強くて、
    やさしくて、あったかくて、魅力があって、
    どんなこともに負けない、素晴らしい人間なんだ!と、
    自分の生命の底から、
    認識させてくれる『鏡(かがみ)』が、
    実は、
    創価学会が祈る対象(たいしょう)として
    信望(しんぼう)している、

    『ご本尊(ほんぞん)』

    なんです。

    ※ご本尊とは、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
    仏(ほとけ)の生命を文字で表現しきった、
    紙などに描かれた曼荼羅(まんだら)です。


    最強最高の自分を写しだす鏡!
    それが、『ご本尊(ほんぞん)』!!


    その、ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
    現(あらわ)している。

    仏(ほとけ)の生命というのは、
    強くて、あったかくて、やさしくて、
    絶対に負けない、
    最高に輝(かがや)いた魅力的な、
    しかも、無限の可能性とエネルギーを
    秘(ひ)めた生命なんだけれど、
    それは、そのまま、
    『自分自身の生命を、現(あらわ)してもいる!』

    すなわち、
    強くて、あったかくて、やさしくて、
    絶対に負けない、
    無限の可能性とエネルギーを秘(ひ)めた、
    最高に素晴(すば)らしく輝いた生命が、

    『自分の中』に、
    『明(あき)らかに、存在している!』

    ということを、
    伝えるために、『ご本尊』は、ある。

    ご本尊自体が、
    必ず、幸せになっていける、
    必ず、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)えていける、
    必ず、夢や希望をかなえていける、
    最高にすばらしい本当の自分自身を、
    そのまま映(うつ)し出した、
    『鏡』
    だということです。

    だから、『ご本尊』に、
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
    となえる時、
    『ご本尊』という、『自分の鏡』を見て、
    強くて、あったかくて、やさしくて、
    絶対に負けない、
    最高に輝いた魅力的な自分自身を、
    思い出し、感応(かんのう)して、
    実際に、そういう生命が、
    自分の中から、わき上がってくる。

    そのことによって、
    本来の自分に戻(もど)ることが、できる!!


    その『本来の自分に戻る』とは、
    無限の可能性とエネルギーを秘めた自分自身に、
    戻ることができると、いうことです。

    そして、
    その自分の中から湧(わ)き上がってきた、
    本来の、無限の可能性を秘(ひ)めた
    生命の力によって、
    悩みを解決できたり、
    夢や希望をかなえていけたり、
    するわけです。

    また、ご本尊に、
    南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
    自分の中から、本当の生命の尊厳(そんげん)が、
    わき上がってくるので、
    そのことによって、
    自分と同じように、
    人も、尊敬することが、
    できるようになってくる!
    と、いうわけです。


    日々、『ご本尊』に、
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
    となえていくことによって、
    それが、自然に身についていき、
    無理をしなくても、
    自然に、人を、尊敬する接(せっ)し方が、
    できるようになっていくということです。



    少し、話しましたが、
    ご本尊と南無妙法蓮華経のスゴサは、
    悩みや問題が解決できたり、
    夢や希望をかなえていけたりして、
    計(はか)り知れない可能性がありますが、
    ご本尊に南無妙法蓮華経を
    となえていくことによって、
    自分の中から、
    最高の尊厳(そんげん)がわきあがり、
    また、人も心の底から、
    自然に尊敬できるようになっていく!ということも、
    この、『ご本尊』と、
    南無妙法蓮華経の、
    スゴサだと思う!


    ともかく、人は自分を写す鏡・・・。

    人が、自分を写す鏡だとしたら、
    その鏡を、最高に素晴らしく、
    魅力的な鏡にするのが、
    『ご本尊』の存在であり、
    自分も、人も、
    最高に尊敬する行為(こうい)が、
    『ご本尊』に、
    南無妙法蓮華経を、となえることに、
    なるんだと思う・・・・。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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    こころに、打ち出の小槌を42

    2019.07.16 Tuesday 13:00
    0
      昔、子供のころ、
      学校に、
      すごく魅力(みりょく)がある先生が、
      いた。

      なぜだか、
      その先生がいるだけで、
      楽しくなった。

      子供との接(せっ)し方が、
      すごく、うまくて、
      その先生に話しかけられると、
      うきうきしてきて、
      とっても、楽しくなった。

      子供心に、不思議(ふしぎ)に思って、
      なんとなく、
      その先生を、まねて、
      その先生みたいな感じで、
      友達と接するように
      してみた記憶(きおく)がある。

      そうしたら、なんだか、
      調子(ちょうし)が良くなってきて、
      楽しくなった記憶があります。

      もっとも、子供だから、
      長続きは、しませんでしたが・・。


      今、考えてみると、
      その先生は、
      自分に対(たい)しても、人に対しても、
      心の、持(も)っていきかたが、
      すごく、
      じょうずだったんだと思う。

      その心の持っていきかたを、
      まねしたから、
      子供ながら、
      自分も、
      自分の中から、良(よ)い心を
      引き出すことができて、
      調子よく、楽しくなったんだと思う。


      何を言いたいかというと、
      人が、尊敬(そんけい)するような人物の、
      素晴らしい心と、表現が、
      他の人には、無(な)いということは、
      決して、無い!ということです。

      人が尊敬するような、
      素晴(すば)らしい人が出す、
      素晴らしい心と、パフォーマンスは、
      すべての人間の中に、ある!
      と、いうことです。

      違(ちが)うのは、一方(いっぽう)は、
      自分の中にある素晴らしい心を、
      自然(しぜん)に出しているんだけれど、
      もう一方は、その自分の中にある
      素晴らしい心を、
      出せない、出そうとしていない!
      ということだと思う。


      自分の中にある、
      素晴らしい心を出すスイッチを、
      幸せな人は、
      いつも、押(お)している。


      けれど、不幸な人は、
      素晴らしい心を出すスイッチが、
      あるにも、かかわらず、
      そのスイッチを押していないし、
      決して、押そうとはしない。


      その違いだと思う。


      すべての人間の中に、
      すべての心を引(ひ)き出す
      スイッチは、備(そな)わっている。


      問題は、人生において、
      どのスイッチを押すかということだ。


      その押したスイッチの違いによって、
      人生は、
      大きく変わっていく!


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

      心のスイッチの、
      ほとんどのスイッチは、
      自分の努力次第(どりょくしだい)で、
      押すことができる場合もあると思う。


      けれど、
      ひとつだけ・・・!


      自分の努力だけでは、
      どうしても押せないスイッチがある。


      それが、

      『仏界(ぶっかい)の心』

      のスイッチだ。


      仏界の心とは、
      仏(ほとけ)のように、
      強くて、あったかくて、やさしくて、
      幸せに、あふれていて、
      心が満(み)たされ、
      それでいて、
      何者にも負(ま)けない、
      最強にして最高の心の領域(りょういき)です!

      具体的に言えば、
      自分に降(ふ)りかかってくる、
      さまざまな運命の嵐(あらし)、
      その、どうしても避(さ)けがたい、
      困難(こんなん)の嵐、
      普通だったら、どうしても
      乗り越えることが、できないような、
      宿命(しゅくめい)の嵐、

      そのどんな困難な運命(うんめい)の嵐さへ、
      乗り越(こ)え、
      打ち勝つことができる、
      最高にして最強の心が、
      仏界(ぶっかい)の心です。

      この『仏界の心』だけは、
      現実世界の中で、
      どんな努力をしても、
      それだけでは、自分の中から、
      引き出すことは、できない!

      なぜかといえば、
      その仏界の心を引き出すための、
      スイッチが、わからないから、
      引き出しようがない!
      と、いうことです。


      逆(ぎゃく)に言えば、
      そのスイッチが、わかれば、
      その仏界の心を、
      引き出すことができる!


      その仏界の心を引き出す、
      スイッチが、

      『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
      となえる!』

      と、いうことです。


      残念(ざんねん)ながら、
      南無妙法蓮華経を、となえる以外、
      この仏界(ぶっかい)の心を引き出すことは、
      できません!


      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
      その仏界のスイッチを、
      すべての人間が
      押すことができるように、
      南無妙法蓮華経を、残(のこ)されたんだと思う。


      そして、仏界のスイッチを押す、
      南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
      一点の曇(くも)りもなく、
      まっすぐに実践しているのが、
      創価学会(そうかがっかい)なんだと思う。


      それは、
      悩みの解決や夢の実現など、
      南無妙法蓮華経を、となえることによって、
      世界中の創価学会の人たちに起こった、
      あまりにも沢山(たくさん)の
      幸せのドラマが、
      明確(めいかく)に、ありありと、
      物語っている・・・・・・!


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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      こころに、打ち出の小槌を24

      2018.08.06 Monday 10:12
      0
        先日、聖教(せいきょう)新聞にのっていた、
        娘が水頭症で生まれ、
        医師に、
        「長生きできないでしょう」
        と言われながら、
        創価学会(そうかがっかい)の信仰で
        乗り越(こ)えてきたという、
        体験の話しをしたんだけれど、

        その学会員さんが、
        こころの支(ささ)えとしていた、
        池田先生(創価学会インターナショナル会長)
        の言葉がのっていました。


        それは、


        『だれであろうと、

         その人が、

         その人であるというだけで、

         かけがえのない存在なのである。』


        という、言葉です。



        この言葉を読んで、
        正直、ぼくは、
        感動してしまいました!


        なんという、あったかい言葉なんだろう!

        なんという、愛情のこもった言葉なんだろう!

        なんという、人間愛なんだろう!

        なんという、楽観主義(らっかんしゅぎ)なんだろう!

        なんという、広い、こころなんだろう!


        そこには、一切の差別(さべつ)がない!
        人間であることの、かぎりない希望と、
        かぎりない愛情と、
        人間であることの強さと、
        人間であることの確信(かくしん)と、
        ぜったいに、
        ひとりも不幸にはしないという、
        強い強い、決意が、
        宇宙のように、にじみでいる!


        創価学会の人だったら、
        わかると思うけれど、
        こんな、素晴らしい、
        池田先生がいること自体(じたい)が、
        もう、
        なによりも、幸せだと、
        思った!


        そして・・・
        池田先生という人生の師匠(ししょう)を通して・・・・
        言葉にすることのできない感動が、
        こころの底(そこ)から、
        深く、
        深く、
        こみあげてきた・・・・!


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


        言葉では、言いあらわせないことが、ある。

        言葉では、言い尽(つ)くせないことが、ある。


        なぜ、感動するのかは、わからない。
        人間は、感動する生き物なのかも、しれない!
        人が、どんなに、
        非難・中傷(ひなん・ちゅうしょう)しようとも、
        人が、どんなに、バカにしたとしても、
        真実は、必ず!!
        伝(つた)わってくるからだ。


        それが、感動なのかも、しれない!


        南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
        となえる音律(おんりつ)は、
        全宇宙に、とどくと、
        いう。

        南無妙法蓮華経を、となえる音声(おんじょう)は、
        全世界に、
        伝わるという。


        そして、本当に民衆のことを、思い、
        本当に、民衆の、世界の人々の幸せを
        願っている人間の心は、
        必ず、伝わるものだ!


        それが、
        南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)なのかもしれない!


        池田先生という、
        師匠を通して、わかること!


        それは、池田先生は、正しい!


        ということだ。


        それは、そのまま、
        創価学会が、どれだけ素晴らしく、
        どれだけ、正しいかという
        証明につながり、
        創価学会が実践(じっせん)している、
        南無妙法蓮華経をとなえる
        仏法(ぶっぽう)の信仰が、
        どれだけ、正しいかの、
        証明になっている。



        感動は、かくすことは、できない!
        感動は、ウソを、つかない!
        そして、感動は、
        真実と、直結(ちょっけつ)している。


        言葉にすることのできない感動が、
        伝えてくれるもの!

        それは、


        『創価学会は、明(あき)らかに、確かに、正しい!
         この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
         人間においても、
         生命においても、
         理論(りろん)においても、
         完璧(かんぺき)に正しく、
         すべての人に、
         真実の幸せを、もたらす・・・!』


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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        こころに、打ち出の小槌を22

        2018.07.15 Sunday 10:00
        0
          まえに、
          ブログを見ていたら、
          手首を、何度も、何度も、
          切ってある写真が、のっていた。

          自分の身体を、
          傷(きず)つける人の心は
          わからないけれど、
          自分の心を、自分で傷つけたり、
          卑下(ひげ)したりするのも、
          結局(けっきょく)、
          自分を傷つけているのと、
          同じなのかもしれない?と、
          思いました。


          それで、思い出したけれど、
          以前、
          ヤッパリ、自分を傷つけずにはいられない
          若い女性がいて、
          その女の子が、
          創価学会(そうかがっかい)に入会しました。

          その子が、創価学会に入会して、
          どうなったと思いますか?

          彼女は、


          『自分を、傷つけたくなくなった!』


          そうです。


          彼女の何が変わったのか?と、
          考えてみると、
          二つのことが、考えられると思います。

          一つ目は、

          『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』。

          彼女が、南無妙法蓮華経を、となえ始めた!
          ということです。

          『南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』

          といって、
          南無妙法蓮華経を、となえていると、
          身体だけでなく、
          『こころ』も蘇生(そせい)していきます。

          だから、彼女の「こころ」も、
          蘇生して、
          もう、自分の身体を傷つけなくなったんだと、
          思います。

          それと同時に、

          『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜なり』

          と、いって、
          南無妙法蓮華経を、となえていると、
          生命が歓喜して、
          幸せを感じるようになっていきます。

          南無妙法蓮華経を、となえることによって、
          彼女も、幸せを感じるようになってきて、
          楽しくなってきたので、
          もう、自分の身体を傷つける必要は、
          別(べつ)になくなったんだと、
          思います。

          これが、ひとつ。


          もうひとつの理由は、

          『ご本尊(ほんぞん)』です。

          ご本尊とは、
          南無妙法蓮華経をとなえる対象(たいしょう)のことで、
          日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
          未来の全民衆を幸せにするために、
          したためられ、書き残された、
          曼荼羅(まんだら)です。

          曼荼羅(まんだら)とは、
          祈る対象として、仏(ほとけ)などを、
          紙などに描きあらわしたもので、
          日蓮大聖人は、仏(ほとけ)の生命を、
          文字で、表現することによって、
          具体化と抽象化(ちゅうしょうか)の
          絶妙(ぜつみょう)のバランスで、
          仏の生命を、表現しきっています。


          この、ご本尊は、


          『自分を写す鏡(かがみ)』


          だと言われています。


          人間(自分)の中には、
          強くて、あったかくて、やさしくて、
          最高に素晴らしくて、
          魅力的(みりょくてき)な生命が
          あります。

          簡単(かんたん)に言うと、
          本来、自分が持っている、
          最高に素晴らしくて、
          最高に魅力的な自分!

          それを、ご本尊(ほんぞん)は、表現しています。


          人間の心は、たえず、変化しています。

          いつまでも、同じ心でいることは、
          ありません!
          朝、気持ちよく起きても、
          電車でチカンに会えば、ムカっとするし、
          また、会社で好きな人に会えば、
          うれしくなってくるし、
          上司(じょうし)に、しかられれば、
          がっかりする。

          人間の心が変化するといっても、
          いつも、何かの縁(えん)にふれて、
          心は、変化します。

          一万円札を拾(ひろ)えば、その縁によって、
          心が、喜んだりします。
          家族が、病気になれば、その縁(えん)によって、
          心は、悲しくなり、心配になります。

          好きな人に会えば、その縁によって、
          うれしくなり、嫌(きら)いな人に会えば、
          その縁によって、ムカッとします。

          感動する映画を見れば、その縁によって、
          心は、ジーンとしてきます。
          好きな音楽を聴(き)けば、その縁によって、
          心は、気持ちよくなります。


          『こころ』は、すべて何かの縁(えん)にふれて、
          『その縁に合った心』に、変化していきます。


          簡単に考えると、
          縁にふれることによって、
          その心が起こり、
          変化していくのが、
          心のシステムです。

          だから、いろいろな感情や心を、
          引き出すためには、
          それを、引き出す『縁(えん)』が、
          必要なんです。


          その、さまざまな心や感情を引き出す縁は、
          そのほとんどは、
          現実の社会の中に存在(そんざい)しています。

          だから、現実の社会に存在している
          縁によって起こる感情を引き出すのは、
          難(むずか)しくは、ありません!

          だって、普通に生きていれば、
          その縁に、普通にぶつかるので、
          その縁によって、その心や感情は、
          簡単に、引き出されます。


          けれど、ひとつだけ、


          『最高に強くて、あったかくて、やさしくて、
          とっても幸せで、最高に魅力的な自分自身』


          に、めぐり会えることは、
          現実の社会の中では、不可能(ふかのう)です。

          そりゃあ、そうです。
          自分は、ここにいるんだから、
          最高に素晴らしい、魅力的な自分が、
          自分の前に現(あらわ)れることは、
          ありえないからです。

          だから、本来、素晴らしい自分なのに、
          それを引き出す縁がないから、
          なかなか、
          本来の素晴らしくて魅力的な自分は、
          でてこない!

          ようするに、本当に幸せで、強くて、
          魅力的な自分を、引き出すには、
          そういう自分を引き出す『縁(えん)』
          自分は、本当は、こうなんだ!と、
          わからせてくれる『鏡(かがみ)』が、
          必要なんです。

          その鏡がないと、
          本当に素晴らしい自分は、
          出てこないんです!


          その本当に素晴らしい自分を、映(うつ)し出す鏡が、
          『ご本尊(ほんぞん)』なんです。


          最初に話しましたが、
          強くて、あったかくて、やさしくて、
          最高に素晴らしくて、魅力的な生命、
          本来、自分が持っている、
          最高に素晴らしくて、最高に魅力的な自分!
          を、表現したものが、ご本尊です。


          だから、自分を傷つけずにはいられなかった、
          女の子も、
          毎日、ご本尊の前に座(すわ)って、
          南無妙法蓮華経を、となえ、
          ご本尊に、縁する(対面する)ことによって、
          本当の自分を写す鏡である、『ご本尊』を見て、
          本当の自分を、思いだし、
          本当の自分に目覚(めざ)めていくんだと思います。


          だから、自分を、傷つけたりしちゃ
          いけない!

          って、
          こころから、わかったんだと、
          思います。


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


          ほんとうの信仰とは、
          おすがりするものでは、ない!

          本当の自分に目覚め、
          本当の自分を自覚(じかく)して、
          みずからの、こころの中から、
          開花していくものだ!


          自分の中から悩みを解決し、
          自分の中から夢をかなえ、
          自分の中から幸せになってゆく。

          ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていると、
          だれでも、自然に、
          それが、できるようになってくる!


          それが、
          創価学会が信じ、
          実践(じっせん)している、
          南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
          『ご本尊(ほんぞん)』なんだと、思う。


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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          こころに、打ち出の小槌を13

          2018.03.22 Thursday 12:54
          0
            宗教は、好きですか?
            と聞かれたら、
            宗教は、好きではありません!

            じゃあ、何が、好きか?というと、
            「自分が、幸せになることが、好きです!」

            別に、宗教には、興味(きょうみ)ありませんが、
            自分が、幸せになることが好きだから、
            創価学会に入って、
            ご本尊(ほんぞん)に、
            南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
            となえているわけです。

            悩みの解決にしても、
            夢や希望の実現にしても、
            いままでの体験(たいけん)から、
            『これしか、ない!!』ということが、
            わかっているからです。

            その現実に幸せになったという『体験』と、
            生命の底(そこ)から感じる確信があるから、
            世界中の人たちが、
            創価学会(そうかがっかい)の、
            南無妙法蓮華経をとなえる
            仏法(ぶっぽう)の信仰を、
            やっているわけです。


            世間一般的には、宗教というと、
            とくに、日本人は、
            なんか、困(こま)ったことがあった時だけ、
            どこかの坊(ぼう)さんなどに頼(たの)んで、
            おがんでもらう。
            何々宗の偉(えら)い方だからとか言って、
            高い!お金を払(はら)って、
            自分のことを、他人に、おがんでもらう。

            それが、宗教というものだと、
            一般的に、思っている方が、多い。

            それのほうが、確(たし)かに、楽かもしれない。
            だって、自分は、なんにも!しなくていいんだから!
            それで、悩みや問題が、解決するんだったら、
            こんな楽なことは、ない!

            けれど、これが、
            悪(あ)しき宗教が、うじゃうじゃと、
            はびこる原因になっている。
            祈ったり、おがんだり、
            お経(きょう)を、あげたりするのは、
            宗教家が、やるもので、
            普通の人には、できないものだと
            考えさせられている。

            坊主(ぼうず)が祈らないと、
            成仏(じょうぶつ)しないとか、
            何々宗の偉い方でないと、
            この問題は、解決できないとか、
            ある種、異常(いじょう)な、特権的な権力が、
            坊主や、宗教家に、与(あた)えられている!

            それに、おすがりしないと、幸せになれない!とか、
            それこそ、とんでもない理屈(りくつ)が、
            通ってしまうのが、悪(あ)しき宗教の、
            はびこる理由です!


            そして、
            それとは逆(ぎゃく)なのが、
            創価学会です。

            特別な人なんて、いない!
            坊主だけに与えられた特権(とっけん)なんて、
            ありえない!
            坊主に祈ってもらわなければ、
            幸せになれないなんて、
            そんな、ナンセンスなことは、ありえない。

            創価学会では、
            自分で、祈っている人が、偉大(いだい)!
            自分で、戦っている人が、偉大!
            上も下もない!
            人間が、人間を、引っ張(ぱ)っていく!
            人間と、人間の、まごころの対話、
            人間が、人間を、こころから、思うことによって、
            つながっているのが、創価学会!!

            結論から言うと、
            自分で、祈っている人が、仏(ほとけ)
            自分で、戦っている人が、仏(ほとけ)
            仏と言っても、死んでる人のことではない。
            仏とは、『人間の王者!』という意味です。
            それが、本当の仏法(ぶっぽう)!

            けれど、その本当のことを、言っちゃうと、
            ヘンな坊主や、宗教家は、困る!
            宗教家や、坊主でないと、できない!という、
            まやかしの権威(けんい)が、ないと、
            お金もうけが、できないから!
            だから、決して、本当のことは
            言わないし、また、知らないかもしれない。
            宗教家は、自分の権威が、はがれては困る!

            だから、創価学会の人が、
            本当のことを言うのを、恐(おそ)れて、
            デマや、いろいろな手を使って、
            創価学会を、迫害(はくがい)してきた!

            でも、迫害されれば、されるほど、
            創価学会は、発展してきた!
            なぜならば、
            創価学会の実践している仏法(ぶっぽう)は、
            本当だから!
            真実の実践(じっせん)を、しているから!
            だから、ひとりひとりの生命の歓喜(かんき)は、
            だれびとも、おさえることは、できなかった。


            ある意味、良い意味で、
            創価学会は、
            世間の風潮(ふうちょう)に、流されない!
            正しいことは、正しい!
            間違(まちが)ってることは、間違ってると、
            言い切ってきた!

            それと同時に、
            創造性(そうぞうせい)、豊(ゆた)かで、
            決して、固(かた)まった形に、とらわれないで、
            時代、時代に、マッチした活動をしてきた!

            それが、創価学会が、
            発展してきた理由のひとつだと、思う。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

            『人間が、人間を、
             人間以上のものに
             見せようとした時から、
             宗教は、邪教(じゃきょう)!となる』

            というようなことを、言っていた。

            確かに、そうだと思う。
            もし、人間を、人間以上のものに
            みせようとしている宗教があったなら、
            はっきりと、邪教だ!と、
            見破(みやぶ)っていかなければならない!


            なぜならば、
            人間の不幸の中で、
            邪教は、人間を、不幸にする、
            もっとも、根源的(こんげんてき)なものだからだ・・・・・・!


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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            こころに、打ち出の小槌を1

            2018.01.18 Thursday 19:14
            0
              ぼくは、
              創価学会の地区座談会というのがあって、
              毎月、行っています。 

              老若男女(ろうにゃくなんにょ)、
              いろんな人が、
              とっても、あったかく、 
              明るく、和気(わき)あいあいと語り合っている姿に、 
              いつも、元気づけられ、励(はげ)まされ、 
              勇気づけられています。 

              いろんな話しを聞くけど、 
              だいたいは、
              創価学会(そうかがっかい)の信仰を通しての、 
              人それぞれの、いろんな体験(たいけん)の話しを
              聞きたりします。 


              前に、座談会で聞いた話しですが、
              ある婦人が、子供のころからの心臓の大病で、 
              入院したそうです。

              時間の許すかぎり、
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
              をとなえ、
              一日、10時間、
              多い時は、15時間以上も、
              南無妙法蓮華経を、となえたそうです。

              そして、手術も大成功して、
              病気を克服(こくふく)した!!という、 
              体験の話しでした。

              「南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり」
              といって、
              南無妙法蓮華経をとなえると、
              生命が蘇生(そせい)することは、わかるけれど、
              彼女の生きよう!とする必死さに、
              とても感動し、 
              また、
              南無妙法連華経のスゴサにも、 
              共感と感動を、おぼえました! 

              創価学会でない人は、わからないと思うけれど、 
              創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰は、 
              『生きよう!』とする、 
              あるいは、『人生を勝利しよう!』とする、 
              あるいは、『幸せになろう!』とする、 
              生命の強烈(きょうれつ)な戦いだから、 
              創価学会の仏法の信仰を、
              実際、やっている人からすると、
              人の信仰による体験が、
              ストレートに、実感(じっかん)として、
              心に、伝わってきます。

              いつも思うけれど、 
              人間が、実際に経験した、 
              『体験(たいけん)』ほど、 
              人を、揺(ゆ)り動かすものは、
              ないと思います。 


              その体験が、 
              創価学会の中には、 
              いつも、脈打(みゃくう)っている。 


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              南無妙法連華経を、となえると、 
              どうして、病気を克服(こくふく)できたり、 
              あるいは、経済苦や家庭内の問題や、 
              さまざまな人生における悩みが、 
              解決したりするんだろう? 

              仏法(ぶっぽう)では、
              「こころこそ、大切なり」
              という。 

              また、仏法では、
              一念三千(いちねんさんぜん)といって、 
              一念(いちねん/こころ)の違いによって、
              三千の違う世界が、できあがる!という。

              心(こころ)を、本当に、本質的に、
              変革することができたならば、 
              自分の人生を、大きく幸せの方向に
              変革していくことが、
              できるということです。 


              ということは、 
              南無妙法連華経には、その心(こころ)を、 
              爆発的に変革していく、 
              大きな力(ちから)が、あるのだろうか・・・? 


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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