こころに、打ち出の小槌を62

2020.08.10 Monday 05:39
0
    先日から、
    アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
    見た話しをしているんですが、
    その中で、
    なんとも言えない悲しみと、
    無常感(むじょうかん)を感じたと、
    書きました・・・・。


    あとから、考えて、
    なぜだろう?
    と、思いました。


    このアニメの登場人物は、
    ひとりひとりが、欠点(けってん)はあるにしても、
    自分なりに、
    一生懸命(いっしょうけんめい)、生きている。

    戦争などの、
    むなしい行動を繰(く)り返している
    愚(おろ)かな面もありますが、
    それにしても、
    人間として、精一杯(せいいっぱい)、
    生きようとしている!

    にもかかわらず、
    このアニメを見ると、
    言い知れない悲しみと、無常を感じる。


    それは、なぜだろう?


    そう、考えた時、
    やはり、それは、
    『火の鳥』の存在(そんざい)だろう!
    と思われる。

    「火の鳥」という永遠(えいえん)の生命を持った存在が、
    あまりにも輝(かがや)かしいために、
    人間の行動が、
    あまりにも、
    愚かに、悲しく、
    見えてきてしまう。

    老(お)いと、死という、
    絶対に避(さ)けることのできない、
    宿命(しゅくめい)を持っている人間にとって、
    「火の鳥」の存在が、
    あまりにも、大きいからだと思う。

    永遠の生命を持つ、
    火の鳥の存在が、
    普段(ふだん)、気づかない、
    死というものを、
    人間に、気づかさせてくれているんだと、
    思う。


    日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、


    『仏法(ぶっぽう)を学ぶには、
    最初に、死について、考えなさい!』


    と、言っている。


    別に、死を、
    恐(おそ)れよということではない。

    死が、あるからこそ、
    生きて、生きて、生き抜(ぬ)きなさい!
    と、いうことだと思う。

    創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田先生も、
    仏法の真髄(しんずい)は、

    「自分自身に、生き切ることだ!」

    と、言っている。


    最初の「火の鳥」の話しに戻(もど)りますが、
    アニメ「火の鳥」は、
    永遠の生命を持つ火の鳥と、
    必ず、死ぬことがわかっている、
    人間の営(いとな)みとの対比(たいひ)によって、
    不思議(ふしぎ)な生命空間を、
    表現している。

    いずれ死ぬ人間と、
    永遠の生命を持つ火の鳥を、
    同時に描(えが)くことによって、
    必ず死ぬということと同時に、
    生命の継続性(けいぞくせい)、
    永遠的なものを、
    描いているのかもしれない・・・。


    ここに人間は、『何か?』を感じる・・。



    仏法(ぶっぽう)では、
    その『永遠の生命』を、説いている。

    それは、幽霊(ゆうれい)とか、
    霊魂(れいこん)とかいう存在ではなく、
    かといって、まったく消えて、
    なくなってしまうわけでもない。

    形や存在が残(のこ)るものではないけれど、
    それでも、存在するもの。


    仏法では、それを、
    『生命(せいめい)』と表現している。


    仏法で使う『生命』という表現は、
    難(むずか)しいけれど、
    自分の生命自体は、死んでも、無(な)くならず、
    宇宙に溶(と)け込んで、
    存在しつづける。

    それが、なにかの拍子(ひょうし)に、(なにかの縁で)
    フッと、また、
    一個の生きた生命として、
    誕生(たんじょう)していく!

    と説いている。


    ちょうど、一日、
    疲(つか)れたら眠り、
    また、朝、元気になって
    起き上がるように。

    年を、とって疲れた生命は、
    休まなければならない。

    そして、また、みずみずしい、
    若々しい生命として、
    誕生していく。


    だからと言って、
    生まれ変わるというのではない。


    生命それ自体の性質は、
    永遠に継続(けいぞく)し続ける。

    自分という「我(が)」の存在は、
    永遠に変わらず、
    存在し続けるということです。

    だから、自殺(じさつ)は、無意味だと説く。

    なぜならば、
    自殺したいような苦しみも、
    自殺した地獄(じごく)のような苦しみも、
    全部、自分で、背負(せお)ったまま、
    生命それ自体は、
    宇宙に溶(と)け込んでも、
    永遠に残り、
    その苦しみは、続くからだ。

    そして、また、何かの縁(えん)で、
    生まれてきても、
    また同じように、
    自殺したいような苦しみを、味(あじ)わい、
    また、自殺という地獄の苦しみを、
    味わう結果(けっか)になる。

    だから、自殺しても、かえって、
    自分の業(ごう/悪い宿命)が増(ふ)えるだけで、
    次に生まれてきても、
    今より、もっと悲惨(ひさん)な自分として、
    生まれてきてしまう。


    その悪循環(あくじゅんかん)が、続くだけだ。


    その悪循環を、
    打ち破(やぶ)るために、
    真実の仏法(ぶっぽう)はあり、
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
    あります!

    その悪循環を打ち破る、
    唯一(ゆいいつ)の秘策(ひさく)が、
    実は、創価学会が実践する、

    『南無妙法蓮華経を、となえる!』

    と、いうことです。


    『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
    だけが、
    自分の悪循環の宿命(しゅくめい)を、
    打ち破ることが、できる!!


    だから、創価学会の人たちは、
    それぞれの人が、
    さまざまな宿命や悩みを、もっているにもかかわらず、
    その宿命や悩みを、乗り越(こ)えて、
    夢や希望、幸せを勝ち取り、
    堂々(どうどう)と、生きている!


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


    人間は、いずれ、死ぬ。


    けれど、自分の生命自体は、
    永遠に、存在し続ける。


    ご本尊(ほんぞん)に、
    南無妙法蓮華経を、となえていると、
    無意識(むいしき)にしろ、
    その自分の中にある
    「永遠の生命」を、
    感じることができるんだと思う。


    最初、
    火の鳥という永遠の生命を持った存在が、
    人間の存在を、悲しく、愚(おろ)かに
    見せていると言いましたが、
    だとしたら、逆(ぎゃく)に、

    永遠の生命が、自分の中にあるとしたら!

    自分の中に火の鳥が、いるとしたら、

    自分の生命を、
    より偉大(いだい)に、
    より輝かしく、より大きく、
    感じることが、できる!!


    その火の鳥のような
    『永遠の生命』を感じることが、
    実は、

    『南無妙法蓮華経を、となえる!!』

    ということかもしれない・・・。


    だから、
    南無妙法蓮華経を、となえていると、
    元気になってきて、強くなってきて、
    楽しくなってきて、
    勇気が出てきて、
    生きるのが、幸せになってくる!

    それは、
    南無妙法蓮華経を、となえていると、
    人間は、はかなく、むなしいものではなく、
    人間は(自分は)、
    偉大で、素晴らしく、
    最高に輝かしい存在なんだ!と、
    無意識にしろ、
    わかってくるからだ!!

    そして、自分が、生きる意味を、
    生きる使命(しめい)を、
    思い出していく。


    あたかも、それは、
    自分の中に、
    『火の鳥』が、いるように・・・・。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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    こころに、打ち出の小槌を61

    2020.08.06 Thursday 21:21
    0
      先日、
      アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」の
      話しをしていて、
      その中に出てくる、
      ヤマタイ国のヒミコで思い出したんだけれど、
      古代(こだい)、
      最初に日本を、つかさどったのは、
      天照大神(あまてらすおおみかみ)という
      「女性」だそうです。

      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)も、

      「日本という国は、
      女性の国といわれる国です。

      天照大神という
      女性の神が、
      つくり出された国です。」

      と言われています。


      昔の女性、平塚雷鳥(らいちょう)も、
      明治時代に、
      「元始(げんし)、女性は太陽であった」
      と、言っていましたが、
      確かに、そうかもしれない。


      というか、
      女性は、太陽だと思いますよ。


      会社や組織(そしき)にしても、
      女性が、イキイキと活躍(かつやく)しているところが、
      繁栄(はんえい)していると
      言われています。

      女性をバカにし、
      軽視(けいし)している組織は、
      いずれ、衰退(すいたい)していくと
      いうことだと思います。

      だから、創価学会(そうかがっかい)でも、
      女性は、
      本当に尊敬(そんけい)し、大切にしています。


      以前(いぜん)に、
      創価学会の本部幹部会で、
      池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

      女性の皆さんに、お礼(れい)を言いなさい!

      と言ったので、
      男性が、全員、立って、
      女性に向かって、
      「いつも、ありがとうございます!」と、
      お辞儀(じぎ)をしていました(笑・・)

      (池田先生は、いつも、誠意(せいい)を
      現実に表に出すことを、大切にし、
      よく、そういうことをやりました。)


      仏法(ぶっぽう)の世界では、
      女性に対する認識(にんしき)は、
      とても、おもしろい。


      釈尊(しゃんそん、釈迦[しゃか]、ブッダ)は、
      八万法蔵(はちまんほうぞう)という、
      たくさんの経文(きょうもん)を残しましたが、
      そのほとんどの教えのなかで、

      女性は、
      「成仏(じょうぶつ)できない!」

      と説かれてきました。

      女性は、業(ごう)が深いので、
      成仏は、できないと!


      それが、逆転(ぎゃくてん)するのが、
      『法華経(ほけきょう)』です。


      法華経(ほけきょう)は、
      釈尊が、全世界の民衆に伝えたかった、
      唯一(ゆいいつ)、
      真実の教えですが、
      法華経を説(と)くまでは、
      法華経の真理が、
      あまりにも深く、難(むずか)しいため、
      衆生(しゅじょう)が理解できないだろうと、
      衆生にあった、
      衆生の理解力に合わせて、
      まあ、その人その人が喜ぶような、
      簡単(かんたん)な法(ほう)を
      説いてきました。


      けれど、それは、
      本当(ほんとう)の教えではなく、
      実は、
      偽(いつわ)りの、ニセの教えです。


      けれど、それぞれの人が、
      わかるような話しをしていかないと、
      釈尊の仏法(ぶっぽう)を学び、
      着いて来る人がいなくなるので、
      とりあえず、
      衆生の仏法に対する理解力や、
      対応力(たいおうりょく)が上がるまで、
      偽りの、ニセの法(ほう)を、
      それぞれの能力に合わせて、
      話してきたんです。


      実(じつ)は、現代、
      日本の、いたるところに広がっている、
      葬式(そうしき)仏教や観光(かんこう)仏教は、
      すべて、その偽りの教え、ニセの教えを、

      「まあ、釈尊(しゃくそん)が言ってることだから、
      いいんじゃないか?」

      と、安易(あんい)に理解して、
      ひろめられているものです。

      けれど、本当は、
      偽(いつわ)りの、ニセの教えだから、
      功徳(くどく)や、効力(こうりょく)、
      力が、あるわけがありません!

      かえって、偽りのニセの仏教(ぶっきょう)をやっていると、
      間違(まちが)った教えなので、
      どんどん、不幸になっていきます。

      また、もっと言えば、
      現代の一般(いっぱん)の仏教は、
      釈尊の教えのかけらもない、
      ぶっちゃけ、
      お金儲(もう)けができるように、
      適当(てきとう)なところを
      使っているに過(す)ぎません。


      ようするに、
      間違ったデタラメな宗教だというこです。


      間違った宗教を信仰(しんこう)するということは、
      その通りの結果(けっか)、
      すなわち、
      間違ったデタラメな結果がでるので、
      当然、やればやるほど、
      さまざまな形で、
      不幸が出現(しゅつげん)してきてしまいます。


      だから、創価学会の人は、
      そんなことは、やらない方が、いいよ!
      と言います。

      実際、やらない方が、いいです。
      真剣(しんけん)にやれば、やるほど、
      不幸になります。


      ちょっと横道(よこみち)に、それましたが、
      釈尊(しゃくそん)の人生の後半にきて、
      釈尊は、いよいよ、
      真実の教えである、
      『法華経(ほけきょう)』を、説きます!

      この中で、はじめて、

      『女性は、成仏(じょうぶつ)できるんだ!』

      と説きます。

      また、女性と同じように、
      他の低い教えでは、
      「二乗(にじょう)」と言って、
      インテリ階級(かいきゅう)の
      頭が、すごく良い人や、
      芸術家(げいじゅつか)も、成仏できない!と、
      説かれていました。

      なぜかと言うと、
      なまじっか、頭が良いので、
      まあ、自分は優秀(ゆうしゅう)なんだと
      鼻(はな)にかけているので、

      「おれは、自分で、
      真実の法を、さとることが、できるんだ!
      人の話しなんか、聞けるか!」

      と、
      自分の小さな悟(さと)りに、とらわれて、
      真実の仏法を、
      信じようとしないからです。

      なにごとも、理屈(りくつ)で考えようとして、
      信じるということが、できないからです。

      芸術家も、
      ひとつのことに、たけているので、
      慢心(まんしん)があって、
      かえって、
      小さな悟(さと)りに固執(こしゅう)して、
      真実の仏法を信じることができない。

      だから、芸術家やインテリは、
      成仏できないと、
      説かれていました。

      そして、もう一人、
      法華経以外の仏教の教えでは、

      「悪人も、成仏できない」

      と、説かれていました。


      それが、イッキに逆転して、
      女性も、二乗(慢心のインテリや芸術家など)も、
      悪人も、すべて、成仏できる!

      と、説いた法が、
      法華経(ほけきょう)です。


      深く高い教えほど、
      制限(せいげん)がなく、
      いっさいの民衆を救(すく)うことができる!
      と、いうことです。

      しかも、釈尊が言うには、

      「釈尊が亡(な)くなってから、
      2000年、たつと、
      釈尊が説いた法華経も、
      民衆を救う力(ちから)が、なくなる!」

      と、言っています。


      では、いったい、どうしたらいいのか?


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

      釈尊(しゃくそん)は、
      自分が亡くなってから、2000年後、
      釈尊の法華経ですら
      救うことができなくなった民衆を、
      今度は、必ず幸せにできる、
      『真実の法華経』が
      広められていくだろう!と、
      言っています。


      実は、釈尊の法華経には、
      未来の、現代の民衆を救い幸せにするためには、
      どうしたらよいのか?


      という、その方法と、法則(ほうそく)が、
      メッセージとして秘(ひ)められています。


      そのメッセージを、
      見事(みごと)に、くみ取り、
      釈尊の法華経から、
      現代の、未来の、
      すべての民衆を
      幸せにすることができる法則を、
      生命(せいめい)すべてで読み取ったのが、
      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

      そして、その教えが、
      現代の法華経である、

      『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

      です。


      だから、
      この『南無妙法蓮華経』は、
      当然、女性も、二乗(にじょう)と呼ばれる、
      インテリや、芸術家も、
      また、悪人さえも、
      成仏できる教えであり、法則(ほうそく)です。

      成仏とは、
      死んで、仏(ほとけ)になるということでは
      ありません。

      生きて生きて、生き抜(ぬ)いて、
      勝利し、幸せになる!
      と、いうことです。

      すなわち、
      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
      仏法(ぶっぽう)は、
      その他の仏教では、
      業(ごう)が深いと言われている、
      女性も、インテリや、芸術家も、悪人さへも、
      真実の幸せと勝利に導(みちび)くことができ、
      現実の中で、
      勝利と幸せを、
      自分の生命で、ありありと体感(たいかん)できる、
      これ以上ない、
      最高峰(さいこうほう)の生命哲学(てつがく)であり、
      生命の法則です。

      だから、
      『南無妙法蓮華経を、となえぬく』
      という、
      単純明快(たんじゅんめいかい)な活動によって、
      創価学会の人たちは、
      確実(かくじつ)に、勝利し、
      幸せになることができます。


      それは、
      世界192ヵ国の創価学会の人たちが、
      現実に体験していることであり、
      悩みの解決や夢の実現など、
      あらゆる、さまざまな形で、
      その、ひとりひとりに、
      勝利と幸せを、もたらしています。

      また、それが、
      釈尊の法華経に秘められた、
      メッセージでも、あるからです・・・・・。


      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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      こころに、打ち出の小槌を60

      2020.07.05 Sunday 05:46
      0
        このまえ、
        アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
        見ました。

        原作(げんさく)は、
        手塚治虫の有名なマンガ「火の鳥」 で、
        ぼくも昔、熱中(ねっちゅう)して読んだのを
        思い出して、
        なつかしくなりました。


        ヤマタイ国の王女、ヒミコは、
        権力(けんりょく)を手にしながらも、
        自分の老(お)いと死に、
        おびえていた。


        永遠(えいえん)の命(いのち)を持つ、
        「火の鳥」の生き血(ち)を飲めば、
        永遠に若く、生きられるという・・。


        ヒミコは、
        火の鳥の「生き血」を求め、
        その火の鳥の住むという
        ヒの国を、襲撃(しゅうげき)し、
        滅(ほろ)ぼしてしまう。

        ヒの国の少年ナギは、
        ヤマタイ国の将軍(しょうぐん)、猿田彦に助けられ、
        生きのびる。

        また、
        ナギの姉ヒナクと、恋人グズリも、
        山に、のがれ生き延(の)びる。

        しかし、ヒナクとグズリは、
        火山の爆発(ばくはつ)によって、
        山の深い縦穴(たてあな)の中に、
        閉(と)じこめられてしまう。

        やがて、ヤマタイ国は、
        自分たちが侵略(しんりゃく)してきたと同じように、
        馬に乗る騎馬民族(きばみんぞく)に攻(せ)められ、
        滅ぼされる。

        ヒミコも、
        火の鳥の生き血を飲むことなく、
        死んでしまう。

        猿田彦も、ナギも、死んでいく。


        見終わって、強く感じたのは、
        なんとも言えない、つらい感情でした。

        難(むずか)しいことを言えば、
        すごく、

        「無常(むじょう)」

        というものを、感じました。


        希望が見えるシーンとしては、
        猿田彦と婚姻(こんいん)関係にあった、
        ウズメが、最後、

        「猿田彦は、負けてはいない!
        なぜなら、私のおなかには、
        猿田彦の子供が
        宿(やど)っているからだ!

        猿田彦の生命は、受けつがれたんだわ!」

        と、叫(さけ)ぶシーンと、

        年月を経(へ)て、
        グズリとヒナクの子・タケルが、
        脱出(だっしゅつ)不可能と思われた縦穴を、
        火の鳥の励(はげ)ましを受けて、
        抜(ぬ)け出すシーンだろう。


        にもかかわらず、このアニメには、
        なんとも言えない悲しみが、
        つきまとう。

        それは、普段(ふだん)は、
        あまり感じることがない、


        「人間は、いづれ、年老い、死ぬ!」


        という、
        無常感(むじょうかん)からだろう。


        無常とは、仏教の思想の一部だけれど、
        深(ふか)いといえども、
        まだ、浅(あさ)はかな思想だと、
        言わざるをえない。

        なぜならば、人生、はかない!
        世の中は、たえず移(うつ)り変わり、無常だと、
        意識したところで、
        今、生きている人間を、
        現実に、
        幸せにすることは、できないからです!


        無常感を、感じたところで、
        現実を、勝ち抜(ぬ)く力には、ならない!!


        けれど、本当の仏法(ぶっぽう)は、
        無常ではない!


        無常のように、あきらめたような、悲しみはない!


        本当の仏法は、
        まるで、
        太陽のように、明るい!


        池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
        言っていた。

        『悲観(ひかん)は、いらないんだよ!
        感傷(かんしょう)すら、いらないんだよ!
        だだ、希望だけを、いだいて、
        生きていけば、いいんだ!』

        と・・。


        それが、現実にできる、
        哲学(てつがく)と生命観(せいめいかん)があり、
        現実を強力に切り開いていくエネルギーが、
        南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
        仏法(ぶっぽう)であり、
        その実践(じっせん)が、

        「南無妙法蓮華経を、となえる」

        と、いうことだと、思う。

        頭が良いとか、悪いとか、
        金や地位(ちい)が、あるとか、ないとか、
        そんなことは関係なく、
        死ぬ時にも、
        まるで太陽のような希望と幸せを
        抱(いだ)いて、死んでいける!


        それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、
        本当の仏法(ぶっぽう)です・・・。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

        人は、このアニメの
        ヤマタイ国の王女、ヒミコのように、
        永遠なるものを、
        求めているのかもしれない。


        本当の希望、
        本当の幸せ。

        その象徴(しょうちょう)が、
        火の鳥であったんだと思う。


        また、それほど、
        大げさでないにしても、
        自分の悩みを解決できる糸口(いとぐち)となるもの・・、

        自分の夢や希望をつかむために、
        何かのきっかけと手立(てだ)てを、
        人は、求めている。


        そして、最終的に、
        本当に幸せになっていける方法を、
        求めている。


        けれど、その幸せになってける方法を、
        つかめないまま、
        まるで、アニメ火の鳥の王女・ヒミコや
        登場人物たちのように、
        そのまま、死んでいくことが多いことも、
        現実だと思う。


        そこに、人は、
        無常を感じ、
        不幸を感じていく。


        ここに、人間が生きていくうえでの、
        根底的な不幸が、存在(そんざい)している。


        この『無常』につらなる、
        根底的(こんていてき)な不幸を打ち破(やぶ)らないかぎり、
        人が本当に望む幸せは、
        もたらされない!

        と言えると思います。


        だから、アニメ火の鳥の王女・ヒミコは、
        火の鳥を求めていった・・。


        ヒミコが火の鳥を求めたように、
        人は、
        無常を打ち破るもの・・、
        根底的な不幸を打ち破るものを、
        求めている。

        そしてその、心の底(そこ)で、
        だれもが求めている、
        根底的な不幸を打ち破る力(ちから)が、
        実(じつ)は、
        創価学会が実践している、
        南無妙法蓮華経を、となえる、
        仏法の信仰(しんこう)なんです。


        それは・・、
        あたかも火の鳥のように、
        無常につらなる、さまざまな不幸を、
        打ち破っていく!


        無常を打ち破り、永遠なるもの、
        火の鳥のような幸せを、勝ち取らせてくれる。


        南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
        仏法(ぶっぽう)そのものが、
        まぎれもない希望であり、
        まぎれもない幸せだからです。

        その結果として、
        どうしても解決(かいけつ)しなかったような、
        さまざまな悩みが解決できたり、
        大きな壁(かべ)のように思えた夢や希望も、
        かなえていけるようになっていく。


        だから、かりに、
        火の鳥を、探(さが)すとしたら、
        それは、どこでもない、
        自分のこころ(生命)の中にある、
        『希望と幸せ』が、
        火の鳥なんだと思う・・。


        その火の鳥と言えるような希望と幸せを、
        輝(かがや)かし、つかんでいく方法を、
        人は、求めているんだと思う。

        そしてその、
        火の鳥と言えるような「希望と幸せ」を、
        どこまでも燃(も)やし続ける生き方ができるのが、
        創価学会が実践している、
        南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


        だから、南無妙法蓮華経の仏法を、
        真剣に実践している人は、
        他のだれよりも、
        希望と幸せを、感じることができる!


        それは、どんな悩みや困難(こんなん)にも負(ま)けないで、
        勝利と幸せを勝ち取っていける道に、
        つらなっている・・。


        まるで、それは、
        火の鳥のように・・・・・。


        ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

        JUGEMテーマ:日記・一般



        category:アニメ | by:kokouchi | - | -

        こころに、打ち出の小槌を59

        2020.06.21 Sunday 05:46
        0
          先日、DVDで、
          『奇跡(きせき)の動物園・旭山(あさひやま)動物園物語』
          というドラマを、見ました。

          旭山動物園の話しは有名だから、
          知っていましたが、
          飼育員(しいくいん)たちの知恵と努力には、
          ほんとうに感心させられました。

          また、動物たちの、
          かわいいこと!かわいいこと!
          その生き生きとした姿(すがた)が、
          画面を通しても、
          伝(つた)わってきました。

          また、人間が、
          知恵と努力を、しぼっていけば、
          これほどまでも、変わっていけるんだ!
          と、なんだか、
          希望を、もらった気がしました。


          まえに、
          聖教(せいきょう)新聞の
          「名字(みょうじ)の言(げん)」にも、
          (名字の言とは、聖教新聞に毎日のっている、
          短く、読みやすく、まとめられたコラムです)
          その「旭山動物園」の記事が、
          のっていました。


          旭山動物園は、
          以前(いぜん)、入園者の減少から、
          閉鎖寸前(へいさすんぜん)まで、
          追い込(こ)まれたそうです。

          予算もない。
          施設(しせつ)も老朽化(ろうきゅうか)、
          取り立てて珍(めずら)しい動物が、
          いるわけではない。

          おまけに病気で、
          動物が、
          あいついで倒(たお)れました。


          八方(はっぽう)ふさがりの
          逆境(ぎゃっきょう)を切り開いたのは、
          職員の、

          『夢』と『知恵(ちえ)』と『情熱(じょうねつ)』

          だった。


          『動物を一番よく知っているオレたちが、
          動物のすごさを、伝えよう!』


          人前で話すのが苦手(にがて)な飼育員が、
          ワンポイントガイドに挑戦した。

          動物が、
          最も生き生きしている姿を見てもらおうと、
          展示(てんじ)にも、
          工夫(くふう)を重ねた。


          奇跡の復活劇(ふっかつげき)は、
          一人ひとりが、自分のできるところから、
          挑戦(ちょうせん)した結果だったそうです。


          それと同じように、
          だれにも、試練(しれん)や苦難に
          直面(ちょくめん)する時がある。

          現実の厚(あつ)い壁(かべ)を前に、
          躊躇(ちゅうちょ)して立ち止まるか、

          自分のできることから行動を起こすか、

          そこに、変革(へんかく)の分(わ)かれ目がある!


          「足下(そっか)を掘(ほ)れ!
          そこに、泉(いずみ)あり。」


          聖教新聞には、そう書かれていた。



          確かに、
          人生には、
          さまざまな大きな壁(かべ)が、
          のしかかっている。

          苦難(くなん)とか試練とか、いうより、
          あきらめと、惰性(だせい)の壁が、
          いちばん、大きい気もする。


          それでも、まあ、生きていけるからです。


          けれど、
          夢や希望を実現しようとしたら、
          そうは、いかない!!


          何かを起(お)こさなければならない。


          奇跡ともいえる勝利の結果も、
          結局(けっきょく)は、
          小さな小さな行動から始まる。

          そのひとつひとつは、
          目に見えないかもしれない。

          けれど、その小さな行動は、
          大きな大きな希望を生む!

          希望は、行動を生み、
          行動は、また、
          希望を大きくしていく。


          きっと、これが、
          希望や夢を実現(じつげん)する
          メカニズムなんだと、
          思う。


          そのメカニズムを、
          究極(きゅうきょく)まで、きわめたものが、

          『仏法(ぶっぽう)』

          だと思う。


          仏法では、
          『一念三千(いちねんさんぜん)』
          の法則を、説(と)く。

          一念三千とは、
          自分の一念(いちねん/こころ)の違いによって、
          結果として、
          違(ちが)う三千の世界ができあがる!
          という意味です。

          一念とは、一瞬(いっしゅん)の心であり、
          ほんの一瞬です!

          その一瞬の心の違いによって、
          未来が、人生が、
          大きく変(か)わっていく。

          また、その一念を変えることによって、
          自分の環境(かんきょう)や人生、
          未来を、
          大きく変えていくことができる。


          それが、一念三千(いちねんさんぜん)という、
          法則(ほうそく)です。


          生きるとは、
          その、一念(いちねん/こころ)の
          積(つ)み重ねだと、
          言うこともできます。

          だから、ほんの短い一瞬(いっしゅん)だけれども、
          その一瞬(いっしゅん)に、
          人生のすべてが、かかっている!


          一瞬の心によって、
          人生のすべてが、変わっていく!

          不幸になるか?
          幸せになるか?
          は、


          一瞬の一念(こころ)に、かかってくる!!!


          そう考えると、
          心(一念)は、
          本当に大切になってくる。


          では、絶対(ぜったい)に幸せになる一念(こころ)とは、
          なんだろうか?


          人間は、絶対に幸せになる一念(こころ)を、
          出すことが、できるのだろうか?


          単純(たんじゅん)に考えると、
          もし、ぜったいに幸せになる心(一念)を、
          出すことが、できたなら、
          その人は、
          幸せになれる!

          けれど、現実には、
          幸せでない人、不幸な人が、
          山ほど、いる!

          また、はたから見たら、
          幸せそうに見えても、
          実際(じっさい)は、
          幸せでないと思っている人も、
          たくさん、いる。


          それは、幸せになる心を、
          出す方法を、
          知らないということだと思う・・。


          『絶対に幸せになる心(一念)を、
          出すことが、できたなら!!』


          その絶対に幸せになる心(一念)を、
          出す!方法が、
          創価学会(そうかがっかい)が実践(じっせん)している、

          『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
          となえる!』

          ということだと思う。


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


          こころは、すべてを変えていく。


          こころは、あらゆる未来を創造(そうぞう)し、
          あらゆる幸せを生み出し、
          あらゆる勝利を、もたらしてゆく。


          本当は、心ほど、
          大切(たいせつ)なものはない・・・!


          そのことに注目(ちゅうもく)することは、できる。

          けれど、現実に、
          生身(なまみ)の人間が、
          人生の中で、心を変えていくなんて、
          ほとんど、できた話しではない。

          まして、幸せになる心、
          絶対に幸せになる心など、
          自分で生み出していくなんてことは、
          不可能(ふかのう)と言ってもいいと思う。

          だから、人は悩み、苦しみ、
          世界中に、
          さまざまな不幸が溢(あふ)れている。

          そして、現実的に、
          それを変える術(すべ)がない。


          けれど、本当(ほんとう)は、
          その心を幸せに変革していくことができたなら、
          本質的(ほんしつてき)には、
          ほとんどの悩みが解決(かいけつ)し、
          また、心を幸せに変革していくことによって、
          あらゆる幸せが、もたらされると、
          言うこともできます。


          人生の鍵(かぎ)は、
          自分の中から、
          自分の生命(せいめい)の中から、
          本当に幸せになることのできる心を、
          いかに?出していくか・・!


          ここに、かかっているのでは
          ないだろうか・・・。



          人間の生命の中で、
          最(もっと)も強い心。
          最も輝(かがや)き、最もあったかく、
          あらゆる幸せを生み出すことのできる心・・。

          どんな困難(こんなん)も乗り越(こ)え、
          無限のエネルギーと
          創造力(そうぞうりょく)によって、
          あらゆる幸せをつかみ取っていける、
          最強の生命であり、最強の心・・!!

          その心を、

          『絶対に幸せになる心』

          と名付(なづ)けたならば、
          世界中のすべての人が、
          どんな人でも、
          その『絶対に幸せになる心』を
          出すことができるように、
          日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
          『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』と
          『ご本尊(ほんぞん)』
          (南無妙法蓮華経を、となえる対象[たいしょう]の本尊)
          を、残されたんだと思う。

          そして、その日蓮大聖人のメッセージを、
          世界中に広げてきたのが、
          創価学会です。


          絶対に幸せになる心(一念)を、
          自分の中から、出すことができたら、
          その人は、幸せになる!


          その、自分の中から、
          絶対に幸せになる生命を
          湧(わ)き上がらせていける、
          唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
          創価学会が実践する、


          南無妙法蓮華経を、となえる
          仏法(ぶっぽう)の信仰(しんこう)なんです。


          そして、その通り、
          創価学会の人たちは、
          あらゆる悩みを克服(こくふく)し、
          さまざまな壁(かべ)を乗り越えて、
          実際に幸せになっていった。

          それは、
          自分の中から、
          無限の可能性を秘(ひ)めた、
          『絶対に幸せになる心』を
          出していった結果であると表現(ひょうげん)しても、
          間違(まちが)えにはならないと思う。


          ひとりひとりの人間にもたらされた、
          生命の変革・・!

          そのことによって起こった、
          人間革命のドラマ・・!


          それは、現実に、
          創価学会の世界192ヶ国の人々が、
          体験していることであり、
          実感(じっかん)していることであり、
          その幸せと、歓喜(かんき)をもって、
          今も、世界に、
          証明(しょうめい)しつづけている・・・・・。


          ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

          JUGEMテーマ:日記・一般



          category:ドラマ | by:kokouchi | - | -

          こころに、打ち出の小槌を58

          2020.06.01 Monday 05:45
          0
            日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の
            御書(ごしょ)の中に、
            (御書とは、日蓮大聖人が書かれた
            論文や手紙を、すべて集めたものです)


            『苦(く)を苦と、悟(さと)り、
            楽を楽と開き、
            苦楽(くらく)ともに思い合わせて、
            南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と、
            となえきっていきなさい!

            これこそ、自受法楽(じじゅほうらく)
            ではないですか。』
             

            という一節(いっせつ)が、あります。


            自受法楽(じじゅほうらく)という言葉が
            難(むずか)しいですが、
            この「自受(じじゅ)」とは、
            「みずから受(う)ける」という意味で、
            人ではない、自分自身で決まるということだそうです。

            その次の「法楽」は、
            「法(ほう)の楽しみ」と読めるから、
            法、法則(ほうそく)、
            宇宙の法則、宇宙のリズム、
            生命(せいめい)の法則を、
            楽しむということだろうか?

            だから、「自受法楽(じじゅほうらく)」は、
            みずからの生命を、
            ありのままに、楽しむということだろうか?


            創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
            池田先生が、
            人に何かをしてもらったり、
            他から与(あた)えられるような、
            ちゃちな幸せではなく、
            自分が自分で、幸福をつくり、
            自分で、幸福を味(あじ)わっていく。

            どんな苦楽も、
            悠然(ゆうぜん)と楽しんでいける、
            強く大きな自分になっていく。


            それが、
            『自受法楽(じじゅほうらく)』だと、
            言っていた!


            また、
            南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
            となえていくと、
            必ず、そうなっていく!とも、
            言っていました。


            けれど、
            苦しい時も、楽しい時も、
            「南無妙法蓮華経と、となえる」とは、
            どういうことだろうか?


            苦と楽では、
            まったく、正反対です。

            その、どちらの状況(じょうきょう)の時にも、
            「南無妙法蓮華経と、となえていく」と、
            『自受法楽(じじゅほうらく)』になっていく?


            なぜだろうか?


            南無妙法蓮華経は、
            原因(げんいん)と結果(けっか)が、
            同時に含(ふく)まれた、
            宇宙の法則だという。

            南無妙法蓮華経は、いわば、
            瞬間(しゅんかん)、瞬間を、
            幸せに変化させていく法則です。

            過去(かこ)は、関係(かんけい)ない。
            苦しかろうが、楽しかろうが、
            南無妙法蓮華経は、
            その瞬間を出発点(しゅっぱつてん)として、
            未来を、必ず幸せに変化させていく。


            その強力なエネルギーが、
            南無妙法蓮華経なんだろうか・・・。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            世界は、宇宙は、生命は、
            たえず、変化(へんか)していく!

            問題は、

            「良(よ)く変(か)えるか!」

            「悪く変えるか!」

            だ。


            ものごとが、うまくいき、
            楽しくてしょうがない時でも、
            いい気になって、図(ず)に乗っていると、
            かえって、それが原因になって、
            大きな不幸を、もたらすことも、
            多々(たた)、ある。

            だからといって、
            すべてが、うまく、いがず、
            不幸が、降(ふ)りかかっているような時は、
            自暴自棄(じぼうじき)になって、
            人生を、あきらめてしまう場合も、多い。


            上にあげた二つの例(れい)は、
            「悪(わる)く変わる」一例(いちれい)です。


            悪く変わるのは、たやすい。

            悪く変わるのには、何の努力も、いらない!


            けれど、良く変わるのは、
            容易(ようい)ではない!

            それこそ、達人(たつじん)でもないと、
            良く変わることは、
            尋常(じんじょう)ではない。


            自分は良く変わっていると、
            自信(じしん)をもって言える人は、いるだろうか・・。


            自分は、これからもずっと、
            良く変わっていけると、
            自信をもって、
            言い切(き)れる人がいるだろうか。


            この『変わる』ということに関(かん)しては、
            人は、
            表面的(ひょうめんてき)には、
            いろいろなことをする場合もあると思う。

            けれど、
            本質的(ほんしつてき)には、
            なかなか、変われないというのが、
            正直(しょうじき)なところだと思う。

            だから、
            人は、悩み、
            壁(かべ)を感じ、
            人生を、なんとなく、
            なおざりに生きるしかない場合もある。


            調子(ちょうし)の良い時は、いいでしょう・・。

            けれど、調子の悪い時は・・、

            また、自分に、
            さまざまな困難(こんなん)が襲(おそ)ってきた時は、
            どうするだろうか・・・。

            それこそ、
            変わるしかない!
            乗り越(こ)えるしかない!ことは、
            わかっていても、
            それができず、
            大変な苦しみの中、
            自分が追(お)い込(こ)まれていくことも、
            あると思う。


            ようするに、
            根本的(こんぽんてき)に、変わる方法を知らない。

            本源的(ほんげんてき)に、
            自分を変えていくことが、できない・・。


            そこに不幸が生まれ、
            苦しみが生まれ、
            人生を、あきらめてしまう人たちも、
            多々、いる・・。


            けれど、
            人々は、あまり知(し)らないけれど、
            だれでも、良く変わる、
            宇宙の法則が、ある!

            だれでも、良く変わる、
            生命の法則が、ある!

            だれでも、簡単(かんたん)にできる、
            良く変わるための、
            絶対的な、
            生命の法則が、ある!


            それが、
            『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
            です!


            南無妙法蓮華経は、
            自分の生命のリズムを、
            苦しい時は、無理(むり)やりにでも、
            幸せになる『良いリズム』に、変える!

            楽しい時は、反動(はんどう)がこないように、
            幸せのリズムを、
            絶対に、はずさず、
            なお一層(いっそう)、
            幸せになる『良いリズム』に、
            変えていく!


            それが、南無妙法蓮華経の力だと思う。


            だから、どんな時でも、
            苦楽、ともに、
            南無妙法蓮華経を、となえるんだと
            思う!


            結論から言うと、
            南無妙法蓮華経は、勝利のリズムです。
            勝利者のリズムです。

            だから、日々、南無妙法蓮華経を、となえ、
            となえきっている人に、
            かなう人は、いない!

            そして、南無妙法蓮華経は、
            自分自身で感じることのできる幸せを、
            おそらく、
            最高最大に、高めてくれる!!

            正直、ぼくも、
            「南無妙法蓮華経を、となえる」
            ということを、
            知っているから良いけれど、

            もし、
            「南無妙法蓮華経を、となえる」
            ことを知らなかったら、

            それは、地獄(じごく)であっただろう・・!
            と、心から思う・・・!


            南無妙法蓮華経を、となえて生きるのと、
            南無妙法蓮華経を、となえないで生きるのとは、
            確(たし)かに、
            天国と地獄くらい差(さ)があり、
            人生と未来に、
            決定的な違(ちが)いが出てきてしまうからです。


            南無妙法蓮華経は、人々を勝利に導(みちび)く。

            南無妙法蓮華経は、人々に、
            幸せの道を切り開いてくれる。

            南無妙法蓮華経は、人々のどんな悩みであっても、
            解決していく力(ちから)となり、
            どんな困難の壁(かべ)も
            乗り越(こ)えるエネルギーとなる。

            そして、その人の夢や希望に向(む)かって、
            最高の幸せを、つかませてくれる!


            それは、
            まぎれもない事実(じじつ)であり、
            世界192ヵ国に広がる創価学会の人々が、
            現実に体験し、
            実感(じっかん)していることだと、思う・・・・・。


            ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

            JUGEMテーマ:日記・一般



            category:勝利 | by:kokouchi | - | -

            こころに、打ち出の小槌を57

            2020.05.11 Monday 22:27
            0
              今から百年も前に、
              新渡戸稲造(にとべいなぞう)という人が、
              言っていたそうです。


              「日本という国ほど、
              デマを、まち散(ち)らしている人間を、
              のさばらせている国は、ない!!」


              確(たし)かに、
              そうなのかもしれない。

              日本の国民性というか、
              風習(ふうしゅう)というか、
              そのようなことに深く立ち入らない、
              「ことなかれ主義(しゅぎ)」
              が、あるのかもしれない・・。

              デマをまき散らす理由としては、
              「経済的理由」
              「政治的理由」
              「目立(めだ)ちたいという欲求(よっきゅう)」
              などがあるようです。

              また、悪意(あくい)や憎(にく)しみにより、
              デマを流す場合もあると思う・・。


              以前、
              創価学会(そうかがっかい)も、
              ひどいデマを流(なが)され続けたけれど、
              それは、
              悪意や憎しみに、
              金銭的(きんせんてき)理由が、
              からんだものだと思う。


              当時(とうじ)のデマは、
              繁栄(はんえい)していた
              週刊誌(しゅうかんし)でのデマが多かった。

              当時は今よりも、
              週刊誌の影響力(えいきょうりょく)が、
              強かったんだと思う。

              金にさえなれば、何を言っても、いいんだ!
              と言わんばかりの、
              三流週刊誌が、のさばっていた。

              創価学会のことを書くと、
              雑誌が売れるというので、
              ウソ、デタラメを、書きまくる。

              それらの記事は、
              悪事ばかり働き、
              創価学会に、いられなくなって、
              脱会(だっかい)した者たちが、
              金ほしさと、創価学会憎さに、
              捏造(ねつぞう)した記事だった。

              だから、
              その記事には、

              「いつ?、どこで?、だれが?」

              という、
              明確(めいかく)な論拠(ろんきょ)が、
              まったくない!

              それらの記事は、
              裁判(さいばん)によって、デタラメであることが、
              明確に認(みと)められ、
              雑誌社側が敗訴(はいそ)。
              (創価学会の勝利)

              そして、雑誌社側は
              罰金(ばっきん)を払(はら)わされ、
              また、自分の雑誌に、
              謝罪(しゃざい)の文章を、
              のせさせられました。


              明治大学の教授(きょうじゅ)が話しているんですが、
              創価学会のデマ記事に、
              必ず、でてくる、
              プロパガンダ(宣伝)のひとつとして、
              創価学会の元(もと)幹部による証言(しょうげん)が、
              あげられるそうです。

              当然、
              元(もと)創価学会の幹部(かんぶ)だからと言って、
              信憑性(しんぴょうせい)があるとは、
              とうてい、言えない。

              なぜなら、
              元幹部という彼らは、
              詐欺(さぎ)や乗っ取(のっと)りを、たくらみ、
              問題や悪事を起こして、
              創価学会に、いられなくなった人たちなので、
              創価学会憎(にく)さが先(さき)にあり、
              とても、正しいことを、言ってるとは、
              考えられない。


              それに、
              これらの元創価学会幹部というのは、
              さきほども話しましたが、
              悪事や詐欺を起こして、
              創価学会に、いられなくなったんだから、
              お墨付き(おすみつき)の、
              大うそつきです。


              そういう人が話している記事を、
              信じるというほうが、
              おかしい。


              これも、明治大学の教授が、
              言っているんですが、

              「普通、週刊誌とかで、たたかれたら、
              個人にしろ、団体にしろ、
              世の中から、抹殺(まっさつ)されてしまう!

              それなのに、創価学会は、
              何十年も、ひどいデマで、
              週刊誌に、たたかれ続けているにもかかわらず、
              飛躍的(ひやくてき)に、
              発展(はってん)し続けている!」


              『この事実は、驚(おどろ)くべきことである!』


              と。


              これは、創価学会が、
              どれだけ正しく、
              どれだけ素晴らしいかの証明(しょうめい)だと思う。


              どんなに、デマを書き散らそうとも、
              真実は、消えない!


              すなわち、
              人間が、
              ほんとうに、
              ほしいものは、幸せです!


              創価学会は、その幸せを、
              ひとりひとりの人間に、
              与(あた)え続けてきた!


              だから、どんなデマも、
              創価学会を、
              壊(こわ)すことはできなかった。


              人は、真実(しんじつ)の幸せのあるところに行き、
              真実の幸せに、集まってくる!


              それは、
              ひとりひとりが求める、
              悩みや問題の解決を可能にし、
              切実(せつじつ)な夢や希望をかなえる
              大きな力(ちから)となって、
              人々に幸せを、もたらしてきた。

              ひとびとの心に、
              現実に幸せを実感(じっかん)させ、
              勝利と歓喜(かんき)を、もたらしてきた。


              この心の底(そこ)からの歓喜と感動を、
              壊(こわ)すことなど、できるはずがありません。


              だから、創価学会は、
              どんなに、迫害(はくがい)のデマを受(う)けても、
              広がり続け、
              現在、世界192ヶ国に広まったんだと、
              思う・・・・・。


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              イギリスの有名な歴史家に
              「アーノルド・トインビー」という偉人(いじん)がいます。

              彼の著作のなかに、
              『歴史(れきし)の研究』
              という大著(たいちょ)があります。

              歴史を、
              文明の興亡(こうぼう)の視点(してん)から
              論(ろん)じたもので、
              文明(ぶんめい)は、
              外部における自然・人間環境(にんげんかんきょう)と
              創造的(そうぞうてき)な指導者の
              二つの条件によって発生(はっせい)し、
              気候変動(きこうへんどう)や自然環境、
              戦争、民族移動(みんぞくいどう)、
              人口の増大などの、
              『挑戦(ちょうせん)』に、
              『応戦(おうせん)』しながら成長する。

              しかし逆(ぎゃく)に文明は、
              挑戦に応戦することに失敗することによって、
              弱体化(じゃくたいか)する。


              すなわち、

              『文明を興(おこ)すものは何か?』

              を探求(たんきゅう)した結果、
              それは、
              人種(じんしゅ)でも、恵(めぐ)まれた環境でもなく、
              かえって劣悪(れつあく)な気候(きこう)の変化や、
              外部の文明からの圧力(あつりょく)、
              刺激(しげき)、困難(こんなん)に、
              立ち向かうなかで生まれる!!


              その『挑戦』に対する『応戦』によって、
              文明は、生まれる。


              そう、結論(けつろん)しています。


              創価学会が、これだけ発展しているのも、
              デマなどの強烈(きょうれつ)な挑戦に対して、
              徹底(てってい)して、
              応戦してきたからだと思う。

              そして、その『挑戦』に、

              『勝った!!!』

              からだと、思う。


              もっと言えば、
              どんな挑戦にも勝ちうる、
              強烈なエネルギーが、あった!!
              ということだと思う。


              その強烈なエネルギーが何か?
              といえば、

              それが、
              南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
              となえる、
              仏法(ぶっぽう)の信仰であることは、
              いうまでもない・・!!



              現代、
              あらゆる人が、
              『挑戦』に、『応戦』するエネルギーを、
              求(もと)めている。

              それが、
              一個(いっこ)の人間にしても、
              団体にしても、
              世界にしても、
              あらゆる『挑戦』に、
              『応戦』し、
              そして『勝つ』ことのできる、
              法則(ほうそく)であり、秘策(ひさく)であり、
              無限の力であり、エネルギーが、
              『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
              であるといっても、
              言い過(す)ぎではないと思う。


              また、それが、

              『南無妙法蓮華経を、となえる』

              ということだと、思う・・・・。


              ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

              JUGEMテーマ:日記・一般



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              こころに、打ち出の小槌を56

              2020.04.13 Monday 00:43
              0
                この前、
                映画「あずみ」を見ました。

                小山ゆうの同名の漫画『あずみ』を
                原作(げんさく)とした映画で、
                若いころの上戸彩が、
                主演で、がんばっています。

                少女剣士(けんし)「あずみ」が、
                敵(てき)を、バッタバッタと切りまくる、
                時代活劇(じだいかつげき)です。

                娯楽映画(ごらくえいが)なので、
                お菓子をつまみ、お酒を飲みながら、
                お気楽(きらく)に、
                楽しめると思います。

                上戸彩も、
                一生懸命(いっしょうけんめい)、
                カッコつけていました。

                きっと、大変だっただろうと思う。

                だた、最初のシーンで、
                仲間(なかま)で10人、
                山で、修行(しゅぎょう)している時に、
                師匠(ししょう)の言いつけで
                仲(なか)の良い2人ずつになって、
                その2人で殺し合って、
                残った5人が、役目(やくめ)を果(は)たすために、
                山を出るシーンがあって、


                「いくらなんでも、作りすぎだ!!」


                と思った。


                だって、戦うのに、
                人数が多いほうが、いいに決まってる!

                最後、みんな、死んで、
                あずみと、もう一人の、
                2人しか残らないんだけど、
                まあ、よく考えると、
                2時間の映画のなかで、
                10人もいたら、
                死ぬシーンが、たくさん、ありすぎて、
                映画にならないとは思うので、
                映画としては、
                最初、仲間と殺しあって、
                5人に、しぼって、
                正解(せいかい)だとは思います。
                (最初から5人でもいいのに・・・)


                娯楽(ごらく)映画ではあるけれど、
                この映画を見ていて、
                耳に付(つ)いた言葉があって、
                やけに、

                「使命(しめい)」

                という言葉が、でてきた!


                「戦争を起(お)こそうとしている悪いやつらを、
                やっつけるのが、
                おれたちの使命だ!」

                とか、

                「使命を、はたすんだ!」

                というような使い方です。


                ふだんの生活では、
                あまり使わない言葉なので、
                すごく、耳に付く言葉だった。


                「使命(しめい)」・・・
                命(いのち)を使うということ!。


                生きている以上、
                だれでも、命を、使っている・・。

                だだ、何のために、
                命を使うかということを、
                正直、自覚(じかく)しているような人は、
                なかなか、いないと思う。

                かんぐって言えば、
                だいたい、自分のために、
                あるいは、家族のために、
                ともかく、精一杯(せいいっぱい)、
                生きているという感じが多いのではないかと思う。

                また、趣味(しゅみ)やレジャーなど、
                自分を楽しませることも、
                生きていく上では、かかせない。

                ただし、それだけで、
                『使命』と言えるような、
                充実感(じゅうじつかん)があるかは、
                疑問(ぎもん)だ!

                また、そんな使命といえるような充実感など、
                求めていないのかもしれない・・・。


                それほど、使命という言葉は、
                使いづらい。


                けれど、創価学会(そうかがっかい)では、
                この「使命」という言葉を、よく使う。

                「あなたには、かけがいのない使命が、あるんだ!」

                と、よく、言う。


                その使命とは、なんだろうか?


                また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、

                「その人が、その人であるだけで、
                かけがいのない、生きていく価値(かち)がある!」

                と、言っている。


                だとしたら、使命とは、なんなのか?


                おそらく、使命とは、
                自分に、生きていく価値があることに、
                目覚(めざ)め、
                自覚していくことかもしれない。


                人は、『使命』という言葉を、
                あまり、口にしない・・・。


                けれど本当は、
                自分の生きている価値を認(みと)め、
                また、認められることほど、
                幸せなことは、無い!と思う。


                それは、そのまま、
                最高の充実感を持った、
                『生きがい』と、なるからだ。


                ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・


                なぜ?
                南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
                となえるのか?


                というと、

                その人の中にある、
                その人が、本来(ほんらい)持っている、
                仏(ほとけ)のように素晴(すば)らしい命、
                仏のように素晴らしい、
                自分の価値を、
                開花させるためだと、
                言う。

                仏(ほとけ)の命といっても、
                わからないと思うけれど、
                自分の中にある、
                無限(むげん)の可能性(かのうせい)、
                無限の価値、
                無限のエネルギー、
                無限の創造力(そうぞうりょく)のようなものだと思う。

                その生命に内在(ないざい)する、
                無限にして、とらえどころのない、
                プラスの生命力(せいめいりょく)を、
                「仏(ほとけ)の命」
                「仏の生命」
                と、
                表現している。

                だから、
                南無妙法蓮華経を、となえていくと、
                どんな人でも、
                『プラスの生命』である、
                自分の価値に、目覚(めざ)めていく。

                自分が、やるべきことが、わかってくる!

                ご本尊(ほんぞん)に、
                南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
                となえることによって、
                本来、自分が持っている仏(ほとけ)の生命が、
                自分の中から、わきあがり、

                「自分にも、使命があるんだ!」

                と、
                わかってくる!

                そうすると(南無妙法蓮華経を、となえていると)
                いつ、何を、していても、
                たとえ、平凡(へいぼん)な、
                いつもと同じ事を、やっているにしても、
                不思議(ふしぎ)だけれど、
                その行為(こうい)は、
                すべて!使命として、
                価値のある行動に、
                変わっていく!

                もっと言うと、
                その使命を、
                自分の心と体で、感じ、
                本当の自分のものとして、
                現実に実感(じっかん)することが
                できるようになっていく。


                単純に言うと、
                人生と生命が、
                輝(かがや)きだす!ということです。


                すなわち、
                南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                自分の生きること、すべてが、
                プラスとして、
                肯定(こうてい)できるようになっていく!!

                南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                いままで、自分の中では、
                マイナスだと思っていたことまで、
                すべてが、逆(ぎゃく)に生かされ、
                価値が出てくる!


                その、すがすがしい感覚と驚(おどろ)きは、
                言葉では、言い表(あらわ)すことは
                できないかもしれませんが、
                ともかく、マジに、スゴイし、
                うれしい!と思う。


                南無妙法蓮華経を、となえる時、
                自分を否定(ひてい)できる人は、
                ひとりも、いなくなる!

                どんな人も、お世辞(せじ)ではなく、
                生きることに、大きな大きな、
                使命を、帯(お)びてくる!!

                そして、使命の自覚は、
                その人に大きな成長と、
                飛躍(ひやく)を、もたらす!

                そうなれば当然(とうぜん)、
                その人は、
                大きな大きな幸せを、つかむことになる!


                それが、
                創価学会が実践(じっせん)している、
                南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
                生き方です。


                おそらく、これ以上、
                幸せな生き方は、ないと思う。


                だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
                何もなくても、なぜだか、
                歓喜(かんき)してきて、
                生きるのが、楽しくなってくるんだと、
                思う・・・・・。


                ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                JUGEMテーマ:日記・一般



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                こころに、打ち出の小槌を55

                2020.03.19 Thursday 05:39
                0
                  英語で、「invoke」という言葉があります。

                  「invoke」は、発動(はつどう)する、行使(こうし)する、とか、
                  祈願する、祈る、という意味がある。

                  そのほか、「invoke」には、
                  「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」などの意味もあり、
                  いわば、「invoke」は、
                  ロールプレイングゲームなどで、
                  魔法獣(まほうじゅう)を召喚するといったところだろうか・・。


                  「invoke」という言葉は、
                  キリスト教から来ていると思うけれど、
                  これは、なかなか、おもしろいと思った。

                  最初に言ったように、「invoke」には、
                  祈る、祈願(きがん)する、という意味がある。

                  ただし、このキリスト教から来ている
                  「invoke」という言葉の「祈る」「祈願する」は、
                  「invoke」の他の意味でもある、
                  「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」
                  という意味からもわかるように、
                  自分の外にあるものを呼び出す。
                  自分の外にあるものを、もらい受(う)けるという
                  意味合いになってくると思う。


                  自分の中にはないものを、神様(かみさま)などから、
                  ほどこしてもらう!
                  というところだろうか・・・。


                  だから、キリスト教の「祈る」「祈願する」というのは、
                  自分には、幸せになる力(ちから)がないから、
                  自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
                  ひたすら、おすがりして、
                  ほどこしてもらう・・
                  といった意味合いが強くなってくる。


                  こういう自分には幸せになる力がないから、
                  自分の外から、
                  幸せになるための力(ちから)をもらう。

                  環境(かんきょう)や人や権力(けんりょく)など、
                  自分の外にあるものによって
                  幸せになろうという生き方のことを、

                  『外道(げどう)』

                  と言います。


                  だから、

                  環境がこうだから、幸せになれない。

                  あの人がこうだから、幸せになれない。

                  など、
                  幸せになれない理由を、
                  自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方は、
                  『外道(げどう)』の生き方だと、
                  言えます。


                  さっきも言ったように、キリスト教は、
                  神(かみ)という自分とは、かけ離れた存在(そんざい)に、
                  幸せを祈ります。

                  自分には幸せになる力(ちから)がないから、
                  神におすがりすると、いうことです。

                  だから、キリスト教は、
                  『外道(げどう)』の宗教だと言えます。


                  ところが、
                  創価学会が実践(じっせん)している
                  南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
                  仏法(ぶっぽう)は、違う!!

                  創価学会(そうかがっかい)の
                  南無妙法蓮華経の仏法では、

                  『自分自身が仏(ほとけ)なんだ!』

                  と説(と)く。


                  『あなたの中に、素晴らしくて最高の
                  仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』


                  と説く。


                  『だから、自分の中から、
                  素晴らしくて偉大(いだい)な仏(ほとけ)の生命を引き出して、
                  幸せになっていくんだよ!』


                  と説く。


                  こういう生き方を、

                  『内道(ないどう)』

                  と言います。


                  だから、
                  創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
                  『内道(ないどう)』の宗教だと言えます。


                  ここに、
                  創価学会の南無妙法蓮華経の仏法と、
                  その他の宗教との
                  決定的な違(ちが)いがあります。


                  神様や仏様など、
                  自分とは、かけ離れた存在に、
                  おすがりする、おすがり信仰(しんこう)・・。

                  ここには、はっきり言って、
                  希望はありません。

                  神や仏などを、
                  あがめれば、あがめるほど、
                  人間との距離(きょり)がどんどん、離(はな)れていく。

                  そして、人間は、
                  どんどん卑小(ひしょう)になり、
                  みじめな存在になっていく。

                  そして、精神的(せいしんてき)には、
                  神や仏など、
                  自分があがめるものの奴隷(どれい)のような
                  存在になってしまいます。


                  冷静(れいせい)に考えて、
                  このような状態で、
                  幸せになれるとは、思えません。


                  それが、日本にはびこる
                  葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
                  神社信仰だと言うことも、できます。

                  また、はっきり言えば、
                  それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、
                  間違(まちが)った宗教であり、
                  間違っているがゆえに、
                  どんなに祈(いの)ったとしても、
                  逆(ぎゃく)に不幸になってしまいます。


                  それは、さまざまな形で、
                  不幸という結果が出てきてしまう・・
                  ということです。


                  ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                  「invoke」という言葉における、
                  「祈る」「祈願する」という意味は、
                  自分にないものを、外から呼び出す。

                  自分ではなく、
                  棚(たな)からぼた餅(もち)のように、
                  環境や人、外部の何かを呼び出して、
                  幸せになろうという
                  意味合いが強いと思います。


                  それに対して、創価学会における、
                  『祈る』という行為(こうい)は、違う!!!


                  創価学会における
                  『祈(いの)る』という行為は、
                  自分の中から、幸せになる力(ちから)を
                  呼(よ)び起こすんです!!


                  本来(ほんらい)、自分の中に、
                  必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
                  存在している!

                  その幸せになっていける仏(ほとけ)の生命を、
                  自分の中から呼び起(お)こし、
                  自分の中から、
                  強い強い生命力(せいめいりょく)を
                  湧(わ)き上がらせて、
                  幸せになっていくんです。

                  神様や仏さまに、おすがりするのではなく、
                  本来、自分の中にある無限(むげん)の力(ちから)を、
                  呼び起こしていく!


                  これが、創価学会での、
                  『祈る』という行為なんです・・・!


                  その内(うち)から溢(あふ)れる『祈り』の結果として、
                  自分の生命が輝(かがや)き、
                  蘇生(そせい)していく。

                  やがて、その蘇生した自分の生命の力によって、
                  さまざまな悩みを解決(かいけつ)し、
                  夢や希望をかなえて、
                  幸せになっていけるんです。

                  そして、蘇生(そせい)し輝いた自分の生命が、
                  まわりの環境や世界を照(て)らし、
                  環境や人、世界をも、
                  幸せに変えていくんです。


                  それが、創価学会の人たちの『祈り』です。


                  その自分の中から、
                  仏(ほとけ)の生命という
                  無限の可能性(かのうせい)と力(ちから)を、
                  湧(わ)き上がらせ、
                  自分の中から、悩みや問題を解決し、
                  自分の中から幸せを勝ち取っていけるのが、
                  創価学会の、
                  南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
                  となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


                  ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  category:願い | by:kokouchi | - | -

                  こころに、打ち出の小槌を54

                  2020.02.17 Monday 21:13
                  0
                    まえに、自動車免許(めんきょ)を取りに、
                    教習所に行っていたとき、
                    適性検査(てきせいけんさ)みたいな、
                    心理(しんり)テストのような問題が出されて、
                    やったことがある。

                    その中で、


                    「いままでに、死にたいと思ったことがあるか?」


                    という問いに対して、
                    ぼくは、そんなこと言えるか!と思って、

                    『いいえ』

                    に、チェックを入れました。

                    そしたら、あとから、
                    先生に、

                    「人生に、一度や二度は、死にたいと思ったことは、
                    だれだって、ある!

                    だから、『いいえ』と答えた人は、
                    本心(ほんしん)を言わないで、
                    ウソを、ついている!」

                    と言われてしまった。


                    けれど、

                    「ごもっともだ!」

                    とも、
                    思った(笑・・・)


                    以前(いぜん)、テレビで、
                    若い小学校教諭(きょうゆ)が
                    自殺したという、
                    ニュースをやっていたのを
                    見たことがありました。

                    その若い教諭は、

                    「声が大きく、はつらつとした好青年で、
                    子供たちとも明るく接(せっ)していた。」

                    という。


                    そんな好青年(こうせいねん)が、
                    なぜ?
                    自殺したかは、
                    わからない。


                    専門家によれば、
                    突発性(とっぱつせい)うつ病の可能性が、
                    あるそうだ。

                    急(きゅう)に、モヤモヤとした、

                    「死にたい!」

                    という衝動(しょうどう)が、おそってくる。

                    そして、その衝動に、
                    あまりにも簡単(かんたん)に、
                    のってしまった!

                    ということだろうか。


                    さきほどの話しに戻(もど)りますが、
                    人間、生きていれば、
                    死にたいと思うようなことは、
                    一度や、二度は、あると思う。
                    (ぼくも、認めます・・・笑)

                    というか、人間は、
                    自分に苦難(くなん)が、おそってくると、
                    気軽(きがる)に、

                    「あ〜〜、死にたい」

                    と、愚痴(ぐち)を
                    もらすような生き物かもしれない。


                    そういう、マイナスの衝動(しょうどう)は、
                    生きている以上、何度となく、
                    おそってくるだろう。


                    ぼくなんか、ほんとうは・・・・
                    軽(かる)い、愚痴っぽい、
                    「あ〜〜、死にたい」という感情だったら、
                    100回以上は、
                    あったかも、しれない・・・・。


                    けれど、今は、
                    創価学会(そうかがっかい)に入っているので、
                    その時、まず、
                    考えることは、

                    『生きる!』

                    ということです。


                    どっちみち、生きなければならない!


                    マイナスの感情に、ひたっていて、
                    それで、問題が解決(かいけつ)し、幸せになれるのなら、
                    思う存分(ぞんぶん)、
                    マイナスの感情に、ひたっていればいい!


                    けれど、そんなことは、ありえない!


                    だとしたら、
                    マイナスの感情に、ひたっていることは、
                    単(たん)なる時間の無駄(むだ)になってしまう!


                    そこで、頭を切り替(か)える!

                    「落ち着くんだ!。くさってはいけない!
                    負けてはいけない!
                    自分を、取り戻(もど)すんだ!」

                    そして、心の中で、
                    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
                    となえ始める。

                    そうすると、自分を見失(みうしな)った自分が、
                    我(われ)に返っていく。

                    そして、困難(こんなん)な状況を、
                    なんとか、乗り越(こ)えていくことが、
                    できてきました!

                    もちろん、その状況(じょうきょう)が、
                    困難であれば、あるほど、
                    南無妙法蓮華経を、となえる時間と、数は、
                    増(ふ)えていきます。

                    当然(とうぜん)の道理(どうり)です。

                    いっぺん、南無妙法蓮華経をとなえて、
                    すべてが、ぱっと開けるようなことは、
                    めったにない!

                    ただ、南無妙法蓮華経の力は、
                    はかり知れないので、
                    たった、いっぺん、
                    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
                    となえただけで、
                    ぱっと開けたという例(れい)も、
                    あるようだ。


                    よく、創価学会の人に、

                    「何かあったら、南無妙法蓮華経を、
                    となえるんだよ!」

                    と言われ、
                    その時は、バカにして、
                    軽(かる)く流していても、
                    いざ、突発的事故や、病気、事件に
                    見舞(みま)われた時、
                    創価学会の人に言われたことを、思い出し、
                    思わず

                    『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)!』

                    と、となえ、
                    それによって、
                    九死(きゅうし)に一生を得(え)たという体験を
                    持っている人は、
                    創価学会の人でなくても、
                    以外(いがい)と、いるようだ!



                    さきほどの、自殺した若い教諭が、
                    なぜ、急に死を選(えら)んでしまったのか?

                    死を招(まね)くようなマイナスの感情に、
                    急に、おそわれたとしたら、
                    自分の生命(せいめい)の中に、
                    マイナスの要素(ようそ)が、
                    何かの拍子(ひょうし)に、
                    インプットされてしまったのだろうか?

                    マイナスの要素が、インプットされたとすれば、
                    そのマイナスである不幸の要素を、
                    インプットした、
                    根本原因(こんぽんげんいん)が、
                    どこかに必ず、
                    あるはずた!

                    その不幸の根本原因を、
                    仏法(ぶっぽう)では、


                    『間違(まちが)った宗教』にある!


                    と、解明(かいめい)している。


                    生まれてきた以上、その人には、
                    必ず、先祖(せんぞ)がいる!

                    その先祖は、必ず、なんらかの、
                    宗教に、たずさわっている。

                    その宗教が、
                    間違った宗教である場合、
                    そのマイナスの要素は、
                    自分の生命にも、まあ、
                    ヘンな言い方をすれば、
                    引(ひ)き継(つ)がれ、きざまれていく!

                    世間一般に、
                    本当は、矛盾(むじゅん)だらけなのに、
                    広められている、
                    葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
                    神社信仰などは、
                    マイナスの要因(よういん)を作り、
                    不幸の原因を作る、
                    マイナスの宗教と思って間違いない。

                    そして、なにかの拍子(ひょうし)に、
                    フッと、そのマイナスの要素が出てきて、
                    その人を、
                    不幸へと、
                    落とし入れる。


                    生命とは、不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
                    間違った宗教が、
                    人間におよぽす、
                    マイナスの影響力(えいきょうりょく)は、
                    大きい。

                    宗教なんか、関係ない!と、
                    笑っているような人でも、

                    「自分自身に、マイナス的要因、
                    マイナス的要素が、ある!」

                    と、思っている人は、
                    自分が、
                    間違った宗教の悪影響(あくえいきょう)を
                    受けていると思って、
                    間違いない!!
                    と思う。


                    実は、その人間の生命における、
                    マイナスの要因、マイナスの衝動、
                    決定的マイナスと言える病気や事故、事件など、
                    そのマイナスを、打ち破(やぶ)るために、
                    「真実の仏法(ぶっぽう)」である、
                    『南無妙法蓮華経』が、ある。


                    マイナスを、打ち破るために、
                    『南無妙法蓮華経を、となえる!』


                    ぼくも、正直、
                    何かあったら、南無妙法蓮華経を、
                    となえる!ということを、
                    知っていなかったら、
                    おそらく、今、
                    生きていないだろう!と、
                    思うことが、本当(ほんとう)はある。


                    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                    日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、

                    『南無妙法蓮華経は、獅子吼(ししく)のごとし。
                    いかなる病(やまい)、
                    さわりをなすべきや』

                    と、言っている。


                    南無妙法蓮華経は、
                    ライオンが、ほえるようなものだから、
                    南無妙法蓮華経を、となえたならば、
                    どんな病気であっても、
                    その人を、苦しめたり、
                    危害(きがい)を加(くわ)えることは、
                    できない!
                    というような意味です。


                    これは、病気に、かぎったことではない。


                    さきほども言ったマイナスの衝動、
                    マイナスの事件や事故!
                    そのマイナスを、木っ端微塵(こっぱみじん)に、
                    打ち破っていく力(ちから)が、
                    南無妙法蓮華経には、ある!
                    ということだと思う。


                    そう考えると、
                    創価学会員であるということ。
                    南無妙法蓮華経を、となえられる!ということ。
                    『南無妙法蓮華経を、となえる』
                    ということを、
                    知ってる!ということが、
                    どれだけ、幸せか・・!!

                    長い人生を、思うと、
                    計(はか)り知れないものがある!と、
                    こころから、思える・・・・。


                    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                    JUGEMテーマ:日記・一般



                    category:悩み | by:kokouchi | - | -

                    こころに、打ち出の小槌を53

                    2020.01.27 Monday 22:14
                    0
                      『突破口(とっぱこう)を開け!
                       
                      大誠実の力で!
                       
                      わが一生に燦(さん)たる

                      「何か」を残せ!』


                      これは、まえに聖教(せいきょう)新聞の、
                      「わが友に贈(おく)る」にあった文章です。

                      わが友に贈るは、
                      創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長の
                      池田先生が、
                      毎日、聖教新聞に、のせてくれている、
                      4、5行の短いメッセージです。


                      自分が、ピンときたのは、
                      最後の

                      「何かを、残せ!」

                      と、いうところです。


                      具体的内容のことを残(のこ)せではなく、
                      『何か』!

                      「何か」だったら、
                      すべての人が、自分に当(あ)てはめることが、
                      できる!


                      ものすごく、
                      柔軟性(じゅうなんせい)のある言葉だと思った。


                      すべての人が勝利するためにあるのが、
                      仏法(ぶっぽう)。

                      すべての人の現実の生活に、
                      完全にマッチして、
                      その人らしい、その人だけの幸せを、
                      つかませてくれるのが、
                      南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法!


                      ここに仏法(ぶっぽう)のスゴサがあるように、
                      思えた。


                      それで、思い出したけれど、
                      創価学会の人が、毎日、祈(いの)っている、
                      祈る対象(たいしょう)である

                      『ご本尊(ほんぞん)』

                      も、そうだと思った。


                      ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
                      表現しきったものなんだけれど、
                      この、ご本尊は、
                      文字で表現されている。

                      真ん中に「南無妙法蓮華経」と、
                      仏の生命の根本(こんぽん)の言葉が書かれていて、
                      そのまわりに、
                      一切衆生(いっさいしゅじょう)のなかにある、
                      単純に分けると、
                      十種類の生命状態(せいめいじょうたい)が、
                      書き表(あらわ)されている。

                      その十種類の生命状態を、
                      ちょっと、説明すると、

                      ●地獄界(じごくかい)
                      地獄のような生命状態

                      ●餓鬼界(がきかい)
                      欲望に、とらわれた、
                      本能的(ほんのうてき)な生命状態

                      ●畜生界(ちくしょうかい)
                      強い時は、いばり、
                      弱い時は、卑屈(ひくつ)になるような
                      畜生(ちくしょう/ けもの)の生命状態

                      ●修羅界(しゅらかい)
                      争(あらそ)い怒る、
                      たえず、他より、
                      まさっていたいと思う生命状態

                      ●人界(にんかい)
                      人間の平静な生命状態

                      ●天界(てんかい)
                      何か、とっても、うれしいことがあり、
                      天にも昇(のぼ)るような、
                      うれしく、幸せな生命状態

                      ●声聞界(しょうもんかい)
                      何かを勉強して自分を向上(こうじょう)させ、
                      何かを、きわめようとする生命状態

                      ●縁覚界(えんがくかい)
                      自分自身で学ぶというより、
                      何かのヒントや、インスピレーションによって、
                      何かの真理(しんり)やアイデアを生み出し、
                      悟(さと)ろうとする、
                      ヒラメキのような生命状態

                      ●菩薩界(ぼさつかい)
                      子供を見れば、かわいく、いとおしく思い、
                      おぼれている猫などを見ると、
                      助けてあげたいと思う、
                      やさしくて、他のために行動するような、
                      あたたかく、慈悲(じひ)深い生命状態

                      ●仏界(ぶっかい)
                      強くて、あったかくて、やさしくて、
                      歓喜(かんき)していて、幸せで、
                      どんなことにも負けない、
                      すべてに打ち勝つことのできるような、
                      無限の可能性を秘(ひ)めた、
                      仏(ほとけ)のような最強の生命状態

                      ※この、最後の、
                      『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、
                      南無妙法蓮華経を、となえないと
                      人間の生命から、わきあがってきません!!


                      実は、この、
                      『仏界の生命』が、キーワードになっていて、
                      その仏界の生命の名前を、
                      『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
                      と、いいます。

                      すなわち、幸せになる生命、
                      幸せをつかむ生命が、『仏界の生命』で、
                      幸せをつかむ生命の名前であり力(ちから)であり、
                      法則(ほうそく)が、
                      『南無妙法蓮華経』だということです。


                      幸せになるためには、
                      幸せを引き出す必要(ひつよう)があり、
                      幸せを呼(よ)ぶ必要がある!

                      もっと言うと、
                      幸せの名前を呼ぶ必要がある!!

                      だから、幸せの名前である、
                      『南無妙法蓮華経を、となえる』必要がある!!
                      ということです。


                      さきほど話したように、
                      人間の生命の中には、
                      地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏、
                      という、
                      単純(たんじゅん)に言うと、
                      十種類の生命が、
                      すべて、ふくまれていて、
                      その生命が、何かの縁(えん)によって、
                      自分の中から出てきて、
                      その人の、その時の、
                      生命状態や心理状態となって、
                      あらわれてきます。


                      実は、創価学会の人たちが祈っている、
                      『ご本尊(ほんぞん)』は、
                      その、どういう生命状態の人の中にも、
                      南無妙法蓮華経という、
                      仏(ほとけ)の生命が、そなわっている!
                      ということを、表現しています。

                      たとえば、今、
                      地獄界(じごくかい)の生命状態にあったとしても、
                      幸せになる生命、幸せをつかむ生命が、
                      本来(ほんらい)、そなわっているので、
                      幸せの生命を引き出せば、
                      幸せになっていけるわけです。

                      今、餓鬼界(がきかい)の生命状態にあったとしても、
                      幸せの生命を引き出せば、
                      幸せになっていけるんです。

                      畜生界(ちくしょうかい)であろうと、
                      修羅界(しゅらかい)の生命状態であろうと、
                      同じです。
                      同じように、幸せの生命を持っているので、
                      幸せの生命を引き出せば、
                      幸せになっていけるんです。

                      その幸せの生命の名前が、
                      「南無妙法蓮華経」であり、

                      幸せの生命を引き出す方法が、
                      「南無妙法蓮華経を、となえる」
                      ということです。


                      仮(かり)に、今、
                      人界(にんかい)の平静な生命状態にあるから、
                      幸せの生命を引き出す必要がないかといえば、
                      そんなことはなく、
                      幸せの生命を引き出すことによって、
                      もっと充実した、もっと素晴らしい幸せを、
                      つかんでいける!!
                      ということです。

                      天界(てんかい)の、
                      天にも昇(のぼ)るような生命状態であったとしても、
                      南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                      浮(う)かれすぎて、落とし穴(あな)に落ちないように、
                      堅実(けんじつ)で、もっと盤石(ばんじゃく)な幸せを、
                      つかんでいける!
                      ということです。


                      今の生命状態が、
                      声聞界(しょうもんかい)の
                      何かを勉強して自分を向上させる生命状態だったとしたら、
                      南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                      今は勉強で苦しいけれど、
                      その苦しさに負けない、
                      強い強い、幸せな生命状態になっていけるんです。

                      縁覚界(えんがくかい)の生命状態で、
                      何かのヒントや、インスピレーションを求め、
                      アイデアを生み出だそうとする生命状態であったならば、
                      南無妙法蓮華経は、
                      無限の創造力(そうぞうりょく)を引き出して、
                      アイデアを生み出し、
                      幸せをつかんでいけるようになっていきます。

                      菩薩界(ぼさつかい)の、
                      他のために行動するような、
                      あたたかい生命状態であったならば、
                      南無妙法蓮華経を、となえることによって、
                      幸せの生命を引き出し、
                      自分の行動と心を輝(かがや)かせ、
                      自分の幸せも、人の幸せも、
                      もっともっと、輝かせていけるようになっていきます。


                      だから、今、現在、
                      どんな環境(かんきょう)、どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
                      「仏の生命」が、そなわっているから、
                      その最強で、最(もっと)も幸せな「仏(ほとけ)の生命」を、
                      出すことができれば、
                      どんな人であっても、幸せになっていける!!
                      ということです。

                      その原理(げんり)と方法を、
                      だれにでも、
                      簡単(かんたん)にできるように表現されているのが、
                      日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書き残された、

                      『ご本尊(ほんぞん)』

                      なんです。


                      だから、『ご本尊』は、
                      すべての人に合(あ)っていて、
                      すべての人にマッチしている。


                      ようするに、すべての人の願いや幸せを、
                      かなえる力(ちから)が、ある!
                      ということです。

                      これが、もし、『ご本尊』が、
                      仏像(ぶつぞう)や絵で表現されていたら、
                      仏(ほとけ)は、たった、ひとつの形に
                      とらわれてしまい、
                      自分と適合(てきごう)することは、
                      ありません!

                      自分とは、かけはなれた仏(ほとけ)に、
                      おすがりする、「おすがり信仰」に、なってしまう。


                      それでは、人を愚(おろ)かにする、
                      間違(まちが)った宗教になってしまう。


                      文字で表現された『ご本尊』という、
                      具現化(ぐげんか)と、抽象化(ちゅうしょうか)の、
                      絶妙(ぜつみょう)なバランス感覚!

                      このなかに、
                      人間の生命を、みごとに!表現したところに、
                      『ご本尊』のスゴサがあるように、
                      思う。


                      だから、ご本尊に、
                      南無妙法蓮華経を、となえる時、
                      ひとつの型(かた)に、はまった幸せではなく、
                      その人でしかできない、
                      その人だけの幸せ、
                      その人に完全に適合(てきごう)しきった、
                      その人にとっての、

                      『何か!』

                      を、実現することが、
                      できるようになっていきます。


                      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                      単純に言うと、
                      人間の生命には、
                      地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・
                      天・声聞・縁覚・菩薩・仏、の、
                      十種類の生命状態が、ある。

                      仏法(ぶっぽう)では、その十種類の、
                      どんな生命状態の中にも、
                      同じように、幸せを開くことのできる、
                      最高に魅力的(みりょくてき)で、最高に強い、
                      仏の生命が、存在すると説きます。


                      その幸せを開くことのできる、
                      最強の生命が、
                      『南無妙法蓮華経』
                      だということです。


                      それは、
                      『南無妙法蓮華経』という、
                      幸せを開くことのできる最強の生命が、
                      すべての人間の中に、
                      無条件(むじょうけん)に存在(そんざい)する!
                      ことを意味します。

                      だから、今、
                      どんな生命状態の人でも、
                      南無妙法蓮華経という、
                      最も幸せで、最も強い、
                      仏(ほとけ)の生命が、
                      自分の中に存在するんだから、
                      自分の中から、
                      その『南無妙法蓮華経の生命』を、引き出せば、
                      だれでも、どんな人でも、
                      幸せになることができるわけです。

                      その仏(ほとけ)の生命を、
                      自分の中から引き出す方法が、

                      『南無妙法蓮華を、となえる!』

                      ということなんです!


                      その仏法における法則(ほうそく)と、
                      現実における実践方法を、
                      純粋(じゅんすい)に、的確(てきかく)に、
                      実践(じっせん)しているから、
                      創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
                      世界中の創価学会員の人たちが、
                      夢や希望を、かなえ、
                      現実に幸せを、つかむことができたんです。


                      最後に、かさねて言うようだけれど、
                      この最高に幸せで、最高に強い仏(ほとけ)の生命は、
                      『南無妙法蓮華経』を、となえないと、
                      出てこない!!

                      だから、本当の意味での幸せを、つかむには、
                      ご本尊に、
                      この『南無妙法蓮華経』を、となえる以外ない!
                      ということだけは、
                      言っておきたいと思います・・・・・。


                      ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      category:幸せ | by:kokouchi | - | -

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