こころに、打ち出の小槌を48

2019.10.05 Saturday 05:44
0
    日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
    御書(ごしょ)に、
    諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)という
    御書があります。
    (御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
    論文や手紙を、すべて集めたものです)

    この御書(ごしょ)のなかに、

    『日蓮一人はじめは
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と
    唱(とな)えしが、
    二人、三人・百人と、
    次第(しだい)に唱え、つたふるなり、

    未来も又(また)しかるべし。』


    とある。


    組織論(そしきろん)として、
    すべてに言えることとして、

    その組織が、一人しか、いなかったら、
    自分が、やるしかない。

    それが、2人になると、
    だいぶ、楽(らく)になってくる。

    自分が、できないときは、
    替(か)わって、やってくれる人が、いるからだ。

    それが、三人になると、
    劇的(げきてき)に変化が起こってくる!

    2人だけだと、その2人は、
    自分と似(に)かよった、
    同じような趣味や趣向(しゅこう)を持った、
    狭(せま)い範囲(はんい)の人しか、
    集めることはできない。

    ところが、これが、三人になると、
    自分の趣味や趣向、性格とは、
    まったく違(ちが)うような人たちも、
    仲間として、
    入れていけるようになってくる。

    だから、組織は、
    三人になった時から、
    劇的に発展していく。


    これが、組織を発展させていく原理(げんり)だという。


    一人から二人へ、二人から三人へ・・。


    この原理なくして、組織は、
    現実的に広かっていくことはない。

    だとしたら、組織を強くする鍵(かぎ)は、
    やっぱり、
    一対一の誠実(せいじつ)な対話なんだと思う。

    最も、地味(じみ)なようで、
    これしか、
    組織を強くする方法は無(な)いんだと思う。


    池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
    青年から、どうしたら、
    組織を強くできるか?と、質問され、

    「それは、一人の人間と、会っていくことだ!」

    と、答えてくれたそうです。


    一人を大切にすることが、
    組織を強くすることに直結(ちょっけつ)する。


    現代という時代は、

    「大きな組織の中では、オレの力なんて」

    とか、

    「俺が、いくら、がんばったって、
    世界が、変わるわけではない」

    とか、

    一人の力を、過小評価(かしょうひょうか)し、
    卑下(ひげ)する傾向にあると思う。

    けれど、さっきの組織論からいうと、
    それは、まったく、逆(ぎゃく)だということになる!

    巨大な組織を強くする、ということは、
    一人の人間を、強くする、
    一人の人間を、最大に尊敬する、
    一人の人間の価値(かち)を、最大に評価していく!


    これしか、ないということだと思う。


    そして、この結論として言えることは、
    巨大な組織よりも、はるかに大きな価値が、
    一人の人間には、ある!

    巨大な一国を左右(さゆう)できるだけの、
    偉大(いだい)な力を持っているのは、
    実は、たった一人の人間だと、
    いうことになる!


    だから、一人の人間を、
    ぜったいに、卑下(ひげ)してはいけない!

    一人の人間の価値を、
    最大に認め、
    賛嘆(さんたん)している組織や国が、
    結局は、
    栄(さか)え、発展していく。

    一人の人間の価値を、過小評価し、
    バカにしている組織や国は、
    やがては、滅(ほろ)んでいく運命に、
    あると思う。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

    一人の人間の幸せを考える時、
    そのネックにあるのは、

    自分という一人の人間の価値を、
    最高最大に認(みと)めてほしい!

    自分の生きている価値を、
    最高最大に感じて生きたい!

    ということではないかと、思う。

    だから、
    その一人一人の切実(せつじつ)な願いを、
    かなえることができる団体が、
    伸(の)び、発展していくことになる。


    日蓮大聖人が、
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
    となえだした時、
    一人だった!

    だが、やがて、2人、3人と増え、
    最終的に、南無妙法蓮華経を
    となえるようになったのは、
    日蓮大聖人の生前中に、
    全国の日本人の十分の一にまで、
    なったそうです。

    しかも、これは、
    一国をあげて、
    日蓮大聖人と、その門下(もんか)を、
    迫害(はくがい)し続けてきて、
    それでも、それだけ、
    南無妙法蓮華経が広がってきたと
    いうことです!

    さっきの組織論から考えていくと、
    南無妙法蓮華経は、
    あらゆる、一切(いっさい)の迫害を超(こ)えて、
    一人の人間の価値を、
    どこまでも、最高最大に、たたえ、
    最高最大に、開花(かいか)させていく、

    『最強の人間讃歌(にんげんさんか)の法則(ほうそく)』

    なんだと思う。

    まるで、
    消えることのない太陽の炎(ほのお)のように、
    こころと生命を、
    幸福にし、
    王者のように輝(かがや)かせてくれる!!

    だから、どんな迫害も、
    南無妙法蓮華経を、となえることによって、
    人間の生命に起こる変革(へんかく)。

    すなわち、
    一人の人間の生命に、
    最大の価値と無限の可能性を開く『革命(かくめい)』を、
    はばむことは、できなかったんだと、
    思う。


    現在では、創価学会(そうかがっかい)は、
    世界192ヶ国に広がり、
    24時間、世界のどこかで、
    必ず、南無妙法蓮華経を
    となえている人がいるそうです!


    日蓮大聖人の予言(よげん)どおりに、なってきた。


    それは、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
    人間の価値と可能性を、
    最大に開花させてきた結果であり、
    ひとりひとりの悩みや問題を解決し、
    夢や希望を、かなえてきた結果だと思う。

    それは、
    ひとりの人間を、
    現実に強くし、
    現実に幸せにしてきた。

    ひとりの人間を
    強く幸せにしていくならば、
    結局(けっきょく)、
    それは、
    社会を、
    世界を、
    強くし、
    幸せにしていく結果となる。


    ゆえに、
    この創価学会の、
    南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰ほど、
    世界に、
    平和と、幸せと、希望の世界を、
    ひろげていく方法はないと
    結論(けつろん)しても、
    なんの問題もない・・・・。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

    JUGEMテーマ:日記・一般



    category:日常 | by:kokouchi | - | -

    こころに、打ち出の小槌を47

    2019.09.25 Wednesday 20:55
    0
      以前、インターネットで、
      2チャンネルという書き込みを見ていたら、
      創価学会(そうかがっかい)の話しが、
      のっていた。

      「創価学会にだって、悪人は、いるじゃないか!」

      とか、

      「創価学会の人が、みんな、善人(ぜんにん)ではない」

      とかいう話しを、していた。


      それは、そうだと思う。


      創価学会に反逆(はんぎゃく)した人たちだって、
      もとは、創価学会だったわけだし、
      まあ、悪人だから、
      創価学会から出ていったわけだけれど、
      もとはといえば、創価学会員だ。

      創価学会は、

      どんな人でも、幸せにしたい!

      と、願っているわけだから、
      いろいろな人が、創価学会に入ってきて、
      当然(とうぜん)だと思う。


      けれど、信心が、狂(くる)ってしまったら、
      その人は、狂っていく。


      仏法(ぶっぽう)の原因と結果の法則(ほうそく)には、
      一点の狂いもない!

      だから、仏法の信心(しんじん)が狂ってしまった人が、
      おかしくなるのは、
      逆(ぎゃく)の意味で、
      この仏法(ぶっぽう)が、
      真実の法則であることの証明だと思う。

      創価学会に入っても、
      信心がなくなり、創価学会員を
      バカにするようになった人が、
      幸せになったら、おかしい!

      それとは、まったく逆の、
      悲惨(ひさん)な結果が出て当然だと思う。

      だから、逆に、
      仏法の信仰(しんこう)を、
      素直に、純粋(じゅんすい)にやっていると、
      思いもよらなかった幸せを、つかめるのも、
      仏法の道理(どうり)だと思う。


      勘違(かんちが)いしてもらっては、
      困(こま)ると思う。


      池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、
      どんな悪人であっても、
      創価学会員である以上、
      なんとか、良くしよう!良くしようと、
      心を、砕(くだ)いていたように思える。


      けれど、ひとたび、
      創価学会に牙(きば)を向いたならば、
      絶対に、許(ゆる)さない!


      なぜかと言うと、その悪を許したら、
      創価学会の清浄(せいじょう)な世界が、
      壊(こわ)されてしまうからだ!

      創造(そうぞう)は、一生、
      破壊(はかい)は、一瞬(いっしゅん)。

      ほんとうは、一瞬の気の緩(ゆる)みも
      許されないのが、人生だと思う。

      だから、悪は、許さない。


      ともかく、仏法(ぶっぽう)は、きびしい!
      勝つか、負けるかだ。

      単純(たんじゅん)に考えると、
      この世界は、
      悪人が勝つか、善人が勝つかの戦場だと思う。

      中途半端(ちゅうとはんぱ)は、ありえない!

      善人が、おとなしくしていれば、
      悪人は、いい気になって、
      どんどん、のさばっていく。

      悪人というものは、際限(さいげん)を知らない。

      日本人は、
      「これくらいは許(ゆる)してやれば、
      いいじゃないか」
      とか、
      そういう、中途半端な黙認(もくにん)を、
      美徳(びとく)と考える傾向(けいこう)があると思う。

      けれど、相手(あいて)が、
      あきらかな悪人の場合、
      それは、
      間違(まちが)いとなる。

      そんなことをして、悪人が反省するとでも、
      思っているのだろうか!

      そんなことは、絶対にない。

      悪人というものは、
      気を許せば、
      許すだけ、際限なく広がっていくものだ。

      ドイツが、昔、
      ナチスだった人たちを許さなかったのも、
      そういうことだと、思う。

      ナチスの悪人を、
      たとえ、地の果(は)てまでも、
      追い詰(つ)め、断罪(だんざい)していく。

      それが、人間としての、
      誠実(せいじつ)な、
      真実の生き方だと思う。


      だから、創価学会も、
      悪人を絶対に、許さない。

      ほんとうに、くどいようでも、
      はたから見たら、みっともないように見えたとしても、
      徹底(てってい)して、悪を責(せ)め、
      追及(ついきゅう)しつづける!


      それが、人間の正義(せいぎ)を、
      善(ぜん)を、
      強く高め、
      自分を、世界を、
      平和に、幸せにしていく
      法則であり、方法だからです。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

      ただし、よく、誤解(ごかい)されるのは、
      創価学会員は、なにも、
      善人になるために、
      信心しているのでは、ない。

      そうではなくて、
      『幸せになるために』、
      信心をしている。

      はたから見て、なんの、けがれもないような、
      いわゆる、石にも棒(ぼう)にも当たらないような、
      そんな善人になる必要は、
      なんにも、ない。

      この、けがれた、みだれきった世界に
      生きている以上、
      ひとくせも、ふたくせも、あって、
      当然だと思う。

      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の時代に、
      大聖人の弟子で、
      四条金吾(しじょうきんご)という素晴らしい弟子が
      いたけれど、
      彼は、武士だ。

      武士(ぶし)といえば、人を切ることを
      商売としているとも言えるから、
      まあ、悪く言えば、人殺しだ。

      よく考えたら、こんな悪人は、いない。

      けれど、それは、生きていく上で、
      しょうがないことだとも、言える。

      仏法(ぶっぽう)は、
      そういう現実の中で生きている人間を、
      ひとりも、否定(ひてい)しない!

      ひとくせも、ふたくせも、あろうが、
      どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
      その人間の生命の中に、
      輝(かがや)かしく、
      素晴らしい生命を見いだして、
      ひとりひとりが、生活の中で、
      実感(じっかん)でき、
      満足していける最高の幸せを、
      つかませてくれる。


      それが、仏法(ぶっぽう)だと思う。


      あえて言えば、
      どんな傾向性(けいこうせい)がある人間であっても、
      幸せという観点(かんてん)から見て、
      その人が、最大限に生かされていく。

      自分の人間としての傾向性が、
      すべて、プラスへと、変えられていく。

      よく、コメディーで、
      自分が、悪意(あくい)でやっているのに、
      それらが、すべて、良い結果を生み、
      なぜだか、幸せになってしまうという
      ドラマが、ある。

      上の例(れい)は、少々、おおげさだけれども、
      創価学会が実践(じっせん)している、
      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を、
      真剣に、実践していくと、
      ほんとうに、そうなっていく。


      不思議(ふしぎ)だけれど、
      それが、南無妙法蓮華経の力(ちから)であり、
      仏法が、生命に及(およぼ)ぼす、
      素晴らしい力だと、思う・・・・・。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

      JUGEMテーマ:日記・一般



      category:日常 | by:kokouchi | - | -

      こころに、打ち出の小槌を45

      2019.08.27 Tuesday 18:25
      0
        このまえ、
        うちの会社に、
        エホバかなんかの、
        キリスト教の勧誘(かんゆう)の女性が来て、
        ある上司(じょうし)のかたが
        対応したんだれけど、
        その上司は、宗教が嫌(きら)いならしく、

        「人が、何を信仰しようと自由だが、
        宗教を、人に勧(すす)めるのは、
        間違(まちが)っている!

        だいたい、宗教というものは、
        昔は、必要なものだったかもしれないが、
        現代では、必要のないものだ!

        宗教は、無(な)いほうが、いいんだ!
        だいたい、お賽銭(おさいせん)を投げて、
        手を合わせて、幸せになるなんて、
        ばかげているし、
        宗教なんて、人間を、たぶらかす、
        害毒(がいどく)にしかならない!」

        と、言っていた。


        確(たし)かに・・、
        世間一般に考えられているものが、
        宗教だったら、
        うちの上司が言うことは、
        正しいと思う。

        確かに、日本人的な宗教の考え方では、
        宗教は、ほんとうに、ばかげていると思う。

        ともかく、みんなが、やっているから、
        なんとなく、余興(よきょう)でやっている。

        手を合わせているものが、
        ほんとうは、何であるのか、
        調(しら)べもしないで、
        なんとなく、手を合わせている。

        観光宗教、あるいは葬式(そうしき)宗教というのものは、
        観光や金儲(もう)けに都合(つごう)がいいように、
        かってに、適当に作り出された、

        『でたらめの産物(さんぶつ)』

        と言えるので、
        拝(おが)んでいるものの内実(ないじつ)は、
        はっきり言って、
        『げてもの』だと思って間違いないです。


        そんなものに、手を合わせている。


        ところが、
        手を合わせるということは、
        人間の生命的には、
        あなたに(拝[おが]んでいる対象[たいしょう]に)、
        命を、ささげますよ!という意味と、
        科学的な効果(こうか)とが、ある。

        だから、祈っている対象が、
        ゲテモノや化け物(ばけもの)だったら、
        化け物や、ゲテモノに、
        命を、ささげることになって、
        自分の生命が、ゲテモノや化け物に、
        影響(えいきょう)されるので、
        自分の人生に、悪影響を、およぼしたり、
        不幸を、もたらすことはあっても、
        100%、幸せになることはありえない!


        それが、観光宗教や葬式仏教、
        神社信仰だと、言えます。


        だから、うちの上司が言っていることも、
        まんざら、間違ってはいない。


        ただし、そう言えるのも、
        世間一般の日本人レベルでのことです。


        もっと、レベルを上げた考え方をすると、
        うちの上司の言ったことは、
        間違っている。

        ちょうど、幼稚園児(ようちえんじ)には
        正しいと言えることも、
        大学生からみれば間違っているようなものです。

        幼稚園と大学生の例(たと)えは、
        おおげさのように聞こえるかもしれないけれど、
        はっきり言わせていただくと、
        日本人の宗教に対する考え方は、

        「幼稚園なみ」

        と、言わざるをえません。


        宗教には、正邪(せいじゃ)があることを知らない。
        そして、その宗教に対する
        無知(むち)、無認識(むにんしき)が、
        多くの不幸を、もたらしているのも、
        事実(じじつ)です。


        話しは、もどりますが、
        確かに、うちの上司が言うように、
        世間一般で考えているようなものが、
        宗教だったら、
        はっきり言えば、
        そんなものは、やらないほうがいいし、
        かえって、やったら、
        害(がい)になります。

        ただ、そのレベルで考えている人は、
        それより、はるか上のレベルにある、
        現実生活と哲学(てつがく)と、科学と信仰に、
        一点の矛盾(むじゅん)も起こらない、
        一点の無駄(むだ)もない、

        『仏法(ぶっぽう)の哲学』

        が、あることを知らない。

        また、知ろうともしないし、
        信じようともしない。


        よく、創価学会(そうかがっかい)のことを、
        調べもしないで、また、実践(じっせん)してもいないのに、
        偉(えら)そうにバカにしたことを
        話す人がいますが、
        一見、偉そうに見えますが、
        仏法の哲学を知っている人から見ると、
        はっきり言って、
        ほんとうに、間抜(まぬ)けに見えます。

        浅(あさ)はかすぎて、かわいそうになるくらいです。


        それほど、本当の仏法(ぶっぽう)の哲学は、
        スゴイということです。


        創価学会では、そのスゴイ!仏法の哲学を、
        なんの教養(きょうよう)もないような、
        おばあちゃんが、
        しっかりと、自分の生命と心に、
        身につけている!

        それは、どんな人であっても同じで、
        この南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
        の仏法の信仰(しんこう)を、
        しっかり、やっていくと、
        自分の生命に、
        絶対くずれない幸せの哲学を、
        必ず、身に付(つ)けることができる!
        ということです。

        偉大な哲学、レベルが高い宗教ほど、
        人を、選ばないというけれど、
        創価学会のスゴイところは、
        そういうところに、あると思います。


        南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰は、
        人を、選ばない!


        どんな人でも、
        幸せになる、
        明確な哲学(てつがく)と確信を、
        身に付けることが、できる!


        それは、悩みや問題を解決し、
        夢や希望をかなえて、
        その人を、必ず幸せにしていく。


        すごいことだと、思う。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

        日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
        御書(ごしょ)の中で、
        (御書とは、日蓮大聖人が書かれた、
        論文や手紙を、すべて集めたものです)


        『一念三千(いちねんさんぜん)を、
        識(し)らざる者には、
        仏(ほとけ)・大慈悲(だいじひ)を起こし、 
        五字(妙法蓮華経)の内に、
        この珠(たま[一念三千の法則])を、つつみ、
        末代幼稚(まつだいようち)の頸(くび)に、
        かけさしめ給(たま)う。』

        と、言っている。


        難(むずか)しい話しはともかく、
        現代の宗教に関しては、
        赤ん坊のように、
        なんにも知らない人であっても、
        この南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、

        「幸せになる哲学」と、「幸せになる確信(かくしん)」と、
        「幸せという現実の結果」を、
        必ず、つかむことが、できる!

        ということだと、思う。


        ようするに、どんな人でも、
        必ず、幸せになれる!ということです。


        日蓮大聖人は、徹底的(てっていてき)な理論の人で、

        「わたしの理論(りろん)が、
        人に破(やぶ)られることがないかぎり、
        どんな迫害(はくがい)にあったとしても、
        けっして、従(したが)うことはない!」

        と、言い切った人なので、
        大聖人の言葉は、
        徹底的な理論に裏付(うらづ)けられている。

        そして、その理論を破るような人は、
        いまだ、現れていないし、
        その逆(ぎゃく)に、
        日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
        創価学会が世界に広がるとともに、
        世界中の人たちを、幸せにして、
        その理論の正しさを、
        証明し続けている・・・・。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

        JUGEMテーマ:日記・一般



        category:日常 | by:kokouchi | - | -

        こころに、打ち出の小槌を23

        2018.07.29 Sunday 10:00
        0
          ぼくは、
          デザイン関係の仕事をしているせいか、
          いつもではないけれど、
          少し盛(も)り上げたい
          創価学会(そうかがっかい)のセミナーとか、
          創価学会の、ちょっとした総会みたいなものや、
          座談会などで、
          (座談会とは、創価学会で、月に一度、行っている
           地域の創価学会員が老若男女あつまって、
           いろいろ話したり、催(もよお)し物を行ったり、
           仏法(ぶっぽう)を学んだりする会合です)
          横幕(よこまく)とか、
          場を盛り上げるためのポスターみたいなものを、
          つくったりすることがあります。


          創価学会の活動は、
          ご本尊(ほんぞん)に、
          南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
          となえていく信心の部分と、
          人と人との、つながり、ふれあい、
          対話といった、
          人間に接(せっ)していく部分が多いですが、
          ぼくみたいに特技を生かして、
          横幕やポスターを描(えが)くのも、
          創価学会の活動だと思っています。

          仕事で、疲(つか)れたあとなど、
          大変ではあるけれど、
          創価学会の活動は、苦(く)ではありません。


          なぜだろう?


          創価学会の活動をすると、
          歓喜(かんき)してきて、
          元気になってきます。


          創価学会の活動は、ボランティアではないし、
          仕事でもないし、
          人のためになるんだけど、
          人のために、やっているという自覚(じかく)も、
          あまり、ありません!

          というより、


          自分のために、やっている!


          という自覚のほうが強いです!!

          そして、現実に、自分のためになり、
          ひとつも無駄(むだ)がなく、
          自分に、すべて、帰ってくるのが
          仏法(ぶっぽう)であり、
          創価学会の活動だと思います。


          人生において、
          幸せになるために、
          絶対に必要なもの。

          たとえば、幸運とか、ラッキーとか、
          人徳(じんとく)とか、お金とか、
          愛とか、自分を愛してくれる家族とか、良き友とか、
          幸せになるためには、他にも、
          言葉では言いあらわせないものが、
          たくさん、あると思いますが、
          それら、人生において幸せになるために
          必要なものに、

          『幸せの元(もと)』

          と、名前をつけたとしたら、
          創価学会の活動は、
          その『幸せの元(もと)』を、生み出し、
          たくさん、たくさん、
          貯(た)めることができるんです!


          世界で、唯一(ゆいいつ)、
          『幸せの元』を、貯金できる方法!


          それが、創価学会の活動だと
          言っていいと思います。


          残念(ざんねん)ながら、
          この『幸せの元』を、自分自身のなかに、
          生み出し、貯金できる方法は、
          ほかには、ないでしょう・・・!


          これは、実際、やってみないとわからないし、
          体験しないと、理解できないと思います。



          昨日、部屋のすみっこに、かくれていた
          古い聖教(せいきょう)新聞を整理していたら、
          その中で、創価学会員の体験がのっていて、
          つい、読んでしまいました。

          すごく、感動しました。
          娘が、水頭症で生まれ、
          医師に、「長生きできないでしょう」
          と言われながら、
          創価学会の信仰で乗り越(こ)えてきた体験でした。

          その中で、その学会員さんが、

          「娘の食事などの面倒(めんどう)をみますから、
           時間に限りはありますが、
           それでも、創価学会の活動に懸命(けんめい)に
           取り組むと、命の姿勢(しせい)が、
           前向きになるんです!」

          と言っているんですが、
          やっぱり、創価学会の活動は、
          ほかの活動と、


          何かが?違(ちが)う!


          と、思いました。


          それは、

          『自分の生命の、こころの、
           方向性(ほうこうせい)を変える!』

          と、いうことだと思います。


          これは、簡単なようで、
          スゴイことだと思います!

          生命を、希望へ、勇気へ、幸せの方向に、
          変革(へんかく)していく!

          たぶん、表面的には、
          こころの方向性を変える方法は、
          いろいろ、あると思いますが、
          自分の生命の方向性を、
          根本(こんぽん)から変革していけるのは、
          創価学会の活動だけだと、
          思います。


          だから、創価学会の活動をすると、
          歓喜して、元気になってきて、
          希望が湧(わ)いてくるんだと、
          思います!


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


          南無妙法蓮華経は、
          『歓喜(かんき)の中の大歓喜なり!』


          と言う。

          それは、南無妙法蓮華経が、
          宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)できる、
          唯一の法則(ほうそく)だからだと思う。


          南無妙法蓮華経を、となえていると、
          無意識(むいしき)のうちに、
          自分の生命は変革され、
          蘇生(そせい)していくのを感じ、
          その、生命が変革されゆく喜(よろこ)びから、
          歓喜してくるんだと思う。

          そして、
          南無妙法蓮華経が、歓喜の中の大歓喜ならば、
          それを、実践(じっせん)している創価学会も、
          歓喜の中の大歓喜なんだと、
          思う!


          創価学会が、南無妙法蓮華経を、
          真実に実践している団体ならば、
          創価学会と、南無妙法蓮華経は、
          『同一』のリズムの中にあるんだと思う。


          南無妙法蓮華経が、宿命を転換できる、
          唯一(ゆいいつ)の法則ならば、
          創価学会の活動も、宿命を転換できる、
          唯一の方法なんだと、思う・・・・・!


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

          JUGEMテーマ:日記・一般



          category:日常 | by:kokouchi | - | -

          こころに、打ち出の小槌を21

          2018.06.09 Saturday 11:34
          0
            以前は、
            いろんな週間雑誌が、よく、
            創価学会(そうかがっかい)に関するデマ記事を
            のせたりした。

            なぜ?そんなに、
            創価学会のデマ記事を、のせたかというと、
            創価学会の記事を、のせると、
            雑誌(ざっし)が、売れたからだそうです。

            だから、根も葉もないデマを、
            平気(へいき)で記事にして、のせた。

            また、創価学会が、
            どんなに正しいこと、
            素晴らしいことを、やっていても、
            心の、ひねくれた人間、
            ねじまがった人間、
            浅(あさ)はかで、心が狭(せま)い人間には、
            どうしても、それを、
            真っ直(まっす)ぐに
            受け止めることができず、
            ねじまげるだけ、ねじまげて、
            正反対の、最悪の醜(みにく)い出来事に、
            作り変え、
            でっちあげたりする。

            その醜(みにく)さ、愚(おろ)かさ、
            あさましさ、浅はかさには、
            あきれるばかりだけれど、
            創価学会が、それだけ素晴らしく偉大だから、
            多くの嫉妬(しっと)と中傷(ちゅうしょう)を、
            あびると、考えることもできる。


            世間の多くのデマや中傷は、
            ある意味、創価学会の偉大(いだい)さ!
            素晴らしさ!正しさに対する反動(はんどう)であり、
            それは、創価学会の正しさ、素晴らしさ、
            偉大さの証明になっていると、
            考えることも、できる。


            過去から現在にいたるまで、
            偉人(いじん)や、偉大な事をやってきた人、
            あるいは、正しき行動の人は、
            いつも、非難と中傷(ちゅうしょう)のデマに、
            さらされてきたし、
            それが、歴史上の事実だからです。

            ただし、創価学会は、
            デマは、
            絶対に許(ゆる)さない。
            週刊誌とかが、デマを、のせたならば、
            必ず、裁判に訴(うった)える。
            そうすると、120%、
            雑誌社側が、負ける。
            (創価学会が、勝利する)

            当然(とうぜん)だ!
            だって、デマなんだから。

            そのたびに、雑誌社側は、
            罰金(ばっきん)を払わされるんだけれど、
            日本の法律は、甘くて、
            罰金の金額が安いので、
            雑誌社側は、罰金を払(はら)っても、
            雑誌を売るために、また、
            創価学会のデマを、のせたりしました。

            けれど、雑誌社側が悪質だということで、
            だんだん、罰金の額の桁(けた)が、ちがってきて、
            しかも、自分の雑誌で、
            創価学会にたいする謝罪文(しゃざいぶん)を
            のせないと、いけなくなったりしました。

            そうなると、雑誌社側は、
            こんな、みじめなことは、ない!

            『私の雑誌は、うそしか言わない、
             デマ雑誌ですよーー!』

            と、
            自分の雑誌で、
            宣言(せんげん)しているようなものだからだです。

            それで、雑誌社側も、
            だんだん、考えを変えるようになってきて、
            こんどは、創価大学の出身者が、
            何々省とか、超一流の企業とかに、
            こんなに、たくさん就職している!とか、
            そんな話しを、
            記事にしたこともありました。
            (創価大学出身の人が、優秀で、
            実力があるということです。)


            節操(せっそう)がないというか、
            ともかく、雑誌が売れるのなら、
            なんでも、する!ということだろう。

            だから、こっちが気を許(ゆる)せば、
            また、好き勝手、デマを書き散(ち)らすのは、
            目に見えている!


            それが、悪質なデマ雑誌の
            本質(ほんしつ)なのだろう・・・。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


            時代は、動いている。
            世界は、刻々(こくこく)と変化している。


            創価学会の世界に広がる平和行動、
            正義の行動を、
            世界は、大きな賞賛と期待を持って、
            絶賛(ぜっさん)している。

            その真実の評価(ひょうか)は、
            小さな島国根性の
            悪(あ)しき三流のマスコミであろうとも、
            認(みと)めなくてはならない時代に、
            なってきていると思う。

            だから、デマ週刊誌であっても、
            創価学会のデマ記事が、
            書きづらくなってきたのは、
            確かだと思う。

            けれどそれは、創価学会が、
            デマ報道の悪を、徹底的に、
            責(せ)め抜(ぬ)いたからだと、思う!

            だまっていたら、なにも、変わらなかった!


            仏法(ぶっぽう)では、

            『声、仏事(ぶつじ)を成(な)す!』

            といって、
            声を出すことを、重要視(じゅうようし)する!

            悪は、悪だと、叫(さけ)びぬく!
            マスコミのデマ報道は、絶対に許さない!


            そう、叫びぬくことが、
            創価学会だけでなく、
            日本の、さまざまな環境(かんきょう)を、良くし、
            世界を、良くしていくことに、
            つながっていくんだと、思う・・・・!


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            JUGEMテーマ:日記・一般



            category:日常 | by:kokouchi | - | -

            こころに、打ち出の小槌を12

            2018.03.16 Friday 14:51
            0
              創価学会(そうかがっかい)では、
              勤行(ごんぎょう)というのがあって、
              朝と夜(一日に二回)、
              釈尊(しゃくそん/釈迦[しゃか]/ブッダ)の
              法華経(ほけきょう)という経文の、
              一部分を、音読します。

              だいたい、速く読めば、3分ちょっとで読め、
              遅く読んでも、5分くらいで終わります。
              それが終わったあと、
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
              自分が好きなだけ、
              繰(く)り返し、となえます。

              それを、まとめて、勤行といいます。

              べつに、強制(きょうせい)ではなくて、
              そうするのが、一日のリズムを作るのに、
              また、一日を、また、人生を勝利していくのに、
              ベストであろう!ということで、
              推奨(すいしょう)しています。
              やらなかったら、バチがあたるとか、
              そういうことは、ありません!

              ただ、やったほうが、絶対、良いし、
              日々、続けていったほうが、
              まず!幸せになります!!
              勝利の、幸せのリズムが、
              身につくし、
              南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
              生命力が高まり、生命が蘇生(そせい)し、
              勇気や知恵が、わき上がって、
              日々を、輝(かがや)いて
              挑戦していけるからです。


              法華経(ほけきょう)というと、
              うさんくさい気がしますが、
              法華経には、おもしろいシーンが、
              いろいろ、出てきます。

              たとえば、
              勤行(ごんぎょう)で読む最初に、出てくるんですが、
              釈尊が、瞑想(めいそう)から立ち上がって、
              知恵第一と言われている弟子、
              舎利弗(シャリホツ)に、
              言います。

              「仏の知恵は、あまりにも深く、無限なので、
               おまえたち(シャリホツ)には、
              とうてい、理解することは、できないんだ!」

              シャリホツは、いわば、
              エリート中のエリート、超エリート、
              いわば、天才です。
              そういう、超エリートに向かって、
              「おまえたちには、とうてい、理解できないんだ!」
              と、釈尊が、言い放(はな)ったものだから、
              大変です・・・!

              超エリートのシャリホツは、
              面食(めんく)らってしまうわけです。
              そして、ここから、釈尊は、
              仏法の真髄(しんずい)である、
              法華経を、説いていくわけです。


              超エリート、天才であっても、
              理解できない法(ほう)、
              それが、仏法(ぶっぽう)の真髄である、
              法華経(ほけきょう)だということです・・。


              では、
              超エリート、天才でも、
              理解できないとしたら、
              いったい?どうしたら、いいんでしょうか!

              結局(けっきょく)、超エリート、天才と言われた、
              シャリホツも、理屈(りくつ)では
              理解することが、できなくて、
              『信じる!』ことによって、
              ようやく、得道(とくどう/成仏)できたそうです。



              少し、話しは、変わりますが、
              前に、難信難解(なんしんなんげ)と、
              易信易解(いしんいげ)ということを、
              学びました。

              難信難解とは、とてもじゃないけど、
              理解することはできないし、信じることは、
              できないという意味です。
              易信易解は、逆(ぎゃく)で、
              わかりやすいし、信じやすい!
              という意味です。

              いろいろ、段階があって、
              仏法(ぶっぽう)から見ると、
              仏法以外の宗教は、
              易信易解で、わかりやすく、信じやすい!
              だから、キリスト教や、イスラム教など、
              世界に早くから、広まっている。
              それから比(くら)べると、仏法は、
              難信難解で、理解しがたいから、
              信じられない。

              次に、仏法の中から見ると、
              法華経以外の教えは、易信易解で、
              わかりやすいので、簡単に広まっている。
              それに対して、『法華経』は、
              難信難解で、理解しがたく、信じがたいので、
              なかなか、広まらない!

              釈尊が、言っているんですが、
              ところが、真実の教えは、『法華経』で、
              そのほかの教えは、法華経を説(と)くために、
              仮(かり)の教えとして、説いた「いつわりの教え」!
              なんだそうです!

              だから、法華経以外の教えを、どんなに、
              実践(じっせん)してみても、信じても、
              何の得(とく)にもならないし、
              いつわりの教えなので、かえって、
              人生に悪影響を、およぼしてしまい、
              『マイナス』に、なってしまう。

              なぜなら、釈尊の真実の教えは、
              法華経なので、法華経を信じ、
              実践していかないと、幸せになっていかない。

              こんどは、法華経の中から見ると、
              過去の法華経である、「釈尊の法華経」は、
              易信易解で、わかりやすく、信じやすい!

              それに対して、現代の法華経である
              日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
              七文字の『南無妙法蓮華経』の法華経が、
              難信難解で、とても、理解できないし、
              信じがたい!

              法華経といっても、時代時代によって、
              その表し方が、違(ちが)って、
              現代は、たった七文字の『南無妙法蓮華経』が、
              「法華経」なんです。

              釈尊が、言っているんですが、

              「私(釈尊)の法華経は、
              私(釈尊)が死んでから、2千年、たつと、
              なんの力も、効力(こうりょく)も、なくなってしまう!
              かえって教えが、ねじまげられ、
              誤(あやま)って広められてしまうので、
              人を不幸にしてしまう。」

              ということだそうです・・・。

              釈尊の予言によると、
              その時に(釈尊が死んでから二千年後に)、
              釈尊の師匠(ししょう)が出現して、
              現代のすべての人々を、幸せにすることができる、
              真実の法華経を、
              広めていくだろう!ということです。

              その釈尊の師匠というのが、
              実は、日蓮大聖人なんです。
              いっけん、なんか、あべこべのような気もしますが、
              永遠の生命観から考えれば、
              間違えではなく、実は正しいんです・・・。

              そして、
              現代のすべての人々を、幸せにすることができる、
              真実の法華経(ほけきょう)というのが、
              日蓮大聖人の七文字の法華経、
              『南無妙法蓮華経』なんです。

              ところが、この『南無妙法蓮華経』は、
              難信難解で、とてもじゃないけど、
              理解することは、できないし、
              信じることができない!!

              ようするに、理屈で、理解しようとしても、
              無理!だってことです!


              じゃあ、どうするか?


              それは、自分で、試(ため)してみるしかないんです!

              自分の身体で、自分の心で、自分の生命で、
              実際、やってみて、
              『これは、すごい!!!』って、
              感じとるしかないんです!

              それ以外、理解したり、信じることは、
              不可能で、
              南無妙法蓮華経は、それだけ、
              とうてい、はかり知ることができない、
              ものすごい!力(ちから)を、秘(ひ)めている!
              ということだと、思います。


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              南無妙法蓮華経は、信じがたいし、
              理解しがたい。

              だから、創価学会の人は、
              体験を、重(おも)んじます!
              体験を、みんなで、語り合っていきます。

              体験は、自分が、身体(からだ)で、つかんだ、
              生命の確信だからです!
              信心の体験がある人は、強いです。


              創価学会が、これだけ、
              世界中に、広まっているのは、
              創価学会の多くの人たちが、
              その体験を、つかんで、
              確信と、希望を持って、
              進んでいるからだと、思います・・・・。


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              JUGEMテーマ:日記・一般



              category:日常 | by:kokouchi | - | -