こころに、打ち出の小槌を47

2019.09.25 Wednesday 20:55
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    以前、インターネットで、
    2チャンネルという書き込みを見ていたら、
    創価学会(そうかがっかい)の話しが、
    のっていた。

    「創価学会にだって、悪人は、いるじゃないか!」

    とか、

    「創価学会の人が、みんな、善人(ぜんにん)ではない」

    とかいう話しを、していた。


    それは、そうだと思う。


    創価学会に反逆(はんぎゃく)した人たちだって、
    もとは、創価学会だったわけだし、
    まあ、悪人だから、
    創価学会から出ていったわけだけれど、
    もとはといえば、創価学会員だ。

    創価学会は、

    どんな人でも、幸せにしたい!

    と、願っているわけだから、
    いろいろな人が、創価学会に入ってきて、
    当然(とうぜん)だと思う。


    けれど、信心が、狂(くる)ってしまったら、
    その人は、狂っていく。


    仏法(ぶっぽう)の原因と結果の法則(ほうそく)には、
    一点の狂いもない!

    だから、仏法の信心(しんじん)が狂ってしまった人が、
    おかしくなるのは、
    逆(ぎゃく)の意味で、
    この仏法(ぶっぽう)が、
    真実の法則であることの証明だと思う。

    創価学会に入っても、
    信心がなくなり、創価学会員を
    バカにするようになった人が、
    幸せになったら、おかしい!

    それとは、まったく逆の、
    悲惨(ひさん)な結果が出て当然だと思う。

    だから、逆に、
    仏法の信仰(しんこう)を、
    素直に、純粋(じゅんすい)にやっていると、
    思いもよらなかった幸せを、つかめるのも、
    仏法の道理(どうり)だと思う。


    勘違(かんちが)いしてもらっては、
    困(こま)ると思う。


    池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、
    どんな悪人であっても、
    創価学会員である以上、
    なんとか、良くしよう!良くしようと、
    心を、砕(くだ)いていたように思える。


    けれど、ひとたび、
    創価学会に牙(きば)を向いたならば、
    絶対に、許(ゆる)さない!


    なぜかと言うと、その悪を許したら、
    創価学会の清浄(せいじょう)な世界が、
    壊(こわ)されてしまうからだ!

    創造(そうぞう)は、一生、
    破壊(はかい)は、一瞬(いっしゅん)。

    ほんとうは、一瞬の気の緩(ゆる)みも
    許されないのが、人生だと思う。

    だから、悪は、許さない。


    ともかく、仏法(ぶっぽう)は、きびしい!
    勝つか、負けるかだ。

    単純(たんじゅん)に考えると、
    この世界は、
    悪人が勝つか、善人が勝つかの戦場だと思う。

    中途半端(ちゅうとはんぱ)は、ありえない!

    善人が、おとなしくしていれば、
    悪人は、いい気になって、
    どんどん、のさばっていく。

    悪人というものは、際限(さいげん)を知らない。

    日本人は、
    「これくらいは許(ゆる)してやれば、
    いいじゃないか」
    とか、
    そういう、中途半端な黙認(もくにん)を、
    美徳(びとく)と考える傾向(けいこう)があると思う。

    けれど、相手(あいて)が、
    あきらかな悪人の場合、
    それは、
    間違(まちが)いとなる。

    そんなことをして、悪人が反省するとでも、
    思っているのだろうか!

    そんなことは、絶対にない。

    悪人というものは、
    気を許せば、
    許すだけ、際限なく広がっていくものだ。

    ドイツが、昔、
    ナチスだった人たちを許さなかったのも、
    そういうことだと、思う。

    ナチスの悪人を、
    たとえ、地の果(は)てまでも、
    追い詰(つ)め、断罪(だんざい)していく。

    それが、人間としての、
    誠実(せいじつ)な、
    真実の生き方だと思う。


    だから、創価学会も、
    悪人を絶対に、許さない。

    ほんとうに、くどいようでも、
    はたから見たら、みっともないように見えたとしても、
    徹底(てってい)して、悪を責(せ)め、
    追及(ついきゅう)しつづける!


    それが、人間の正義(せいぎ)を、
    善(ぜん)を、
    強く高め、
    自分を、世界を、
    平和に、幸せにしていく
    法則であり、方法だからです。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

    ただし、よく、誤解(ごかい)されるのは、
    創価学会員は、なにも、
    善人になるために、
    信心しているのでは、ない。

    そうではなくて、
    『幸せになるために』、
    信心をしている。

    はたから見て、なんの、けがれもないような、
    いわゆる、石にも棒(ぼう)にも当たらないような、
    そんな善人になる必要は、
    なんにも、ない。

    この、けがれた、みだれきった世界に
    生きている以上、
    ひとくせも、ふたくせも、あって、
    当然だと思う。

    日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の時代に、
    大聖人の弟子で、
    四条金吾(しじょうきんご)という素晴らしい弟子が
    いたけれど、
    彼は、武士だ。

    武士(ぶし)といえば、人を切ることを
    商売としているとも言えるから、
    まあ、悪く言えば、人殺しだ。

    よく考えたら、こんな悪人は、いない。

    けれど、それは、生きていく上で、
    しょうがないことだとも、言える。

    仏法(ぶっぽう)は、
    そういう現実の中で生きている人間を、
    ひとりも、否定(ひてい)しない!

    ひとくせも、ふたくせも、あろうが、
    どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
    その人間の生命の中に、
    輝(かがや)かしく、
    素晴らしい生命を見いだして、
    ひとりひとりが、生活の中で、
    実感(じっかん)でき、
    満足していける最高の幸せを、
    つかませてくれる。


    それが、仏法(ぶっぽう)だと思う。


    あえて言えば、
    どんな傾向性(けいこうせい)がある人間であっても、
    幸せという観点(かんてん)から見て、
    その人が、最大限に生かされていく。

    自分の人間としての傾向性が、
    すべて、プラスへと、変えられていく。

    よく、コメディーで、
    自分が、悪意(あくい)でやっているのに、
    それらが、すべて、良い結果を生み、
    なぜだか、幸せになってしまうという
    ドラマが、ある。

    上の例(れい)は、少々、おおげさだけれども、
    創価学会が実践(じっせん)している、
    南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を、
    真剣に、実践していくと、
    ほんとうに、そうなっていく。


    不思議(ふしぎ)だけれど、
    それが、南無妙法蓮華経の力(ちから)であり、
    仏法が、生命に及(およぼ)ぼす、
    素晴らしい力だと、思う・・・・・。


    ・・・・・・・・・・・・・つぶやき(こころに、打ち出の小槌を)・・・・・・・・・・・・・

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    2019.11.20 Wednesday 20:55
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